第11話 地下迷宮でかくれんぼ

 マルスは通路の角に身を隠していた。

 角の向こうにはグループになって歩く人間たちの姿がある。騒ぎ立てながらノロノロ進む彼らは、どう見ても冒険者の装備ではない。

 遠ざかる彼らの背を見て、ひっそりと息をついた。


「奴ら、反対方向へ行きましたね」

「そのようだな。今のうちに階段降りるぞ」


 同行する髭面の男について、マルスは足音を忍ばせつつ昇降場へと急いだ。




 ……その日、回収係長ミカドの元にある一報が入った。

「未封鎖のダンジョンに人間が入り込み、肝試しと称して荒らしまわっている」というものだ。


 当該迷宮の所有者からの通報だった。通報時点で、回収対象の宝物やアイテムの喪失はないというが、あまり好ましい事態とは言えない。

 ミカドはマルスを派遣することにした。マルスは火星の力を借りる天使、炎や銃器の扱いも手馴れている。実力行使の事態に発展した場合を考えての人選だ。


「ごめんねー、こういうの本当は俺がやりたいところなんだけど。ちょっと今手が離せないもんで」

「それは大丈夫ですけど……何も軍部の協力まで仰がなくても」


 そう、ミカドはなんと、天界連合の抱える軍に協力要請を出したのだった。さすがにやりすぎではとマルスは思ったが、ミカドの考えは少し違うところにあった。


「今後、特に消滅期限ギリギリとか、こういう案件も出るかもしれん。そういう時に向けての人脈作りも兼ねてんだよ」

「なるほど……」

「つっても今回は顔合わせ程度でいいよ。『人間に姿を見せない』、この鉄則は守ってくれ。見られたとしても、軍部のおじさんが記憶操作してくれるらしいけど、アクシデントはなるべく少ないに越したこたァねえ」


 そしてにこにこ顔で「かくれんぼ楽しんでね」と、ミカドは手を振ってマルスを送り出したのだった。




「ッ……やはり濃くなるな、下へ降りると」


 同行している軍部の天使の名は、ルチアーノ。隠密系の術や戦闘が専門だという彼は今、黒髭に覆われた顔をやや悪くしている。

 手元に炎を灯すマルスは眼鏡を押し上げた。その表情は硬い。


「ここのような“地下型迷宮”は、奥へ行くほど陽の光から遠ざかりますからね。空気の循環が悪いのもあって、瘴気が溜まりやすいんです。言ってしまえば自分から魔界に突っ込むようなものです」

「前に一度、古城のようなダンジョンへは行ったことがあるが……ここはたしかにそれ以上の空気の悪さだな」

「ちゃんと聖水飲んでくださいよ。こういう地下とか、あと幽霊ゴースト系・死屍アンデット系は、かなり気を付けてないとこっちがやられる。疎かにしてたばかりに堕天しかけて、休職になった職員もいます」


 ルチアーノにそう促し、マルスも自分の水筒から一口聖水を含む。喉から全身へ染み渡るように浄化されていくが、すぐにこの瘴気は侵食してくる。

 マルスは宙にマップを表示した。情報によると、目的の管理室は更に三階層ほど下。最下層のボス部屋へ近づくほどに、瘴気の濃度も増してゆくため、長居しては消耗戦になる。

 火星の天使マルス、顔をしかめてとうとう愚痴をこぼした。


「まったく……ダンジョンで度胸試しなんて、あの人たち馬鹿じゃないですか。あんな薄っぺらい服でよくもダンジョンに来ようと思ったな。死にたいのか?」

「気持ちは分かるが、ああいう馬鹿でも守護しなきゃならないんだよ、天使ってのは」


 一息ついたルチアーノは余裕が出来たか、マルスの肩を叩いた。


「待たせた。先へ進もう。シャットダウンさえすれば人間たちを追い出せるんだな?」

「ええ。回収が必要な宝物も少ないですし、あとは姿を見られさえしなければ、僕らの勝ちです」

「かくれんぼは俺の分野だ。任せておけ」


 ルチアーノの探知魔法が展開。彼が集中する間の警戒はマルスの役目、炎を消し銃を手に、神経を研ぎ澄ます。


「人間たちはまだ上層にいるな。少し時間に余裕はありそうだ。モンスターの少ないルートと近道、どちらを行く?」

「近道しましょう。そのルートには回収物もあるので」

「承知」


 実に淡々としたやり取りだ。ルチアーノの示した方向へ進みながら、マルスは気分がひりついて来ているのを感じていた。


(あまり良くないな)


 マイナスの気分を抱いた状態では、天使が瘴気に蝕まれる危険も上がる。だが鬱々とした地下迷宮で気分を上げるのは難しいことだ。

 こんな時、ミカドはどうしていたか。いつでも楽しそうに笑っているのは、そうか、このためか。


「ふふ……くくく」

「マルス? どうした、気でも触れたか」

「あは、いや何でも。思い出し笑いです。気分が下がると危ないので、ちょっと笑ってみようかと」


 マルスの思考経路を知らないルチアーノからすると、突然笑い出したマルスは狂ったか変人かのどちらかにしか思えない。マルスは反省した。

 と、不意にルチアーノが足を止めた。前方の暗がりに目を凝らしている。


「生物の反応だ……モンスターだな」

「片付けます」


 短い詠唱ですぐに炎が燃え盛る。炎の中で巨大な犬の影が踊る。

 倒したと安心した途端、倒れた影の後ろから、更に咆哮が上がった。


「マルス! 複数だ、まだ終わってないッ!」


 ルチアーノがすかさず拳銃を発砲。消音器に掻き消された発砲音だ。正確に当てるが、倒しても倒しても犬が飛び出してくる。ルチアーノは舌を打った。


「くそっ、数が多い……」

「これ使ってください。僕も援護します。逃がすと後で人間たちを襲うかもしれない」

「了解。殲滅だ」


 収納ボックスから出したサブマシンガンをルチアーノに放り、マルスも両手を構えて詠唱。通路の奥で明々と炎が爆ぜ、犬モンスターの退路を断つ。

 そこへ撃ち込まれる弾丸の雨。次々と甲高い悲鳴を上げ、その身を崩していく。


 やがてモンスターは全滅して床に溶けていった。

 炎の壁を解いたマルスが肩を落とす。


「すみません、油断しました……」

「問題ない。対処出来たからな。急ぐぞ、今の騒ぎを聞きつけられたかもしれない」


 軍人天使の言う通り、遥か背後で騒がしい気配がする。人間たちも同じ階層まで降りてきたようだ。ルチアーノの術で足音を消した二人は通路を急いだ。


 通路を駆けつつ、モンスターを適度に倒していく。

 音に気を遣う分神経が削がれる。

 宝物回収のために小部屋に入れば、気が急いて仕方がない。マップ通りに見つけた階段で下に降りれば、自身を苛む瘴気が濃くなる。


「すみません、ルチアーノ。一旦休憩を……」

「大丈夫か」


 管理室まであと一層というところで、マルスがとうとう耐え切れずに膝をついた。

 ルチアーノは姿を消す魔法を自分たちにかけ、体を引きずるマルスを壁際へ座らせた。


「聖水、少し多く飲んだ方がいいんじゃないか」

「……あ。あと少ししかない……」

「もう一本ないのか」

「三本持って来たけど、これで最後だ。チクショウ……」


 復路のことを考える必要がないのが幸いだ。この迷宮は攻略済みであるため、最下層のボス部屋まで行く必要もない。業務をこなし管理室へ行けばそこが二人にとってのゴールなのだから。

 それを差し引いても、聖水がもうすぐ底を尽きそうなのがマルスを焦らせていた。焦燥は更なる負の感情を呼ぶ。悪循環だ。


(……そうだ、鈴)


 濁りゆく思考の中、小さな光が閃いた。

 億劫な手を動かして内ポケットを探り、携帯電話を引っ張り出す。


 その拍子。



  チリリ――。



 涼やかな音色。

 翠色の目が見開かれた。視界が急に広く感じる――まるで分厚い雨雲から光が射すような、そんな解放感。全身を包んでいた重たい暗雲が、一瞬のうちに取り払われたようだ。


「何だ……急に体が軽くなったぞ」


 その効果は、近くにいたルチアーノにまで及んだ。色の濃い目に強い光が戻っている。それまで目が澱んでいたことにすら、二人は互いに気が付いていなかった。

 紐を揺らし、もう一度音色を奏でてみる。つかえていた胸が楽になった。瘴気を含むはずの空気が、清廉な気に満ちている気さえ起きてくる。マルスは小さな鈴を見て顔をほころばせた。


「帰ったらミカドさんにお礼言わないと」

「係長の? ……ああ、道理で」


 マルスが立ち上がる傍で、ルチアーノは妙に納得顔で頷いていた。マルスが首を傾げると、鈴を指さしてルチアーノは言った。


「聞いたことがあるんだ。『東の天使は不思議な術を使う』とな」

「東の……?」

「“ミカド”は違うのか? てっきり東のお方だと思ったのだが」


 マルスは天使の中では若い方だ。天界連合に身を置いてはいるが、広く世界を見たわけではない。“東”と言われてもあまりピンとこない。


「あの人については知らないことが多くて。というか、プライベートについて突っ込む暇がなくて……」

「ああ、激務だものな……」

「聞いたところで、真面目に答えてくれるかどうか。さあ行きましょう、元気なうちに」


 鈴のお陰で全回復した二人は軽やかに迷路を駆け抜けていった。

 瘴気の影響を受けることは、もうない。











「管理室……ここだ。これではないか、マルス」


 マップ上のポイントを頼りに、手分けして壁を調べていた二人。天使文字を先に見つけたのはルチアーノだった。


「それです。手を押し当てて開けてください」

「こうか? おお、開いた」

「もう停止処理をしてしまいましょう。人間は僕ら天使よりも瘴気耐性が高いですが、下手なことをして命を落とされては困ります」

「たしかに。……この分かりやすいボタンだな?」


 太い指がこれ見よがしなボタンを押す。

 振動と共に降ってきた埃に、マルスがくしゃみした。マルスはハウスダストアレルギーなのだ。


「これで完了か。何とかなったな」

「ええ――クシュン――一応ミカドさんにれんら、れ、――ックシュ」

「……大丈夫か?」


 髭面から心配そうな目を向けられた。

 マルスは携帯電話でミカドを呼び出し、くしゃみ混じりに機能停止報告をした。


『無事に終わって良かったよ。そこは攻略済みダンジョンだし、ほとんど宝物は残ってないはずだ』

「ウェッ――リスト分は回しゅ、回収ックション、したんで。漏れはな――ゥェックシュン、ないでしょうね?」

『ちゃんと管理してる人だったから、申告漏れはねえと思うよ。ていうか早く戻ってきな? そんなくしゃみしてて回収も何もないだろ、マルス』


 見るに見かねてルチアーノがゲートを開いた。涙目でよく前の見えないマルスは、大人しく差し出された手を借りることにした。


「ウ……ブァークションッ!」

「ちょ、マルス、鼻拭け鼻」


 ……ついでにティッシュもお世話になった。

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