第10話 ゴースト系ダンジョン・その4

 三人の部下たちを送り出したミカドは、一人ボス部屋を調べていた。

 壁や床、装飾等の設備の劣化状況。部屋に漂う空気の状態。そして部屋に仕掛けられている、戦闘時や戦闘終了後に発動される各種機能の稼働状況……。


 十分も経った頃、ゲートが開いて一人の職員天使が現れた。ブロンド髪をショートヘアにした女性天使だ。


「やあリサ、忙しいのにすまねえな。こんなに早く来てくれるとは思わなかった」

「お気になさらないでください。たまには外の空気も吸いたかったので。……あまり綺麗な空気ではありませんが」


 リサは同じ管理課だが、回収係ではなく調査係。回収業務の前に行うある程度の事前調査で、登記情報からダンジョンのマップを起こしたり宝物情報を調べたりする。基本的に局に申告されている情報で作成するため、不正が侵されている場合などは漏れることもある。

 部屋をぐるりと見まわし、リサは持ってきたカバンから計測器を取り出して言った。


「たしかに、情報よりも濃い瘴気濃度ですね。あまり長居は出来ません。私は係長とは違って、使なので」

「おいおい、俺だって使だよ。ともかくさっさと終わらせよう。……ことの次第によっては、業務計画を全部一から練り直す必要が出てくるかもしれん」


 ジャケットを脱ぎ、腕まくりをするミカドは──いつになく厳しい目つきをしていた。

 薄暗がりの中、二人の天使は調査を始めるのだった。











 診察と処置を受けたエマは、病院の正面玄関前で呆けたように立ち尽くしていた。


 真っ昼間である。回収業務に出発したのは朝。その後ダンジョン内で数時間は過ごしたろうか。

 ところがどうだ。戻ってみれば、こちらでは三十分も過ぎていなかったのだ。


(そうだよね……考えてみればそういうことだよね……)


 課長の言っていた“時差ボケ”たるものを、今にしてようやくエマは実感していた。迷宮管理課が天界いち過酷とされる所以ゆえんが、今になって身に染みる。


「あれ、エマちゃん。君はもういいのかい」

「……係長!」


 ミカド係長が、買い物の包みを抱えてやって来るところだった。エマは思わず駆け寄った。


「調査、もう終わったんですか?」

「もうって言うか、まあ結構時間かかったけど。こっちじゃたったの数分だから。調子はどう?」

「お陰様で。私は特に何もしていなかったので、一番軽症ですぐ終わりました。パットさんも少し休めば回復するそうです。大事をとって病室で点滴受けてます」

「そうか。じゃあ買ってきた飲み物持って行こうかな。エマちゃんもお見舞い行く?」


 エマもミカドについて見舞いに行くことにした。一度は出た病院のエントランスにもう一度入る。


「それで、ソフィアは?」


 総合案内でパットの病室を聞き、昇りのエレベーターでミカドが尋ねた。

 エマは小さな声で返す。


「瘴気の塊みたいな悪霊に憑かれたので、回復には少し時間がかかるそうです。聖気が充満した場所にいれば大丈夫らしいんですけど……今日のところは面会謝絶って言われました」


 エレベーターが停止し、扉が開いた。先に降りるよう促してミカドは声を落とした。


「みんなには謝らないといかんな。俺が見誤ったせいだ」

「そんな! ミカドさんだって想定外だったんでしょう?」

「そうですよ。第一、係長がいてくれたから僕らは帰れたんです」


 穏やかな声にハッと二人が振り返ると、点滴棒を引きずるパットの姿が、そこにはあった。パットは少し青い顔で微笑んだ。


「ちょうどお手洗いから戻るところで。二人とも、お見舞いありがとうございます」

「どうだ、調子は? ジュース買ってきたけど、飲める?」

「いただきます。部屋で話しましょう」


 病室は四人部屋で、パットの他にもう一人入院しているらしかった。今はどこかに出かけているようだ。

 パイプ椅子をベッドの傍に寄せて、ミカドの買ってきた飲み物を三人で開けた。人心地ついたところでパットが問いかけた。


「それで、実際どうだったんです? 瘴気汚染の状況は」

「危惧してたほどじゃなかったが、想定以上の進行度合いだ。撤去事業立ち上げ当時の調査じゃ、ここまでの進行予測じゃなかった」

幽霊ゴースト系や死屍アンデット系は、瘴気に影響されやすい迷宮ですからね。汚染が進行しやすいのかもしれません。他のダンジョンの様子に変わりはないのですか」

「今のところは特に。だが少し気を付けた方がいいかもな……あと二十年しかねえってのに、やることばかり増えてくねえ。ああ嫌だいやだ」


 嫌だという割にミカドは笑っている。どうして笑えるのか、エマは不思議でならないが、どう尋ねればいいか分からなかった。

 ミカドは腰を上げた。


「そろそろ役場戻るわ。エマちゃんはこのまま帰りな。パトリ君、お大事にー」

「ありがとうございました。エマ、また明日」

「はい、お大事にしてくださいね」


 病室を後にして、二人は正面玄関で別れた。

 エマは自宅へ。ミカドはダンジョン局へ。




 管理課の事務室へ戻ったミカドは、部下たちから提出された宝物回収や迷宮封鎖についての報告書を見て考え込んでいた。

 魔王軍の纏う瘴気に耐性をつけるよう、勇者選別機関でもあるダンジョンでは瘴気を発生させている。ダンジョンのレベルによってその濃度は異なり、新人研修としてエマを向かわせた迷宮はかなり低難易度の物件で瘴気も薄かった。

 しかし今日訪れたゴースト系迷宮は、ボス部屋のみが異常な瘴気濃度であった。いくら悪霊モンスターとはいえ、短期間でここまで汚染が進むものであろうか?


 ミカドは資料保管室へ向かった。今日の迷宮の過去データを調べるのだ。

 迷宮は建設後も定期的にダンジョン局の査察が入る。その段階で何か異変はなかったのか、手がかりを求めてのことだった。


(瘴気濃度、迷宮内の各種術式、一般モンスターの遭遇率、トラップ動作確認……オールクリアか)


 前回の査察は地上時間で四十年前。本当は二十年ごとの査察が義務付けられているのだが、全撤去が決定したためになくなった。その間に汚染が進行したのだろう。

 ミカドは何か引っ掛かりを覚えていた。いまいち原因を掴めない。一般ゴーストをもボス部屋に吸収し、瘴気で汚染し、ボス悪霊の一部となっていた、この一連の現象。


(自然物系の天使っつったって、ソフィアは低位の天使じゃねえ。そう簡単に悪霊の影響を受けはしない。なのに操られた……)


 資料ファイルを戻してミカドは溜息をついた。懸念事項をすべて課長に報告し、他部署と連携を取ってもらうしかない。係長である彼が出来ることといえば、現状を分かりやすくまとめた書類を作って提出することくらいだ。

 ふとミカドは顎を撫でた。何か思いついたようだ。自分のデスクで目を閉じてしばらく考え込み、一人満足げに笑むのだった。











 後日。

 ソフィアも職場へ完全復帰を果たした頃、ミカドから回収係全員にある物が配られた。


「“上”から許可を貰って、特別に拵えました。お守りです。ケータイにでもつけておくといい」


 それは小さな鈴だった。ストラップに揺れて軽やかな音色を奏でる。

 渡された職員たちは揃って首を傾げた。


「これが……お守りですか?」

「小せえからって馬鹿にすんなよ。その音は清浄を呼ぶ音、悪いものを寄せ付けない守り鈴。息がしづらくなった時、瘴気に思考が侵された時、鳴らせば雲間が晴れたようになる」

「ミカド係長って、時々捉えにくい発言しますよね」


 パットの言葉に皆が頷く。しかしミカドは気にしていない。


「あと、自分らの力でどうしようもない事態になった時は──紐をちぎって鈴を床に落とせ」

「何が起こるんですか」

「どこにいても俺が駆けつける。絶対にだ」


 それは……これからの業務の危険度が増す、という意味を暗に含んでいる言葉だった。


 普段、ミカドはそう頻繁に直接迷宮へ赴かない。宝物回収・封鎖のスケジュールを詰めたり、データを調べたり、他部署の協力を取りつけたり、そういった後方支援に回ることが多いのだ。

 新人研修でもない限り、彼が低難易度の迷宮に潜ることはない。「係長が同行する」とはすなわち「危ないダンジョン」というのが、回収係内での共通認識である。


 そのミカド係長が。

 など。


「ハイハイそんな顔しなーい。コレはあくまで保険、君らを地上へ派遣する上司として安心材料を作っただけ。君らはこの天界イチ忙しい職場で、コツコツ頑張ってくれてる優秀な天使たちだ。自信と誇りを持って、楽しんでダンジョン探索してもらいたいと思ってる。頼んだぜ」


 最後にニカッと歯を見せて笑い、「パンッ」といつものように手を叩いた。


「よっし野郎ども、今日もザクザクお宝集めるぞ!」


 係長、海賊みたいな掛け声。

 端の方でエマがおかしそうに笑った。受け取った鈴を携帯電話に取りつけて、


(……こんなのを作れるなんて、ミカドさんは一体何者なんだろう?)


 ふと疑問を抱いた。

 しかしそれも、先輩に呼ばれた途端に霞んでしまい、多忙極めるダンジョン閉鎖業務の合間に消えてしまったのだった。

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