第23話 鏡の国の天使たち
登録外ダンジョン特別対応中の迷宮管理課は、水を打ったように静まりかえっていた。定時ではないタイミングでの潜入班の連絡、つまり緊急連絡である。
『二日目
1337 最下層にて鏡を発見
到達と同時に鏡体回転、鏡面を天井に向け静止。緊急回避行動をとるも失敗
1341 現在地不明。迷宮内部? ミカド、空間移動術使用不能』
不穏な記録と共に、画像が添付されていた。
ルイの術によって再現されたと思しき「鏡」の画像であった。地面から天井高くまで届く大きな姿見で、鏡の周囲は独特で繊細な金細工で縁どられていて、重厚感を持った佇まいである。
メール本文のコピーが全係に行き渡ると同時、今度は外部応対係のデスク――外部から接続可能な唯一の窓口で、電話が鳴った。応答した職員は怪訝な顔で受話器から耳を外した。
「課長……空間局の地上降下管理課から、お電話です」
「内線で私に繋いでください」
電話を取り次ぐと、課長が小声で対応した。話の内容は聞こえない。職員たちは互いに顔を見合わせた。
天使や精霊などが天界から地上に降りる際は、【地上降下管理課】にあらかじめ申請し、許可を得なくてはならない等の厳しい制限が設けられている。そのため、迷宮管理課も綿密な連携を取った上で地上へ赴いている。
そんな部署から今、連絡が来るということは……。
「連絡ついてるんだ。どこかには必ずいる。それにしても、ミカドさんの空間術が使えないたァ、こりゃ相当な事態だな……」
ジョナさんが小声で呟いた。
「マル坊、宝物リスト洗っとけ。鏡系宝物の中でも高ランクな可能性が高い。一応神界所蔵品のリストもチェックするんだ」
「分かりました」
「神界って……神様の道具かもしれないってことですか?」
新人のエマが震え声で尋ねる。が、ジョナさんから安心させるような一言は出て来ない。
「わしの勘が外れとればいい。そう祈ろう」
「残念ですが、ジョナさんの勘は正しそうですよ。地上の対応中ダンジョン付近から三名の天使の反応が消えたそうです。ゲート発動の痕跡ももちろんない」
ちょうど受話器を置いた課長が言った。視線をくゆらせて溜息をつく様を、恐らく職員の大半が初めて目にした。
しかし、では、潜入班の三人は一体どこへ消えてしまったのか?
「少なくともミカド君は無事でしょう、彼がこの事務室に張った結界は維持されていますからね。……次の連絡を待ちましょう。私たちに出来るのはそれくらいです」
課長は席に身を沈めた。管理課の事務室には、マルスがキーボードを叩く音が響くのみである……。
*
その頃、潜入班の三人は。
「走れェ走れ、全力疾走! あいつを相手になんぞするもんじゃねえからな!」
――迷宮の廊下をひた走っていた。
だがその構造は鏡に写しとったように対称を成しているため、宙に表示しているマップも反転したものを参考にしている。角を曲がろうとしたところでザハラが叫んだ。
「ミカドさん、左は行き止まり! 右に曲がろう!」
「つってもよォ、回り込まれて挟まれるぞ! あーチクショウ、くそ厄介だぜ、“裏ルイルイ”はともかく“裏ミカド”とはねえ」
「係長。その裏ルイルイって呼び方、やめてくれませんか」
息ひとつ乱さないルイは後方に向かって妨害効果の神語を放った。
チラと後ろを振り返れば、追手が文字の網に絡め捕られる様が見えた。しかし……。
「あ、解かれちゃった」
「当然だ。相手は係長だぞ」
「君さあ、俺を怪物か何かだと思ってないかい、ルイ君」
降りかかる神語網をまるで虫を払うかの如く振り解き、その姿が露わとなる。
ミカドであった。黒スーツに身を包み、低身長ながら静かな威圧感を放つ姿は、ミカド係長その人とそっくり似ている。しかしよく見れば鏡写しの反転した外見で、ミカド本人とは違い刀を右腰に差している。
更にその背後からは、反転したルイも迫って来ていた。鏡写しになったミカドとルイが、どういうわけか潜入班たちを追いかけているのだ。
「少なくともダンディーさは俺の方が勝ってるな」
「冗談はその辺にして、打開策を講じませんか」
「辛口ィ。よし、じゃあここでシンキングターイム。俺とルイはそっくりさんがいるのに、どうして裏ザハラちゃんはいないんでしょうかッ!」
「ザハラは風の天使です。本質が空気である風を鏡は映せないからでは?」
「ふむふむ。じゃあ次の質問。ここ、どーこだ」
ルイとザハラは駆けながら辺りを見回した。石造りの廊下に松明、どう見ても景色はダンジョンのそれである。異なる点があるとすれば、構造が反転していること、瘴気濃度が薄れていることだろうか。
口火を切ったのはザハラだった。
「……最初に全体マップ作った時に、ワタシとルイが感じた気配が関係してると思うのね」
「最上階と最下層に聖気を感じたっていう、あれかい?」
「だって地下は魔界に近い場所よ。瘴気が濃くなるのは分かるけど、聖気っておかしいなと思ったの。ルイルイも同じでしょう?」
「ああ。しかも上階とまったく同じ聖気だった。実際に地階へ降りてみれば、最下層には聖気を放つ鏡があった。上階にも同じものがあるのではないでしょうか」
距離を詰めてきた裏ミカドに神語トラップを仕掛け、ルイは続けた。
「あくまで推測で語ります。ダンジョンの上下両端に鏡を置き、同時に回転……地階の鏡は上を、上階の鏡は下を向けば、迷宮全体を巻き込んだ“合わせ鏡”の状態を作り出すことができます。恐らくそうしてこの空間が出来上がり、自分たちはそこに取り込まれたのでは……と」
「それは偶然? それとも狙ってのことか?」
「そこまでは分かりかねます。しかしこれほど壮大な芸当が並大抵の宝物に出来るとは思えません。高ランクの鏡系宝物である可能性が高いかと」
「鏡世界のカラクリを推測できちゃうルイ君が凄い。じゃあラストクエスチョンといこうか」
コーナーを曲がったところで、ミカドの黒い瞳が細められた。
「“何故”、鏡の幻影は俺らを追いかけるのか?」
それが分かれば苦労しない、という自棄な返しをルイは飲み込んだ。
たしかに妙だ。言うなれば自分たちは鏡世界に招かれた側、敵対姿勢を示したわけでもない。追われる筋合いなどありはしないのに、幻影は執拗に追いかけてくる。
と、ここでザハラが急に進路を変えた。ルイの制止も聞かずに通路を突っ切っていく。
「戻るんだザハラ、また回り込まれるぞ!」
ルイの忠告通り、ザハラが角を曲がろうとすると裏ルイルイの姿が現れた。踵を返して再び合流してきたザハラは……得心した顔つきで頷いていた。
「分かったよミカドさん。ワタシたち、誘導されてるね」
「誘導?」
「間違った方向に行こうとすると阻んでくるでしょ。あの二人はワタシたちをどこかへ連れて行きたいんだ」
「それならもっと穏便な方法を採ってほしいところだ……ッ、真正面、鏡が……」
三人の行く手に巨大な鏡が現れた。それは鏡世界へ転移する直前に目にした、大きな姿見とそっくり同じもの。
ミカドに苦笑いが浮かんだ。
「これはこれは。君たち、朗報だ。この鏡の前だけ、空間抜けの術が使えそうだが……試してみるかい?」
「ぐずぐずしてられないものね。お願いします、ミカドさん」
ミカドは片手を伸ばし、鏡面にぐるりと円を描いた。
途端、その形にぽっかりと穴があいた。中の見えないその穴にミカドが飛び込み、次いでザハラとルイも続いた。
ミカドの革靴が固い床を踏んだ。
だがそれは、ダンジョンの床とはまた違うものである。
立ち上がった彼はゆっくりと辺りを見渡した。どこまでも透き通る材質の床、壁。綺麗に磨かれた床はまるで鏡のように平らで、景色が映り込んでいる。その床からやはり同じ材質で出来た円形の太い柱が何本も伸びており、見えないほど高い位置にある天井を支えている。
どこからか光が射しているが、光源は分からない。柱や床、壁で光が反射して、この空間全体を照らしているのだ。
「神殿のように見えますね」
ルイが抑えた声で発した。わんわんとこだまして居心地の悪い感覚に陥る。
「さっきの影、追って来ないね」
「“誘導”を終えたのだろうな。しかしここ、神殿というには何か……探索しますか、係長」
「……いや、足で調べるのはナシだ。ちょっとこの空間を解析してみてくれ」
ルイ君ではなく「ルイ」と呼んだミカドは、神妙な面持ちだ。小さく頷き、ルイは本を片手に神語詠唱を開始した。神殿の床を柱を、光る象形文字が滑っていく。
この神語を応用した解析術はルイが編み出したものである。
本来神語は、準一級神語資格者・パットのように、本に書かれている神の言葉をその通り綴る形で使用される。神の編み出した原始の言葉・音であるために、神語そのものの持つ力が大きく、これを「活用」して何か作用を起こそうなどと考える者がこれまでにいなかった。
ところがこのルイという天使の考えは違う。
「視点を変えれば、この世界は神の綴った言葉で成った壮大なプログラムであり、その一端でも理解し組み合わせれば同じ現象を引き起こせるはず」と提唱した彼は、解析術をはじめとするあらゆる術を編み出した。神への冒涜だと反発の声も多いが、本当に冒涜ならば堕天するはずだと、ルイはあまり気にしていない。
そんなルイは、解析が進むにつれ顔を慄かせていった。
「大丈夫かい、ルイ」
「……係長……課の誰かに連絡を。あの鏡の調べがついていないかどうか」
「あ、ちょうどマルスからメールが来たよ」
ザハラが携帯電話を取り出した。開封したメールの本文を見て、ヒュウッと風が凍ったように息を呑んだ。
「【テュトペスの合わせ鏡】……神界宝物殿所蔵の神器、行方不明で捜索願が出されてるって……」
神器とは、即ち神の持ち物である。
行方不明の神器がよりによって登録外ダンジョンにあるという、その意味はルイの険しい顔が物語る通りだ。
……いや、それだけではないらしい。ルイは口元を押さえて黙り込んでしまった。ザハラが背中をさすりながら顔を覗き込むと、震える息を吐き出して唇を噛んだ。
「何が分かったの、ルイルイ」
「……さっき感じた違和感の正体が分かった。呪いだ」
――苦々しく、天使はそう口にした。
「この鏡、呪われている」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます