第24話 呪いの器
マルスから送られてきたメールには、【テュトペスの合わせ鏡】の大まかな情報も記されていた。
「合わせ鏡」との名の通り、二枚で一対の神器だ。二つの鏡を向かい合わせに置くことで、真実を映し出すというものらしい。
鏡の本来の持ち主であるテュトペス神は、何百年も前に既に隠れている。信仰する民族が侵略によって絶えてしまった為に力を失った――つまり淘汰された神だ。神そのものは神界で存在し続けるが、天界や人間界へ影響を及ぼすことは出来なくなる。
そんな神の神器が、呪われた状態で登録外ダンジョンで発見された……。
「ルイ。ザハラ。ダンジョン業務は現刻を以って一時中止だ」
ミカド係長が背中を向けたまま、重々しく告げた。
「これより我々が当たるのは
「「承知」」
部下二人の返事が揃い、ミカドは頷いて指示を出した。
「ザハラは本部待機班へ緊急連絡。情報共有は課長、各係長、班長ジョナサンに留め、その他の職員へ情報漏れがないように念を押しておいてくれ。宝物を調べたマルスには口止めを」
「分かりましたッ」
「ルイは呪いの根源を見つけ出せ。俺も探してみる」
素早く指示を飛ばし、ミカドは駆け出した。内ポケットから取り出した札に息を吹きかけると、半分が細かく砕けて宙に舞って行った。魔界出張時に使っていた、視界を張り巡らせる符術らしい。
ルイは空気中に微かに漂う呪いの痕跡を辿っていた。しかし何度試しても呪いの発生源が見つからない。
(もしかして、この空間にはないのか……?)
神語を発動したまま、ルイは思考する。
神殿のようなこの場所へは、ミカドの空間抜けの術を使ってやって来た。呪いの根源は別の空間にある可能性が高いが、呪いの気配を感じる以上近くにあるのは間違いない。
(鏡を抜けて来たのだ、もう一度同じことをすればあるいは)
鏡らしきものがないかときょろきょろ見回すが、大きな姿見などここにはない。
……ふと、ルイは立ち上がった。ある方向へ歩み寄った。そこは一段高くなっている場所で、ちょうど祭壇のような場所であった。
視線を固定したまま後ずさる。鏡のような床が、足元に神殿を映し出している……。
「間違い探しだ」
確信を得たかのような、鋭い声。
ルイはミカドを呼び寄せた。そして床を指さしながら言った。
「ここはまだ鏡世界の神殿です。恐らく最深部はこの鏡の向こう……祭壇に玉座のある向こう側が、正しい神殿の姿です」
――床に映った祭壇には、こちら側にないクリスタルの玉座が鎮座していた。
ミカドがルイの背中をぽんと叩いた。
「でかしたぞルイ。空間抜けの術も使える、向こうへ渡ろう……おおっと?」
ミカドが術を使う素振りを見せたその時、祭壇の上にすうっと、あの姿見が現れた。
金細工に縁どられた鏡面にルイの姿が映し出される、その虚像と、
目 が 合 っ た 。
「ぐ……まずい……」
視線を通しておぞましいものが流れ込んでくる。ルイは咄嗟に視線を外して結界を張ったが、その神語の文字を伝って、術者であるルイに悪手を伸ばして……。
するとミカドが動いた。鏡と自分たちの間に一閃が走り、見えない壁が視線を断った。
「ルイルイ! どうしようミカドさん、ルイルイ息ができないみたい」
駆け寄ったザハラがルイを抱き起した。
「君の術で肺に空気を流すことは?」
「やれるけど意味ないと思う。呪いに障られたんだ。聖水を……」
「いや、そうなったら聖水じゃあ効かん。呪いが触れたのが外側なら対処できるが、こりゃ内側から呪いが侵食してる」
ルイは喉を押さえて悶えていた。顔のところどころに赤黒い紋様が走っている。呪われた証だ。
膝をついてその様子を観察していたミカドは、つと目を伏せた。
「……やむを得ねえな」
「え?」
ポツリと呟いて空間収納から取り出したのは、酒瓶と朱の盃。
見事な艶を放つ盃に酒を注ぐと、辺りにふわりと甘い酒精の香りが立ち昇った。
「これを飲みなさい。舐める程度でいい」
「……ッ、……」
「いつもは飲んじゃダメって言ってるのに、いいの?」
「緊急事態だからな。よし、それでいい」
ルイの口に酒を僅かに含ませると、残りの酒をミカドは一気に呷った。空になった盃を地面に置いた途端、
「――ッは、ああ、ハアッ、ハア……」
解放されたルイが空気を求めて喘いだ。息が出来ている。その様子を見守るミカドの肌下を、ほんの一瞬赤黒い紋が走り、すぐさま消えた。
呼吸を整えたルイはミカドに礼を言った。
「ありがとうございます……係長」
「無理に話すんじゃない。呪いの紋も消えたな。少しふらつくだろうが、じきに慣れる。もう平気だな?」
「そのようです。一体何を……」
「話は後、まずは鏡だ。残念ながら今のは呪いの発生源じゃねえ。源に近づかせないための番兵といったところだな。神語使える君を危険視したんだろう」
立ち上がるミカド。未だ酸素の足りないルイの思考は、上司が何をしようとしているのか分からなかった。
「ここへ被呪物を持ってくる。二人はここで解呪の準備を整えて待っててくれ」
「でも鏡の奴が……」
「大丈夫」
ミカドの革靴が、境界を超えた。
赤黒い靄のような呪いが体を覆うのを、ミカドは身じろぎもせず受け入れた。「ミカドならば大丈夫」という安心感と「さすがのミカドも危険なのでは」という不安が合い混ざり、ルイとザハラは固唾をのんでじっと見守る。
「……さあ、もう十分だろ。そろそろそこを退いてくんな」
ピタリと、靄の蠢きが止まった。
「残念なことに、君の前に先客がいてね。君程度が付け入る隙はねえんだ。さ、道を開けてくれ。あんまり俺に術を使わせんでくれよ」
ざあっと靄が晴れ、鏡に吸い込まれていった。
ミカドは何事もなかったかのようにヒラリと片手を振って、鏡面に身を滑らせて消えてしまった。
「ルイルイ……」
「すまない。もう平気だ。解呪術式の解読準備に取り掛かるよ」
ザハラの膝枕から体を起こし、ルイは聖水の入ったボトルを呷った。軽く発声練習をしながら分厚い本をしばらく捲っていたが、やがてザハラの視線に息をついた。
「気になるのは係長のセリフか?」
「だって『先客』って。呪われてるってことだよね。胸の病気と関係してたりとか」
「……時折あの人が天使に思えない理由は、もしかするとそこにあるのだろうな。しかし考えても仕方のないことだ。係長自らが口を閉ざす以上は」
「ルイルイなら解けるんじゃないの。ミカドさんの呪い」
「係長を蝕むよりも弱いあの斥候を、自分はただ呑まれるしかなかった。解くのは難しいだろう」
「あはは。いつもよりお喋りだね」
ザハラが笑い声を転がすと、爽やかな風が通り抜けた。
カラメル色の視線が再び本へ戻された。
「そんなことはない。必要な分はいつも話している」
「うんうん、そうだね。……あ、帰ってきた」
再び鏡に穴が開かれ、境界を跨いでミカドは戻ってきた。スーツのジャケットを脱ぎ、腕に抱える何かを
「ルイ。解呪は後回しだ。この呪いの解析を頼めるか」
「しかし、今にも係長まで呪われそうですが……」
「それより呪いの種類を特定したい。できれば術者も」
大事そうに包みを抱えるミカド、その顔は何を考えているのか読み取れない。
ルイは言われるがまま、神語での解析を始めた。作業が進むにつれ、次第にルイから血色が失せていく。
「二人ともそれぞれ中身に察しがついたかと思うが、他言無用だぞ。天界を揺るがしかねんものだ。どうだいルイ、解析の方は?」
「……何ということだ……」
ゆるゆるとかぶりを振って、ルイは本を閉じた。
「術者は天使で間違いないでしょう。複合的に、幾重にも……それも複数の天使による施術のようです」
「呪いの情報を控えたら解呪を頼むよ」
腕の中のそれをミカドは抱き直した。ジャケットがずれて中身が一部露わになった。
それは――体に呪いの紋様の浮き出た赤ん坊。
「神をも縛る呪いなど、さぞ苦しかったろう……早く解いて差し上げよう」
――テュトペス神、その人であった。
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