第6話 氷の炎鳥と上司の飴
色とりどりのタイルが敷き詰められた部屋。
よく見ればそれは円形の魔法陣で、中央には青い炎がぼうっと浮かんでいる。
声を出すのが憚られるような緊張感の中でも、ソフィアは落ち着いたもので、異変がないかどうか目視で確認している。一回りぐるっと部屋を見回した後でエマを振り返った。
「戦闘に入る前に確認しておきたいのだけど。防御魔法は同時に複数展開できるの?」
「はい。大きなものをたくさん張るのは難しいですが」
「じゃあ、そうね……自分をガードするバリアと、あたしが攻撃を受けそうな時は止めてちょうだい」
「分かりました」
素直に頷くエマ。躊躇いがないということは、それくらい自信があるのだろうとソフィアは思った。
中央の炎に向かって歩み寄り、手を伸ばす。青い舌がチロリとその手を炙った途端、ゴウッと高く燃え盛り姿を変えた。
「あら、思ったよりも弱い炎ね。低級ダンジョンなだけあるわ。これならエマちゃんの出る幕ないかも」
炎が
鋭い嘴が開かれ、甲高い声で金切り声を上げる。まったく動じないソフィア、しかし彼女に青い炎鳥が襲い掛かった。
「〈護りを〉……、あっ」
バリアを展開しようとエマが詠唱しかけ……やめた。炎の翼が引っ搔いたソフィアの体が水の泡と立ち消えたのだ。
「うふふ、残念。こっちよ」
何もないはずの床から水が立ち上り、女性の姿に変わった。かすり傷一つ負っていないソフィアを見て炎鳥から悔し気な鳴き声が上がる。
ミカドが「相性がいい」と言った意味が、エマにも分かった。水と炎、どちらが有利に働くかは明白だ。
青い炎がより色を濃くした。炎鳥を中心として範囲も拡大していく。エマはぶるり身震いして自身を抱きしめた。この炎、普通の炎ではない。氷のように冷たい。バリア内にまで冷気が届くのは、空気そのものが冷え切っているためだ。
「力自慢したいのは分かった。けどこっちはあんたのお遊びに付き合ってる暇はないの。仕事で来てるからね」
ソフィアの体がまた水に変わり、いくつもの泡を成した。いくつもいくつも──炎鳥を囲うようにして、水の精が舞い踊る。
「さあ、あんたとあたし、──どっちのカラダが強いかしら?」
何重にもエコーのかかった声と共に、水の精たちが一斉に炎へ襲い掛かる。蒸気、冷気、湿気、それらに堪えんとエマはバリアの中で身を震わせた。
(これ、私要らないんじゃ……)
鳥の纏う炎が弱まっていくのを見て、エマは苦笑いした。
その炎が消えるか消えないかという時、ピンヒールが長い尾を踏んづけた。
『ギェッ!』
「まどろっこしいわね。早く消えなさいよ」
それが止めとなったのか、鳥は完全にタイルに消えてしまった。
防御を解いたエマが這い出てソフィアに駆け寄る。
「裏ボスって言うからもっとスゴイの期待してたのに。肩透かし食らったわ」
「ソフィアさんが凄いんですよ! あんなにたくさん水を操れるなんて……」
「あたし、水の精霊から派生した天使らしくてね。あんまり強すぎる炎は苦手だけれど、炎タイプのモンスターは専門分野よ。さ、お宝いっただきィ! 帰ろう帰ろう」
ウキウキのソフィアの代わりにエマがミカドに連絡し、二人も管理室へ向かうのだった。
*
ゲートをくぐったミカド、マルス、ソフィア、エマの姿は事務室にあった。
ここは【ダンジョン局・迷宮管理課】。その名の通り、迷宮の管理運営に携わる部署の執務室である。地上の迷宮の全撤去に向けて繁忙期を迎えており、部屋の端から端まで大勢の天使たちが目まぐるしく働いている。
何より視界を賑やかしめているのは、この天井で飛び交う書類たち。「飛び交う」とは言葉の綾などではなく文字通り飛んでいる。必要書類を呼び寄せたり、誰か宛に届けたりと魔法でやり取りが為されるのだが、その量が多いために視界はしっちゃかめっちゃかだ。
行き交う人々と書類を躱しながら、彼らは最奥の課長席へ向かった。
室内で一番大きく立派な机であると同時、最も書類の出入りが多い席でもある。
「ミカド組、ただ今帰還しました」
「お疲れ様です。ごめんねうるさくて」
課長のピーターが片手を上げて挨拶した。きちんと整えているであろう髪は上質な樫の木のような艶を放っているが、大量の書類にもみくちゃにされ台無しだ。
それでも尚穏やかな笑みを崩さず、課長は新人に労いの言葉をかけた。
「エマさん。配属初日から迷宮を三つもこなすなど、大変だったでしょう。初めての迷宮はどうでしたか?」
「何と言うか……場所によって工夫のされ方が違うなあと思いました。ミミックに脅しかけてみたり、罠にわざと飛び込んでみたり」
ゴールデンゾウリムシの名は口に出さなかった。レア度も高いが、あれでは見つけたところでわざわざ触りたい代物でもない。
「今日の三件は比較的安全な迷宮をミカド君に選んでもらいましたからね。これからどんどん、過酷な案件も増えてくるでしょう。そういう時は絶対に無理をしないこと。肝に銘じてください」
ピーター課長の声がやや落ち、真剣みを帯びた。エマの背筋にピリリと緊張が走る。
しかし突然、バサッと課長の顔面に紙が貼りついて緊張感が断たれた。暴れ紙を引き剝がし一息ついて、元の柔らかな雰囲気を取り戻した。
「失礼しました。急ぎの書類はどうもせっかちだ。さてエマさん、定時には少し早いですが、時差ボケも心配ですし、今日はお帰りなさい。事後処理は先輩たちがやってくれます」
「ありがとうございました。失礼します」
エマが一礼してその場を辞した。マルスとソフィアは報告書作成に自分のデスクへ引っ込んでしまった。
「じゃあ俺も……」
「ああミカド君。少しお話いいですか」
自席へ向かおうとしたミカドを、課長の声が引き留めた。そのまま紙束の襲ってこない地帯へ案内され、小声で問いかけた。
「新人の様子はどうでしたか。君の目から見て」
「いい子ですよ。頑張り屋ですし、数こなしていけば迷宮内の瘴気耐性も上がるでしょう。それだけの見込みはあります。あと、防御魔法はかなりの腕です。あの調子では高度な回復術も使えそうだ。実戦経験を重ねてどれだけ化けるか楽しみですね」
「そうですか。それはそれは」
「ただ……」
ふと笑みを消し、ミカドは顎髭を撫でた。
「それだけに心配も。いい子すぎる。抱え込んでぶっ倒れねえように目ェ光らせておいた方がいいかもしれません。課長もそう思ったんでしょ、さっきの一言」
常のピーターが漂わせるのは、人当たりのいい柔和な空気。どんなに多忙でも、たとえ大量の紙束に襲われようと、先ほどエマに向けたようなピシャリと諭すような言動をとることは、普段しない。
そう指摘すると、ピーターは目元を柔らかく細めて言った。
「あの子だけではありませんよ。迷宮撤去事業に携わる我ら皆、気をつけておかねばなりません。私も、そして君もです、ミカド係長。忙殺という言葉に実際に殺されてはいけません」
──ミカドがふっと笑んだ。
よく笑う彼だが、部下たちに見せていたような余裕を感じさせるものでなく、弱々しいもの。
「課長……俺、ちゃんと“上司”やれてますかね」
その音は、書類の幕の向こうには届かない。ここでだけ、上司の前でだけ吐露される、か弱い音。
「あなたは良い上司だと思いますよ」
自らより頭半分も背の低いミカドの肩を、課長はポンと叩いた。
「ただ、少し甘やかし過ぎかもしれませんね。鞭を与えているつもりでも、水飴で出来た鞭では部下のためになりません」
「難しいッスねえ力加減。……ありがとうございます、課長」
「よろしくお願いしますよ。君がこの課へ来てくれて、私は本当に助かっているのです」
書類の弾幕を潜ろうとしたミカドは、課長を振り返りニヤリと笑った。
「いいですね。課長の“飴”、ご馳走様です」
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