第8話 ゴースト系ダンジョン・その2

 暗い迷路の中を、天使一行が列になって歩いている。

 ミカドがマップを空中に映しつつ、灯りも浮かべているが、やはり遠くまでは見通せない。更にこの迷宮、どこからともなくヒヤリとした空気が漂っている。


「エマ。こういうゴースト系迷宮では特に、こまめな聖水補給を心がけた方がいい。頻繁にチビチビ飲むのがおすすめ」

「分かりました、パット先輩」

「パットでいいってば。敬語もナシ。僕もその方が話しやすいから、ね?」


 ええっと……エマは落ち着かない様子で口ごもる。真面目な彼女は、ソフィアやマルスもパットも先輩であるのに、接し方に差をつけていいものか考えてしまう。


「適当にあしらいなさい。いちいち本気で相手することないわよ」

「酷いなあソフィア。僕はただ、気兼ねなく接してほしいだけだよ」

「煩悩まみれの天使がいたものね」


 ソフィアの言葉に苦笑いしつつ、エマは気になることがあった。パットが胸に抱えている本だ。

 

「パット……さんはもしかして、神語資格者ですか?」

「そうだよ。準一級神語資格です」


 パットはネームプレートを掲げて見せた。裏面にはたしかに「神語資格 準一級」と記されている。

 先頭を行くミカドが付け足した。


「神語資格者は回収係にもあと二人いるが、中でもパトリ君は一番扱える言語が多い。ゴースト系迷宮で面倒そうな案件はほとんど任せてる。“聖歌隊”って知ってる? 大天使直属のエリート浄化能力者集団。彼の古巣はそこだ」

「末席を汚す程度ですよ。準一級取ったのもつい四、五年前です」


 ちなみに天使の言う「四、五年」とは、地上界では四、五十年である。


「それに、僕なんてミカド係長の足元にも及びません」

「係長も神語資格持ってるんですか?」

「あー……うーん、何つーかね……術は持ってるけど使ったら偉い人に怒られちゃうんだ。無資格も同然」


 珍しくミカドの歯切れが悪い。ばつが悪そうに頭を掻いている。


「それで全部パトリ君たちに任せてるわけ。俺って意外と出来ること少ねえから役立たずなんだよね」

「謙遜はいいですから。それにほら、僕らの声に釣られて、悪霊が現れましたよ」


 パットの声に、一行が前方に視線を向けた。

 暗い通路の壁からひょろりと何かが生えてきて、寄り集まって人間の形を成した。その体は薄く透け、濁った中身が蠢いている。

 なかなかにグロテスクだ。あれに捕らわれたとしたら、どれほど怖気の立つ心地がしようか。


「低級ですね」

「嘘、これで!?」

「上級レベルになると、本物の人間と大差ないくらいに擬態できるんだよ。言葉を操る奴もいたりね。これは完全擬態には至れてないから、簡単に浄化できると思う」


 百科事典ほどもある分厚い本が開かれた。そこには読めない文字がぎっしりと詰め込まれている。


 この“神語”とは、文字通り神の言葉。その一部が天使に下ろされ、許しのある者は神に代わって作用を及ぼすことができる。

 ただし、数ある浄化魔法の中でも最上位の術であるため、資格を得るには非常に厳しい試験が設けられている。エマはいずれ神語資格を取りたいと考えているが、合格者数は極めて少なく、一番下位の五級資格ですらここ三年ほど(注:天界時間)合格者は一人も出ていない。


 パットの口から、聴き慣れない音が紡ぎ出される。言葉を解するのは不可能だ。

 紡がれた不思議な音に呼応して、悪霊の全身をまばゆい光が包み込んでいった。腹で蠢く澱みが徐々に浄化され、薄くなっていく。


「凄い……」

「だろ。ほら、もう終わる」


 侵食する光に悶えていた悪霊は、やがて許容量を超えたか、遠い悲鳴を上げて消滅した。

 パタンと本を閉じるパットは汗ひとつかいていない。聖水で喉を潤し、また柔らかに笑った。


「これで浄化完了。悪霊に対処できるのは、僕のように神語を扱う人か、光魔法を使える人くらいなんだ。今くらいの悪霊なら、エマにも対処できると思う」

「ええ……あまり自信がないです……」

「大丈夫。僕がついているよ。次、易しそうな悪霊が出たらやってみる? 強いのは僕が倒すから」


 優しい声に思わず頷くエマ。その横で、ミカドとソフィアがわざとらしく顔をしかめていたのだが、緊張マックスのエマと口説いている真っ最中のパットは気付かない。











  ゆらり──。


 蠢く澱みをはらんだ霊体が、通路の少し開けた空間に立ちはだかっている。

 震えるエマの肩をパットが抱き寄せた。


「大丈夫。リラックス。深呼吸して、狙いを定めて」


 穏やかな声に促されるまま、エマは深く息を吐いた。

 見据える先は、悪霊の腹。そこへ攻撃を当てる様をイメージする。


「そう。いいね。僕の合図で術を放つんだ。いち、に……さん、今だ」


 天使語でエマが短く詠唱。

 その音が見えない力を得、悪霊の腹めがけて放たれる。


  オオオ──


 命中した点が一気に破裂を起こす。

 遠い呻き声。のたうち回る影。


 ──そこへ止めの一発が撃ち込まれた。


「……当たりました?」

「うん。当たったよ」


 腹で再び光が炸裂し、幽かな末期の声を残して霊体は霧散した。

 あとには何も残っていない。しばし静寂に酔いしれたエマは、次の瞬間喜色満面で飛び上がった。


「やったあ! 倒せた! 私もできたあ!」

「おめでとうエマ。さすがだよ!」


 パットと両手でハイタッチを交わし、後方で控えていたミカドとソフィアを振り返った。

 二人はそれぞれ片手を上げた。笑顔の二人へ嬉しそうに駆け寄って、エマは彼らともハイタッチした。


「いいねえ、見込みあるよ、ウチの新人は。な、ソフィア」

「なあんだ攻撃できるじゃない。この嘘つきィ」


 エマの顔がソフィアに揉みくちゃにされた。女性二人は楽しそうだ。

 一方でミカドはパットに近寄り、耳打ちした。彼らが顔を険しくしているのは女性二人には見えない。


「パット、気が付いてるか」


 パトリ君などとは呼ばず、おどけた調子も消している。問いかけられたパットも真剣な表情だ。


「ええ。この真上のボス部屋、気配がおかしい。ボスとはいえ、漂ってくる瘴気が濃すぎるような」

「変異しちまってるかもしれん。安全第一、初手から全力でやってくれ。エマはかなり強い防御魔法を使えるし、ソフィアも身は守れるが……少し心配だ。特に自然物系天使のソフィアは影響受けるかもしれん。万一の時は俺も出る」

「心強いです。係長が付いてくるってことは何かあるかも……とは思ってましたけど、まさか変異ボスとはね。今度ははしません」


 部下と二人頷き合って、ミカドが全員に先へ進むよう呼び掛けた。

 角を曲がれば、そこには螺旋状に登り階段が伸びている。やや長い。塔の様相を呈しているようだ。


(宝物は滞りなく回収できた。途中現れたゴーストたちも、パットが簡単に浄化できるくらいに弱かった。……瘴気汚染はボスゴーストが一手に引き受けたか)


 先頭を歩くミカドは、部下たちには背を向けて顔に険を滲ませていた。

 携帯瓶の中身を一口飲む。その間も周囲に気を張り巡らせ、思索を走らせる。


(パットの神語は、効果の強い言葉を使おうとすると詠唱時間が長くなる。そこが肝になりそうだが……)


 ──どうも、いい予感がしない。


 その時、階段が終わった。

 固く閉じた両扉。どこからともなく冷気が漂ってくる。

 左右に灯された炎が冷気に揺れ、扉の風格を一段と増している。これまでエマが見たどのボス部屋よりも一線を画す雰囲気──のしかかる重圧感に、エマは唾を飲み込んだ。


「あの……何だか、これまでのボスとは違う感じがするんですけど……」


 エマは恐る恐る、先輩たちを見上げた。

 彼女の言う通り、扉からは邪気ともとれる空気が流れ込んできている。新人のエマですら感じ取れるほどの、強い瘴気。

 パットが神語を使って結界を張った。迷宮の主に挑む前に、一度準備を整えようというのだ。


「少し様子を探ってみた」


 聖水補給する一同を見回し、パットが切り出した。


「そんな気がしていたけど、確信した。ここのボスは変異している」

「変異……?」

「長くダンジョンの瘴気に当てられていると、瘴気耐性の高い迷宮生物モンスターも稀に毒されることがあるんだ。ゴーストが瘴気に侵されたものを“悪霊”と呼ぶけれど、この奥にいるのは元々が悪霊だったボスだ。それが更に悪化して、かなり強い悪霊になってしまっている」

「パットさんでも倒せないんですか」

「倒せるよ。ただ……」


 本を開き、ページを繰って唸るパット。

 ミカドが言葉を引き継いだ。


「詠唱に時間がかかるってんだろ。ソフィア、時間稼ぎ頼める?」

「引き受けましょう」

「サンキュー。エマは防御魔法で自分の身を守ること。必要があれば躊躇わずに攻撃魔法や銃を使いなさい」

「ミカドはどうするの? あなた一人、浮いた駒になるけど」

「俺はエマちゃんとパトリ君を守るよ」


 飲み終わった携帯瓶の蓋を閉めてミカドは唇を舐めた。いつも浮かべている笑みは消え、厳しい表情で全員を見回した。


「全員、手ェ抜くなよ。悪霊にさわられると厄介だ。特にエマ、出来るなら防御魔法は二重に張るといい。ソフィアも無理はするな、危ないと思ったらすぐ俺の傍に来い」

「やだカッコいい」

「どうも。んじゃ……行くぞ」


 結界が解かれ、ミカドが扉に手を掛けた。

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