第26話 素直“だけ”では生きていけない

 その後、情報交換がなされた後、上司たちがルイをいじり倒して会は解散となった。

 揉みくちゃになったルイはますます混乱していた。本当に、一体どういうわけで自分は呼ばれたのか、結局分からずじまいだった。


(内部犯である確証を得るために、係長が自分を呼ぶはずがない。何かあるはずだ)


 そうぐるぐると思い悩むあまり、ルイは気が付くのが遅れた。

 いつの間にか片付けの手伝いをさせられていることに。


(……タダ飯を食らうわけにもいかないし、これで正解なはずだ)


 我に返るとルイはクロスを片手に、洗い物を拭き上げていた。随分綺麗に拭いてくれるなとミカドが褒めてきている。斬新な褒め方だ。


「あの、係長。結局自分は何故このような場に呼ばれたのでしょうか」

「そりゃ君、かわいい部下にご馳走振舞うために決まってんだろ」

「さすがに怒りますよ」

「……冗談です。半分は」


 半分の理由は「ご馳走したいから」だったのか。鉄面皮のルイもさすがに溜息を禁じ得ない。


「嘘うそ。ちゃんと話あんだって。君さ、上の人に言われて俺の監視してるでしょ。今度の定期報告、“No.3”のこと喋るのはいいけど、テュトペス神のことは伏せてね。あと今日の会合のことも」

「ッ……いや、あの……えっ」


 ルイは危うく持っていた皿を取り落とすところだった。寸でのところでキャッチし、呼吸を整えるが……取り繕うには遅すぎた。


「……いつから」

「君の新人研修の時、識別番号シリアルナンバーなしの宝箱の解析頼んだろ。あの時こっそり俺のことも解析しようとしてたろ、それでもしかしてってね」


 ルイは絶句した。あれはほんの少し解析対象を拡張しただけで、気取られない確信があったというのに。


「それに最近、随分突っ込んだ質問してくるだろ? いやあ、もう可笑しくってな。君スパイ向いてねえよ。よく上も君に監視役任せようと思ったもんだ」


 ミカドは可笑しそうにくつくつ笑った。


「俺ァこう見えて結構監視の目が多くてね。管理課内にも君の他に何人かいるよ」

「知っていて放置しているのですか」

「君らに監視を命じた上の人への、せめてもの誠意さ。だから君は監視結果を正直に伝えればいい。皆にもそう伝えてある。……そんながっかりすんなって、君は分かりにくかった方だよ?」


 ミカドは明後日のフォローをしてからりと笑った。


「とにかくさ。テュトペス神のことを上の人には伏せてくれ。理由はさっきの会議出てたんだから分かるよな」

「はい」

「良し、いい子だ。片付け終わったら茶にしようぜ。あ、それ下から二番目の棚にテキトーに突っ込んどいて」




 大量の皿洗いと会場復元が終わり、すっかり元の官舎に戻ったミカドの部屋で、ルイとミカドはテーブルを挟んで向かい合わせに座っていた。

 会の最中は気にならなかったが、人がいなくなると物のなさが際立つ。恐らく官舎備え付けらしい家具とカーテンのほかは何ら飾り気なく、写真や植物の一つもない。


「そんなに俺の部屋が物珍しいかい?」

「生活感がないなと思いまして」

「ここじゃあ寝るだけだからな。あ、隣の部屋は開けるなよ。俺の秘密部屋だから」


 開けるなと言われれば開けたくなるのが人の性、しかしルイは天使なのでその言いつけに素直に頷いた。それを見てますますニッコリするのがミカドである。


「いやあ、ほんっと君ら天使って純真無垢だよねえ。癒されるわ」

「貴方も一応天使でしょう……」

「そりゃね。でもな、君はちょっと汚れた方が良いぜ。将来が心配だ」


 係長、それは悪魔が囁くセリフです。


「さてルイ、本題だ」

「先ほどの件が本題ではなかったのですか?」

「俺ァそんなこと一言も言ってねえぞ。……ダンジョンで君に酒を飲ませたろう」


 鏡世界の最奥でルイが呪いに侵された時の話だろう。ルイは頷いた。


「あれ、実はかなり強い術でな。どうだい、その後変化は?」

「いえ……思いつく限りでは特に」

「そうか。だが、このままでいると確実にが出てくる」



 ――ず、と。



 部屋の空気が重たくなった。

 ミカドが立ち上がっていた。彼を中心に、何か力の渦のようなものが生まれている。視界が歪む。平衡感覚が揺らぐ。


「貸し与えた“盃”、返してもらうぞ」


 ルイは動けなかった。指先一つ、視線を外すことすら叶わない。

 伸ばされた片手がルイの視界を覆った途端、全身から何かが吸い取られる感覚に陥った。堪らず目を閉じたその瞼に、ルイは自分の記憶にない映像を見た。




 波打ち際に、黒髪を括った男が歩いていた。

 地平の向こうからは黒い津波がうねるように押し寄せてくる。男は津波に向かって歩いていた。腰に差す刀を引き抜き、刀身と津波とを見比べて、笑った。


 『この土地が続く未来を思えば、俺の身一つなんぞ大した犠牲でもねえ』


 ――覚悟ばかりがぎらついた、悲壮な笑みを。


 『頼むぜ三門みかど様、あんたを護ってきたのはこのためだろ』


 すぐそこまで迫る津波を前に、男は刀を自らに向け――。




「――ッ!」

「よっ。おはようルイ君。いい夢見れたかい?」


 テーブルに突っ伏していたルイは勢いよく体を起こした。正面には先ほどと同じ、上司の姿。自分の前には湯気の立つ茶が置かれている。


「まずはそれ飲んで落ち着くといい」

「い、いただきます……」


 こくりと喉を鳴らして飲んだ茶は、強張っていた全身をゆっくりと解いていった。次第に気分が落ち着くと、ルイの思考もだんだんと整理がついてきた。


「“主”が注いだ酒を対象と飲み交わした比率の分だけ、互いの状態などを同期する術。それが“親子の盃”」

「自分を酒で助けてくださった、あの術ですか」

「そう。君は一口、残りは俺が飲んだから、親は俺。そうすることで君の受けた呪いを肩代わりしようとした。あの呪いは俺には効かねえからな」


 ミカドも湯呑を啜って、遠い目で窓の向こうを見た。


「今回は正規の手順を踏んでねえから、効果も絆も弱い。だが仮にも“親子”の絆を結んじまった。術の取り消しにも代償を伴う」

「……では、今自分が見たのは……」

「うん。俺の過去の記憶だね」


 髪型こそ違えど、あの男は目の前にいる上司本人だった。

 だが解せない点が多い。ルイがそれを口に出そうとすると、武骨な手がストップを掛けてきた。


「俺の過去について口にすることは禁じられてる。天界にいられなくなるんだ。だが知られた以上、俺はこれを利用したい」


 ミカドは居ずまいを正した。いつもの上司の姿が、その瞬間、いつもよりもやつれて見えた。


「君に個人的な頼みをしたい。もちろん断ってくれてもいい。取引をしないか、ルイ」


 向けられた視線の奥に、自らに刀を向けたあの凄みをルイは見て取った。今夜で何度目だろうか、ルイはまたも生唾を飲み込んだ。

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天界連合ダンジョン局 奥山柚惟 @uino-okuyama

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