はじまり3
宿屋の店主は優しそうな老紳士だった。夜は酒場の役割も果たしているらしく、白シャツにベスト、エプロンという出で立ちで快く俺たちを出迎えてくれた。ここまで来るまでに出会った街の人たちを見ても、外の人間に対する抵抗はあまりないようだ。こちらとしては有り難いが、その危機感の無さは心配である。
因みに、宿代はホウショウが全額支払ってくれた。一泊二日の朝食付きが二人分で、8万3千エンぺだった。エンパイア王国では「エンぺ」という通貨の単位が採用されている。エンパイア銅貨が百エンぺ、エンパイア銀貨が3千エンぺ、エンパイア金貨が1万エンぺという風に硬貨の価値が決まっているのだ。硬貨の他にも二種類の紙幣が存在し、3万紙幣と7万紙幣がある。お金の単位や価値は国によって違うため、最初この国に来たときは戸惑ったものだ。まあ、俺が生まれた国のお金の価値が理解できるようになったのも物心ついた時からだから、そこまで大差はないのだが。
なぜホウショウがそこまでするのか分からない。少なくとも、一泊二泊泊まれるぐらいの蓄えはあったし、俺はホウショウにそれを主張していた。しかし、ホウショウは頑なだった。責任感の強さ故だろうか。それともただの善行か。いずれにしても、俺の得になったことには違いない。どこに真意があったのか俺に分かるはずもなかった。俺はホウショウではないから。ただ、どうでも良いことがどうしても気になってしまう。俺がそういう性分っていうだけだ。
「教会」
お互いが部屋に入る前、ホウショウに声をかけてみた。
いつもはホウショウに話しかけてもこちらの方を見ないが、今回は違った。その単語を聞くと、ゆっくりと振り返ったのだ。一瞬、目線が合う。まるで空気が解けていくような気がした。暫くの沈黙の後、ホウショウは口を開く。
「……ここへは遊びに来たわけではない」
相変わらずピクリとも笑わず、そう言い放った。
本当はホウショウも教会の話に興味を持っているのだと思う。それなのに、返ってきたのはいつも以上に固い言葉だった。
自分の思った通りに行動できない理由があるのだろうか。考えすぎか。だが、国立軍だからといって、ホウショウは考え方が偏りすぎている気がする。それに執着するあまり、型にはまったルールに縛られているように見える。杞憂であれば良いが、今のホウショウの状態は少し危険な香りがする。
「いやー、でもそんなに急いでないしさ、ね、ちょっとだけ」
尚も食い下がり、頼んでみる。
不思議だが、老婆の話からどうしても教会に行かなければいけないと思ってしまった。長年旅している者の勘みたいなものだ。そこに行けば、自分の何かが変わるような、そんな気がした。ホウショウに聞いてはいるが、実際、俺の中では決定事項に近い。どうしてもホウショウには頷いて欲しかった。
「……少しだけだぞ」
いつもより少し軽薄さが抜けた俺の目を暫く見続けた後、ホウショウは観念したようにため息をついた。
ホウショウに返事を貰えた喜びを胸にしまいながら、ホウショウと別れる。
自分の部屋の扉を閉めた。明日はきっと面白いことになる。明日の出来事を想像しながら、その高揚感と共にベットに寝た。俺の勘は外れたことがない。明日のことを考えれば考えるほど、眠りにつけるか不安になった。
夜は更けていく。剣は周りに擬態する。黒いそれは自分の存在を証明するようにチトセの隣で強く光りだす。不穏な空気が彼らを包み込んでいた。
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