事態1
小鳥のさえずり、眩い光が朝の来訪を知らせてくれる。
まだ眠たいのか、欠伸が止まらない。欠伸をするときに涙が出るのはなぜなのだろうか。ふと、そう思った。普段涙を流さない人は欠伸をすることで発散しているのだろうか。理屈よりも感情だ。そうすると、涙を流さない人ほど欠伸をするということになるが、もちろん人前で涙を流す人は多くない。弱さを見せるということは人前で全裸になることと同様だ。自分の弱さはみんな自分の中に隠していたいもの。そう考えたら、この問題の答えは一生見つけられない気がしてきた。俺の今後の生活には全く無関係のものだから、考えるだけ無駄だったかもしれない。
思考が頭の中を回っていると、俺の部屋の扉を叩く音がした。きっちり二回。ムラがないはっきりとした音に、扉の向こうにいるのが誰だか分かってしまう。
「はーい」
軽く返事をする。しかし、待てど暮らせど、誰も部屋に入って来ない。もしかしたら、こちらから扉を開けない限り、入って来ないつもりかもしれない。どこまでも徹底しているなと思う。
「はい、はーい」
仕方がないから扉を開けに行く。
軽薄な声と笑顔は忘れずに。自分の装いを確かめながら、扉の前に立つホウショウの目を見る。ホウショウは昨日と同様、国立軍の正装をしていた。
どこまでも揺るぎないなと思う。ホウショウこそ人前で弱さは一切出さないタイプかもしれない。自分は強いと思い込んでいる。みんなそれぞれ弱さがあることに気づけてない。だから、一番弱った時に付け込まれやすい。これはまだ、数日の付き合いである罪人が言う戯言でしかない。だが、心配ではある。
今でもホウショウと出会った時の感覚が残っている。右鎖骨らへんにある古傷が赤く光り、強烈な痛みが俺を襲った。古傷の部分を触ってみる。今は何ともない。一体あれは何だったのか。原因は未だはっきりしていない。今のところ、ホウショウが近くに来た瞬間にそれが起こったという情報しかない。不安だ。不確かなものは思考できるから好きだが、今回のは俺の手が届かない力が加わっている気がする。形のない雲を訳も分からず掴むようなものだ。一生自力では理解できない。
「遅い」
ドアを開けると、そこには普段よりさらに悪人顔になったホウショウがいた。額の皺が濃くなり、目つきは鋭さを増している。
驚きに、暫くの間思考が停止してしまった。
「あー、ごめん、ごめん」
空気が重たくならないように、取り敢えずそう答えた。
俺の言動がホウショウにとって気分を害するものだということは反応を見れば明らかだった。だが、この様子はそこから来るものではない気がする。感覚的なものだが、平常とはどこか違う。
「さっさと行くぞ」
やはり声が固い。よく見れば、どこか動きもぎこちない。
ホウショウが目を見開いている。気づいたら、俺の手はホウショウの手首を掴んでいた。自分でも何が起きたか分かっていなかった。なぜ、そんな表情で俺を見ているのだろう。
考えるよりも行動が先に現れてしまったことに驚きが隠せない。
「なんだ」
「えーと」
目を泳がせながら次の言葉を探す。時間が過ぎればすぎるほど、事態が悪化していくような気がした。
「あ、朝ご飯は何かなぁって思って」
ホウショウに対して、様子がおかしいことを直球で聞くのは違う。まずは、どうでも良い話から始めようと考えた結果、絞り出した言葉だった。
「……」
沈黙が怖い。ホウショウの答えを待ったが、反応がない。
意を決して前を見ると、そこには顔色を悪くしたホウショウがいた。傍から見ても、異常事態であることが分かる。そこからの俺の行動は早かった。
「こっち」
冷たい手を引き、自分の部屋へと招き入れた。先刻まで自分が寝ていたベッドへ座るように促す。ホウショウはされるがままだった。余程具合が悪いのだろう。座ったホウショウの前に跪き、ホウショウの額へと手を当てる。
「あつい……」
そこは思ったよりも熱を持っていた。
何かの感染症か、それともただの風邪か。出来れば後者の方が有り難いが。そう思いながら、ホウショウの着ている軍服の上着に手をかける。楽な格好の方が寝かせやすいし、ホウショウの具合も良くなりやすいのではないかと思っての行動だった。
「……どうしたの」
軍服を触った方の手首が誰かに掴まれる。相手は見なくても分かった。
出来るだけ、優しい声で聞いてみる。
「さわ、るな」
弱弱しい音が二人の間に落ちた。
それは、今まで見てきた堂々としているホウショウの姿の影形もない。ただ残っているのは自分が国立軍であるという尊厳だけのように見えた。
俺は力ない手を振り払い、少し強引に軍服を脱がす。国立軍か。そんなもの表面だけの肩書だ。こんな状況になってまでそんな薄っぺらいものに執着するホウショウに怒りが湧き上がってくる。自分でもなぜ怒っているのか分からなかった。ホウショウをこんなに心配する理由もない。介抱する義務もない。ただ、俺は自分の感情のままに動いていた。
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