真実4

「どうして、聞こえないの」


 どうやら疑問らしい。ゆったりとしたその音に睡魔がやってきそうだ。しかし、怒られたばかりだし、子供より早く寝入る訳もあるまい。


「どうしてって?」


「心が聞こえない」


 不思議なことを言うなと思う。今彼は心が聞こえないと言ったのだろうか。確かに、俺も人の心を聞きたいと思ったことは人生の中で数えきれないほどある。分からないことほど怖いものはない。


 人と関われない要因は明らかであるが、そういう自分の中で大切にしているスタンスを壊したくはない。それでいて、一人は嫌だ。矛盾したドロドロとしたものが自分の中を巡っていくのが分かる。面倒臭いと思うだろうか。そう思ってくれて構わない。


「どうせ、誰も信じない」


 何も言わない俺に何かを察したのか、俯きがちに少年はそう吐き捨てた。表情に影が落ちる。その表情に既視感を覚えた。どこかで見たことのある表情。今にも泣きそうな少年を助けなくてはと思ってしまった。今すぐにでも大丈夫だと言ってあの子の手を握りたい。だが、自分の意に反して手が動くことはない。加えて、そんな俺の薄っぺらい言葉で救えるのだろうか。今日会った初対面の少年に。気味悪いオトナだと思われやしないだろうか。もしかしたら、少年が求めている言葉ではないかもしれない。


 大切な人を助けられなかった俺。ホウショウと出会った日に見た屍たちを思い出す。誰も救えず、見殺しにする俺。ああ、結局変われていないのだ。あの頃と全く変わらない。世界を憎むだけで、自分で行動しない。そんな俺が嫌になる。


「皆、信じない。こんな真っ暗な世界好きじゃないのに」


 段々と少年の気持ちが高ぶって行くのが分かる。少年の燃えるように熱い感情が俺へと流れ込んでいくように思えた。


 真っ暗な世界か。俺もそう思っていた。今も思っている。この世界は裏切るのが本当で、この世界は醜いもので溢れている。


「でも、本当は奇麗だから」


 ああ、目の前の少年はそれでも信じ続けているのだと気づく。生きにくいだろう。それでも、俺が遠くの昔に捨て去ったものを今も持ち続けている。急に少年が眩しく見えた。俺とは完全に違う人種だ。手を握らなくて良かった。俺が触ってしまったら、穢れてしまう。俺が触れて良い子ではない。


「……人の心が聞こえるの」


「うん」


 消え入りそうな少年の声に胸が痛い。身が引き裂かれるようだった。この感情に名はあるのだろうか。思わず肯定とも相槌とも捉えられるような返事をしてしまった。


 少年の目に膜が張るのが分かる。きっと今、俺もこのような表情をしているのだろう。少年の思いが全身にぶつけられているような気がした。


「でも、聞こえない。安心する。何も聞こえないから」


 少年は膝をつき、俺の胸の鼓動を聞くように、耳を寄せる。心が聞こえない方が安心するか。


 この小さな体で今までどれほどの人間の欲と向き合って来たのだろうか。それを全て流してしまうことも出来るのに。この少年は全てと向き合って来たに違いない。


 人間に侮蔑の目を向けられたら、その感情が生まれないように努力する。虚しい努力だ。その感情になんて、意味がないことの方が多い。どれだけ努力したところで、少年に優しく微笑むことはないのだから。


 それでも、俺が忘れてしまった美しい心を今も持ち続ける少年に何かしたいと思ってしまった。この少年は守られなければならない。


 俺は動かない腕を無理やり動かそうとする。傍観者の自分と決別する。いつまで俺でいるつもりなのか。自分を叱責し、腕を力いっぱい持ち上げる。


 やっと届いた少年の背は震えていた。優しく撫でることで少年を落ち着かせる。その瞬間。支配したのは静寂。何が起きたか分からなかった。腹付近を触ると、生暖かいモノに当たる。その手を横目で見ると、鮮血に染まっていた。


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