はじまり2

「随分暗くなったね」


 逃げようと思ったものの、中々そういうタイミングもなく一日が過ぎようとしていた。俺たちの間には会話らしい会話はない。だが、それでいい気がした。


「そろそろ休もうか」


「……そうだな」


 王都への道は順調に進んでいる。このまま行けば予定通り三日四日で王都に着くことが出来るだろう。そして俺は王都で裁判にかけられる。そう考えると、なぜ俺は馬鹿正直に従っているんだろうか。我に返ると、自分の行動が矛盾だらけなことに気が付いた。


「ねえ、ちょっとトイレ行ってきたいなーなんて。あっちでしてくるからちょっと待ってて」


「だめだ。ここでしろ」


 笑顔は忘れず、逃げるための言葉をすらすらと述べた。しかし、向こうの方が一枚上手だったらしい。草むらを指した指が所在なさげに揺れる。


「えー、まさか。してるところ見たいの?そういう趣味があったとは」


 負けじとおどけた様にそういうが、ホウショウの冷たくなっていく目線に段々と声が小さくなっていく。一気に気温が下がっていくのが分かった。


「えっと、やっぱりいいです」


 折れるしかなかった。ここで他の人がこの状況を見たら、俺を意気地なしだと嘲笑するだろうか、それとも可哀そうだと同情してくれるだろうか。どちらかというと、後者でお願いしたい。あの目線に勝てる人などいるのだろうか。それほど冷徹で凶悪な目つきをしていた。表向きは従った方が良いだろう。第一印象が最悪だったからかホウショウには良く思われていない。これ以上ホウショウを逆なでする言動は控えた方が良さそうだ。


「確かもう少し行けば小さな街があるはず。そこで宿を探すのはどう?」


「……よく覚えているな」


「え、ああ、まあ、記憶には自信があるから」


 最初何を言われているのか分からなかった。ホウショウは主語をつけないことが多い。


「……記憶。すごいな」


 脳内の処理が追い付かない。暫くの間、俺は立ち尽くしていた。筋肉のついた広い背中が視界に入る。「すごいな」ホウショウが言った言葉を何回も脳内で反芻する。一番言うはずのない言葉だ。心なしかそう言ったホウショウの顔はいつもよりも緩んでいた。


「どうした」


 俺がついてきていないことに気が付いたのか、ホウショウがこちらを振り返った。いつもの仏頂面だ。どちらかというと、いつもの顔の方が安心する。


しかし、なるほど。ホウショウに対するイメージを少し変えた方が良さそうだ。厳格で、人を正確に評価できる柔軟さはある。他人に興味がないように感じていたが、ある程度は俺に興味を持っていてくれてるみたいだ。


今の発言は唐突すぎて準備が出来ていなかった。予測できない相手は危険だ。懐に入りにくいから。もう少し観察する目を養っておかなければと思った。


「止まれ」


 街の前には衛兵が二人立っている。どうやら怪しいものが街に入らないようにしているらしい。こんな小さな街に検問があるとは思ってもみなかった。ホウショウと会ったあの辺境の地の様子から、国に小さな街一つ一つに衛兵を派遣するお金があるとは到底思えない。王都に金をつぎ込むが、他はほったらかし。この国のほとんどの場所を見てきたが、そういう印象だった。


 国からの派遣ではないとすると、街独自の組織があることになる。


 思ったよりもしっかりした街のようだ。


「ホ、ホウショウ様でありますか。国立軍の。これはとんだ失礼を」


「いや、大丈夫だ。こっちは俺のツレだ。身元は保証する」


 知らない間に衛兵とホウショウの間で話が進んでいるようだ。


 一応、ホウショウの中では俺は罪人だ。目立つのは避けたい。だから、ここで話に割って入るのは得策とは言えないな。衛兵とホウショウの会話を流しながら、そんなことを思っていた。


「俺が罪人だってこと、言わなくていいんですか、ホウショウ様」


「……言ったらどうなる。街の人を不安にさせるだけだ。それに、貴様が一般市民を傷つけるようにも思えないのでな。それと『様』をつけるな。『様』をつけるのは己が敬愛出来る人のみだ」


「そんなこと言って、俺が一般市民を普通に傷つける悪党だったらどうするつもり?」


「その時は俺が責任をもって捕縛する。人を殺したとなれば一生軟禁生活は免れないだろう。覚悟しておけ」


 ホウショウが国立軍に所属していることを明かしたことであっさりと街の中に入れてしまった。もちろん感謝の気持ちはあるが、ただ素直に言葉にするのは俺たちの関係性からためらわれた。こうやって悪態をついて嫌われた方が動きやすいことは確かだ。


 改めて街の様子を一通り観察する。一言でいえば、王都のような活気こそないが、穏やかな暮らしが出来そうな場所。住民は貧困に苦しんでいる訳でもなく、普通にここでの暮らしを楽しんでいるように思えた。


「すまない、この街におすすめの宿があったら教えてくれないか」


 ホウショウが声をかけたのは庶民的な服装をした老婆だった。腰が曲がり、杖をついている。見たところ怪しいところはなさそうだ。


「あんたたち、旅人かい?この街に旅人さんが来る日が来るとは考え深いねえ」


「……」


「この街にはこれといって名産品はないが、住む人は良い人ばかりだ。こう見えても、生まれてこの方、ずーっとここに住んでいてね。人生に迷ったらこの街に来ると良い。なんせ、ここに住む人間はほとんどが王都から逃げてきた奴らばかりだ。人間がいる場所に疲れたのさ。」


 お婆さんは止まらない。


「ああ、そうだ。この街に来たんなら教会を見ていくといいよ。あれが街のシンボルになっている。誰でも入れる仕組みになってるんだ。中には一人の神父様とたくさんの子供たちがいる。あの神父様は尊い人だねえ。この街が安全なのはみんなあの神父様のおかげだよ。あの子供たちも神父様が拾ってきたんだ。最初は皮膚だけの可哀そうな見た目でねえ。でも今はあんなにも元気に走り回っている。ああ、あの神父様の善行は街のみんな知っているよ。街のために、街にいる若者を集めて警備兵を作ったのも神父様だ。今では神父様に頭を下げない住人なんていやしない。ああ、なんて徳が高い人だ。この街に来たんなら、会っていく価値はあると思うけどねえ。じゃあ、あんたたちにとってこの街が良い思い出になることを願っているよ」


 老婆は気が済んだのか、立ち去ってしまった。俺たちの間に長い沈黙が流れる。


 それにしても、面白い話を聞いた。目的の内容ではなかったが、この街のことがよく分かった。おそらく、嘘はついていないだろう。そういう気配はなかったし、何より嘘をつくメリットがない。なんなら、この街を単純に自慢したかっただけかもしれない。


 神父様か。たくさんの人に愛され、必要とされている。打算も何もないただの善人。そんな人間この世に存在するのかと思う。何か裏がありそうだ。


 俺には関係のないことだが、興味惹かれる話ではある。ホウショウがどんな反応をするのかも気になった。少し影があるあの純粋さが穢れて堕ちていく瞬間に立ち会えるかもしれない。それは汚い人間の「欲」。それに触れた時、あのまっすぐで厳格な男はどういう方向に向かっていくのだろうか。


 ホウショウについてきたことは強ち、間違いではなかった。こんなにも俺に楽しさを提供してくれる。様々な可能性が見出されている。それはオルガズムの高揚感と似たものだった。俺は楽しいことが何より好きだ。もっと、もっとこの高揚感を味わっていたい。


 結局この日は近くにいた買い物途中の奥様に宿の場所を聞いた。なんでもこの街には宿が一つしかないらしい。ここに来る人のほとんどが定住を考えている人たちである。旅人や冒険者が来るのは稀で、今のままでも困ることはないという。


 宿に向かうホウショウの横顔を盗み見たが、いつもの仏頂面だった。今何を思っているだろうか。ホウショウは感情が読み取りにくい。明らかに、教会の話は気になる話だったと思う。それとも、俺に興味はあるが、他には興味を持てないのか。分からない。まあ、簡単に分かったら、人間ではない。それだとつまらない。


 教会か。宿に着いたら、それとなくホウショウに話題を振ってみよう。どんな返答が返ってくるだろうか。考えるだけでも面白い。


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