過去ーチトセー1

「チトセ、どうしたんだよ。早く行こうぜ」


 視線を上にすると、泥だらけで、ボロボロな服を着た少年がいた。ああ、懐かしい。


なぜ、懐かしいと思ったのだろうか。自分の掌に視線を移す。どこか小さいような気がした。見える景色にも違和感がある。


「どうしたんだよ」


 気づいたら、少年が俺の近くに来ていた。この少年を俺は知っている。記憶と少しも変わらない姿に涙腺が緩んでいく。記憶……。なぜそう思ったのだろうか。この少年とは毎日共に過ごしているのに。どんどん得体の知らない違和感が大きくなっていく。


「チトセ、チトセ」


 その呪縛から解き放ってくれたのは俺のよく知る声だった。


「チヨダ……」


 思わずその名を呼ぶ。


「ほんと、どうしたんだよ。どこか具合が悪いのか。それなら、今日は休んでた方がいいな。大丈夫だって。ちゃんとお前の分までくすねて来てやるから」


 俺に向けられた悪意のない無垢な笑顔に安心する。だから、俺はずっとこいつといられたのだ。


 今まで大人たちの私利私欲に振り回されてきた。思い出すだけでも寒気がする。それぐらい、この腐った世界は俺たちに優しくない。チヨダと出会ったのは偶然だった。


 無知な俺は自分が生きていく術も分からず、路上で野垂死にするのかと、覚悟していた。その時、手を差し伸べてくれたのがチヨダだ。チヨダは俺と違った。その真っ黒な瞳はただひたすらに生きたいと訴えかけているようだった。それはまさしく、生への渇望。生命の光。その目を見た時、俺も同様にまだ生きていたいと強く思った。


 チヨダは自分の過去や身内については多くを語らなかった。しかし、一人で生きる方法はたくさん教えてくれた。食料を屋台から盗む方法や、捨てられた金属を集めて売る方法、自分たちの拠点の情報を察知する方法など、何でも提供してくれた。背中を預けられる仲になるまで時間はかからなかった。


「本当にどうした。なんか、変だぞ」


 どこかから盗んできた果実を俺に渡しながら、チヨダは心配そうに覗き込んでくる。案外、心配されるのも悪くないと思ってしまっている俺がいた。この時間がずっと続けば良い。チヨダとこうして二人だけで助け合って生きていく。思い描いた未来が徐々に色づいていくような気がした。


「チトセ?」


「何?」


 心配そうなチヨダに笑顔で答える。これが自然だと思った。しかし、チヨダの顔は徐々に曇っていく。不思議に思っていると、


「どうして、泣いてるんだよ」


 俺以上にチヨダの方が辛そうにしている。歪められた顔に手を伸ばし、チヨダの頬を撫でる。


 自分でも涙を流す理由が見つからない。この感情はどこから来るのだろうか。分からない。何もかも。俺は混乱している。何が本当で、何が偽りかも区別がつかなくなっていた。ただ、俺の心の中にあるのはチヨダと共にいたいという強い執念だけ。








 もうあそこへは帰りたくない。ここにいれば、何も失わずに済む。心の奥底に閉まられた世界は見て見ぬふりをしてしまった方が良い。その方が楽になれる。もう、すべてを手放して、俺はこの世界で。


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