第2話 寒い春山の過ごし方

 

 


「ほれ、こうやって使うんだ」

「ほぇー、すごいね!」


 結局俺は炊きたてご飯を放置して、少女──メイリさんのテントまで着火のレクチャーをしに来ていた。

 久しぶりに手にしたファイアースターターだったが、使い方は熟知していた。


「だいたい、こんな太い薪にいきなり火がつくわけないだろうが」


 メイリさんが腰掛けるクーラーボックスの前、真新しい焚き火台の上には、束で売っているそのままの薪がごろごろと置かれていた。


「えー知らないよー、キャンプするの初めてなんだもん」

「……は?」


 え。

 初めて?

 それでいきなり、ソロ?


「え、なめてんの?」

「はぁ!?」


 怒ったらしく、メイリさんは俺を睨んできた。


「誰でも初めてはあるでしょ! たまたまそれが今日だっただけ!」

「いや、そうじゃなくて」

「だいたい、初心者が困ってたら助けるのが先輩じゃないの?」

「いやいや、知らんし」

「なんでよ!」


 ──この女、最悪だ。


「やっぱり、なめてるな」

「なにをよ。別にキャンプをなめてなんかないから!」


 自分がどういう状況か、まったく分かっていないのだ。


「お前がなめてるのは、自然だ」


 眼光鋭い少女の目を、じっと睨む。


「いいか。お前が今やってるのは、キャンプじゃない。だだの自殺行為だ」

「は?」


 少女の語気が荒くなる。が、そんなことは構わない。

 これは命に関わることだ。


「自然ってのはな、怖いんだよ。寒い時期の山なんてなおさらだ。火が起こせなければ寒いし、場合によっては凍えて命に関わる」

「そ、そんな大げさな」

「大げさじゃねぇ。この時期の朝方、このキャンプ場の気温はマイナスになるぞ。それ、知ってるのか?」

「ほら、テントも寝袋もあるんだから大丈夫でしょ!?」


 少女がテントから引っ張り出したのは、たしかに寝袋だ。しかし。


「全然大丈夫じゃねえよ。これ、夏用のだろ」

「え」


 明らかに薄いその寝袋は、たぶんホームセンターなどで売られている、一番安くて薄い物だ。


「そんなぺらんぺらんな寝袋で、冬の夜の寒さから命を守れるかよ」

「で、でも、もう春じゃん」

「春でも夏でも、寒くなったら一緒だ」


 ため息混じりにテントを見遣る。

 ああ、これもダメだ。


「それにな、それテントじゃねぇよ」

「え」

「それ、サンシェードだ」


 少女の背後に張られているのは、一見迷彩柄のテントに見える。が、その実それは夏の浜辺などで使う、薄っぺらい日除け用だった。


「で、でも……安くて一番簡単そうだったから」

「そういう問題じゃねぇ」


 もう、ため息も出ない。

 こいつはなんの予備知識もなく、キャンプ地の下調べもせず、ぶっつけ本番でここに来たのか。

 諦めた俺は、腰のポーチに常備していた麻縄を綿のようにほぐして、ファイアースターターで火をつける。

 そのか細い火が消えないように息を吹きつつ、枯れ葉で包み込んで火を移し、少女の焚き火台に放り込む。


「あ、ちょっと!」

「あ?」

「教えてくれるだけでいいのに!」

「うるせぇ。何時間も頑張って火がつかなかったんだろ?」

「でも、次はつくかもしれないじゃん!」

「つかない。お前には確実に着火させる知識と技術が無い」

「でも!」

「このまま焚き火なしでお前が風邪でも引いたら、俺の夢見が悪くなる」


 ついでに、じいちゃん所有のキャンプ場の評判が落ちる。

 弱く燃える火種に枯れ葉を追加し、息を吹きかける。

 少し火勢がついたところで細い枯れ枝をくべて、さらに息を吹く。

 火勢が保たれているのを確認しつつ、薪の束から細いのを選んで、腰に差したナイフをなた代わりにして細く割っていく。


 バトニング、というやつだ。


 少女はぽかんと見ているが、知ったことではない。

 細く割った薪に火が燃え移ったタイミングで、新たに細い薪を投入。

 そこから順々にくべる薪を太くしていく。

 そして、五分。

 焚き火台の中のすべての薪が勢いよく燃え始めた。


「ほれ、これでいい。あとは自分で何とかしろ。言っておくが、今夜はめちゃくちゃ寒くなるからな?」

「う、うん……」

「毛布とかフリースとか、なにか防寒できる物はあるのか?」

「な、何もない、かな」


 うわぁ、準備不足にも程があるだろ。


「防寒対策くらいちゃんとしろよ」

「だって……動画ではそんなことしてなかったし」


 メイリさんが差し出したスマートフォンには、煌々こうこうと燃え盛る夜の焚き火が映されていた。


 なるほどね、この動画を観てソロキャンプをしに来た訳……ん?

 これ、中学の時に俺が一回だけ投稿した動画じゃないか。

 場所はじいちゃん所有の、このキャンプ場。

 宣伝になるかと思って、親父に撮ってもらって投稿してみたけれど、さほど効果が無かった代物だ。

 しかし……なら仕方ない、か。


「……ペットボトルはあるか?」

「あ、ある。水のやつ!」


 バタバタガタガタとクーラーボックスを開けてメイリさんが引っ張り出したのは、ミネラルウォーターの大きなペットボトルだ。


「寝る前に湯を沸かせ。それをペットボトルに入れて、タオルを巻いて抱いて思いっきり厚着して寝袋に入れ。少なくともそれで死なずに済む」


 ペットボトルを湯たんぽ代わりにする方法は、かつて今日より寒い日に俺自身がやったやり方だ。

 さすがに朝になる頃にはペットボトルはぬるくなっていたが、それでもしっかりと体温維持はしてくれた経験がある。


「いいか。自然を、山をなめるなよ」

「あ……」


 そう言い残して、俺は自分のテントに戻った。


 炊きたてだったご飯は、すっかり冷えていた。

 まったく最悪だ。

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