第26話 2日目 領域

 



 夕食の時間。

 俺は持参していた角型飯ごう、メスティンを持ってコテージのリビングに戻っていた。


「ごめんね、師匠」

「気にするな」


 カウチソファーに座る雪峰ゆきみねの左足首には、包帯が巻かれている。




 ──あの時。


 ゴールを目指して立ち上がろうとした時、雪峰ゆきみねが悲鳴を上げて飛び退いた。


「へ、ヘビ!」

「動くな!」


 急な動きは、野生動物を刺激しかねない。

 それに、基本的に日本のヘビはおとなしい場合が多い。

 日本にいる野生のヘビで毒を持つのは三種類だ。

 マムシ、ハブ、そしてヤマカガシ。本州には、マムシとヤマカガシしかいない。

 マムシやハブの毒は有名だが、ヤマカガシは近年まで毒が無いと認識されてきたヘビだ。

 雪峰ゆきみねの視線を追うと、二メートルくらい先に体長五〇センチほどの褐色のヘビを見つけた。

 色はマムシに近いが……。


「それはヒバカリ、だな」

「し……芝刈り?」


 それは昔話のおじいさんだ。


「ヒバカリは、その日ばかりの命、が語源」


 冷静に説明する大門だいもん先輩だが、その説明は今は逆効果だ。


「え、毒ヘビ……」

「大丈夫だ。毒は無い」

「で、でも」


 俺は、ゆっくりと足元の石を拾って、ヒバカリの前に落ちるように放り投げた。

 目の前に石を落とされたヒバカリは、すぐに茂みの中へ逃げて行く。


「はぁ助かった……ありがとう、師匠」


 たまたま知っているだけで、別に礼を言われるような事ではない。

 ただ、大きな瞳を潤ませて見上げてくる雪峰ゆきみねが無事だった。

 なら、それでいい。


「ボクも、鹿角かづの先輩みたいに男らしくなりたい、なぁ」


 新井は、戦隊ヒーローを見る子どもの目で俺を見つめてくる。

 もしくは買えないトランペットをショーケース越しに見る目、かな。


「知っていたら、大概のものは怖くないぞ」


 知識は力。

 アウトドアでも日常でも、知ることは大事だ。

 だからこそ気づくことが出来た。

 こんな山の真っ只中に、水辺を好むヒバカリがいた違和感を──





 夕方の出来事を回想しつつ、俺は雪峰ゆきみねにメスティンを渡す。

 雪峰ゆきみねは、ヘビに驚いて飛び退いた拍子に、足を捻挫していた。

 飛び退いた先に石か何かあったのだろう。


 幸いにも、我が班のメンバーは優秀だ。

 火の管理は岩谷いわやに任せられるし、優秀かつ万能な大門だいもん先輩もいる。

 新井は大門だいもん先輩の指示をちゃんとこなしてくれる。

 羽生はにゅうは……ウォークラリーをリタイヤして以降、姿を見ていない。

 先生たちの話では、キャンプ場の管理棟にいるらしいが。


 そんな訳で、俺は炊き上がったご飯とバーベキューで焼いた肉と野菜を持って、雪峰ゆきみねのところに来ている。

 つか、ぶっちゃけ大門だいもん先輩の命令だ。


『嫁の面倒くらい見なさい』


 という意味はまったく分からんが、一応は俺の弟子だ。放っておく訳にもいかない。


「美味しい!」


 雪峰ゆきみねはメスティンの中のご飯と肉に感嘆の声を上げた。

 が、それもひと口ふた口食べ進めると、箸を止めてしまった。


「……羽生はにゅうさん、戻ってこないね」

「だな」


 メスティンを膝に乗せ、雪峰ゆきみねは俯く。

 よほど羽生はにゅうが気になるのか、雪峰ゆきみねは沈黙してしまった。

 コミュ障というのは、本当に困る。

 こんな時、どんな言葉をかければ良いのか。

 俺にはそれが分からない。

 だから、考え無しに呟いてしまうのだ。


雪峰ゆきみね羽生はにゅうは……」

「え」

「……いや、なんでもない」


 言いかけて、失言と悟る。

 雪峰ゆきみね羽生はにゅうの間に、何があるのか。

 どんな関係なのか。

 俺はそれを聞く立場ではないし、聞いて良い立場でもない。


 俺と雪峰ゆきみねの関係は、あくまでキャンプというジャンルの中での話。

 おいそれと、それ以外の領域エリアに踏み込んで良いはずは無いのだ。


 少なくとも、雪峰ゆきみね本人が話す気になるまでは、俺には知る権利は無い。


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