第20話 1日目 暗躍




「お風呂の時間ですよぉ」


 男子部屋の二段ベッドの下の段。

 俺は、いつのまにか眠ってしまったらしい。

 枕元を見ると、ぼやける視界の中でスマートフォンが点滅していた。


「せんぱぁい、お風呂のお時間ですよぉ〜」


 甘ったるい声が聞こえる。

 急に脳が覚醒して、がばりと起きた。

 蠱惑こわく的な笑みを浮かべた美少女──羽生はにゅうエマがいた。 


「わかった、ありがとう」


 軽く身支度を整えて、お風呂セットを用意する。

 その間も羽生はにゅうは俺を見つめて微笑んでくる。

 ほんと、「あざといな」


「失礼ですぅ〜、せっかくお風呂上がりの可愛い後輩が、夜のモーニングコールをしに来たのにぃ」


 夜のモーニングコール……?

 意味が分からん。

 つか、もう女子の入浴時間は終わったのか。

 まだ寝ぼける頭を働かせながらリビングに行くと、不機嫌そうな岩谷いわやと、苦笑する新井あらいくんが並んでカウチソファーに座っていた。


おせェぞ、ガク」

「悪い」

「よし、んじゃ風呂行くか!」


 岩谷いわやは立ち上がり、洗面器を抱える。どうやらこいつは銭湯スタイルで行くようだ。


 三人でコテージを出ると、日中よりだいぶ涼しい風が吹いていた。

 ズカズカと先頭を歩く岩谷いわやのあとを、新井くんと並んで歩く。


岩谷いわや先輩、ずっとがく先輩のことを気にしてましたよ」


 笑いながら話す新井くんに、もう昼間の自身なさげな雰囲気はない。

 つか、


がく……先輩?」


 そう新井くんに呼ばれたことが少々くすぐったい。


「ご、ごめんなさい……今日会ったばかりなのに、失礼……でしたね」

「ん、いや」


 俯いて肩を落とす新井くんの頭を撫でる。細い髪が、指先から逃げて風に舞った。


「むしろアリだ。グッドだ。ナイスだ」

「ありがとう……ございます」


 新井くんと二人で笑い合っていると、立ち止まった岩谷いわやが振り返ってニヤニヤしていた。


「なァに男どうしでイチャイチャしてんだよ」

「そ、そんな、ボクとがく先輩は、清らかな関係てすっ」


 岩谷いわやは大笑いする。

 つか新井くんよ、その言い方は色んな誤解を招くぞ。


「分かってるって。ただな、そういうのも、すずねぇの燃料になるからな」


 すずねぇ──大門だいもん先輩は少々腐女子傾向と聞いていたが……あれで少し、なのか?

 腐海の沼って、深いのな。


「そんなぁ、ボク……がく先輩ともリョウジ先輩とも、仲良くなりたいです……」


 美少女にしか見えない姿で俺に上目遣いするな。

 変な気を起こしたらどうするつもりだ。


「ボク、お二人がはじめての先輩、なんです……」


 ヨットパーカーのフードの紐を指先でいじる新井は、まさに恥じらう美少女だ。


「お名前で呼んだら、ダメ……ですか?」


 見ると、岩谷いわやも顔を赤くしていた。

 俺は上目遣い継続中の新井くんに、耳打ちをする。


「ほれ、岩谷いわやもまんざらでもない顔してるぞ」


 その瞬間、新井くんの表情が明るくなる。


「う、うるせェ、行くぞ長巻ナガマキ!」

「は、はいっ」


 再びズカズカと歩き出す岩谷いわやの背中を、弾むように追いかける小柄な美少女風の男子。


 つか、これから新井くんと一緒に風呂に入るんだよなぁ……。





 無事に風呂から戻ると、コテージのリビングでは大門だいもん先輩がコーヒーを飲んでいた。


「すずねぇ、戻ったぞー」

「お帰りリョウジ……ブハァ」


 風呂上がりの俺たち三人の男子を見るなり、大門だいもん先輩は鼻血を噴き出した。


わりィな、すずねぇの持病が悪化してる」


 岩谷いわやは頭を抱えながら、自身のハーフパンツのポケットを探り始める。


「ハァハァ、ぞ、属性が、多重渋滞を起こして……マリアージュ」

「ほれ、ティッシュ」

「いつもすまないね」


 うわ言を呟いてカウチソファーの背もたれに倒れる大門だいもん先輩に、慣れた手つきでポケットティッシュを渡す岩谷いわや

 なるほど、これまでにも何度もこういう事があったのね。


「謝肉祭……今夜は謝肉祭……」

「あー、コレだめなヤツだ。ちょい寝かせてくる」


 深い溜息のあと、岩谷いわや大門だいもん先輩を軽々とお姫様抱っこして、女子部屋へと消えた。


「す、すごかった、です」


 新井くんが、ぽしょりと呟く。


「だな……大門だいもん先輩があんなだとは」

「それもですけど、リョウジ先輩です」


 へ? と新井くんに向き直ると、新井くんは俯いて語り出した。


「ボク、こんな見た目だから……リョウジ先輩やがく先輩みたいな男らしさに、憧れてるんです……」


 なるほどな。

 新井くんは新井くんで、大きな悩みを抱えているのだ。


「ボク、かっこ良くなりたい……」


 新井くんの嘆きは、重い響きを内包していた。


 程なくしてリビングに戻ってきた岩谷いわやは、血相を変えていた。


「おい、ポンコツも嬢ちゃんも、部屋にいねェぞ」


 ポンコツというのは、一年の羽生はにゅうエマのことだろう。

 そして、こいつが嬢ちゃんと呼ぶのは。


 雪峰ゆきみね明里あかりだ。


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