第8話 テッパン

 


 五月。

 教室の窓から見える桜は、すでに緑一色。

 あれから何度かのデイキャンプを経て、雪峰ゆきみね明里あかりのキャンプスキルは確実に上がっていた。


 テントを地面に固定することも覚えて、もう風にテントが舞う事態は起きていない。


 しかし、まだファイアースターターの使い方だけは修得出来ないようで、火起こしは俺のターボライターを使っていた。


 昼休み、天気が良いので屋上に行ってみる。

 パンふたつの昼メシを持って屋上に行くと、とんでもない事が行われていた。


 肉が、焼けている。

 香ばしい匂いが、鼻孔と空きっ腹を直撃してくる。

 その肉の前、ブレザーを着崩して胡座をかくのは、目つきの悪い見知らぬ男子。


 じろりと睨まれて少しだけビビるが、屋上は誰の占有地でもない。

 気にしない素振りで、焼肉男子から離れて腰を下ろす。


 じゅう、じゅう。


 むむ。

 やはり焼肉が気になる。

 いや正確には焼肉に使っている道具が、だけど。


 あれ?

 あの鉄板、もしかして。


「ヨコヅナテッパン……?」


 A5サイズの黒いそれは、紛れもなく、あのヨコヅナテッパンだ。

 肉が美味しく焼けるというあの鉄板、前から欲しかったんだよなぁ。

 いいなぁ、いいなぁ。

 羨望の眼差しを鉄板に送っていると、すれ違いに威圧の視線が突き刺さる。


「あ? なに見てんだよ」

「い、いや……いい鉄板だな、と」


 突然、男子が立ち上がる。

 そして上履きのかかとを引きずりながら、こちらに歩いてくる。


「おい」

「な、なんでしょう」


 目の前にしゃがみ込んだ男子は、俺の顔を覗き込む。


「あれは、ヨコヅナテッパンじゃねぇ。自作の鉄板だ」

「え、あれ自分で作ったのか!?」

「おう、うち鉄工所やっててな。なかなか良い出来だろう」

「良いなんてモンじゃないぞ、ソロキャンパーには最高じゃないか!」


 口に出して、ハッとする。

 俺がキャンプをしている事は、この学校では雪峰ゆきみねしか知らない。

 つか、他の奴との交流がそもそも無い。

 別にキャンプ自体は悪い事ではないが、そのせいで目立ったりはしたくない。


「へぇ、おまえ、ソロキャンプすんのか」

「いや、まあ、一応」


 ジロリと睨まれて、少しだけたじろぐ。が。


「なんだ、仲間かよ!」


 次の瞬間、男子は笑顔になり、豪快に笑った。


「オレは岩谷いわやだ。そっちは?」

「え、岩谷いわやって……同じクラスか。俺は、鹿角かづの

「マジか! オレあんま他人に興味ねぇから気づかなかったわ」

「奇遇だな、俺もだよ」


 それから昼休みが終わるまでキャンプ談義に花を咲かせ、最後には勢いで連絡先まで交換してしまった。


 以前なら、こんな事は無かった。

 教室へ戻る途中、リノリウムの床を踏み締めながら考える。

 岩谷いわやは肉を焼いた鉄板を洗っていて、午後の授業に遅れた。





 放課後。

 屋上で会った男子──岩谷いわやから早速LINEがきた。

 帰り支度も忘れて岩谷からのメッセージを開く。


『今日、うちに来ないか?』


 おぅふ、なんとも男らしい誘い文句だ。


「師匠、帰りましょう」


 岩谷の家は鉄工所だと言っていた。

 つまりそれは、ワンオフのキャンプ用品の夢が──


「師匠……なにニヤニヤしてるの」

「はっ」


 顔を上げると、見慣れた、だけど何度見ても見慣れない栗色の髪の美しい少女がジト目で俺を見ていた。


「まさか師匠……私という弟子がありながら他の弟子に」

「ちょっと待て。なんだその浮気みたいな言い方は。だいたい弟子なんて面倒な奴、お前一人で十分だ」

「……あやしい」

「な、なにもあやしくない。つか学校では師匠と呼ぶな」


 見つめられて、思わず目を背けてしまった。


「じゃ、じゃあ……鹿角かづの、くん」


 ──え。

 なに。

 なにこの感じ。

 名前呼ばれただけでこの破壊力?

 危なかった、俺じゃなきゃオチてたわ。


「一緒に帰ろ、鹿角かづの、くん」


 ぐはぁ!

 やめろ、メンタルが持たないから。

 あと周りで男子たちが睨んでるから!

 やめて、もうやめて!


「お、俺、ちょっと用事あるから!」


 肩掛けのカバンを引っ掴んで、逃げるように教室を出る。

 まあ実際、逃げた。


 それよりもだ。

 階段の陰に隠れてスマートフォンを開き、岩谷に「行く」とだけ送信。

 すぐに地図が送られてくる。

 なんともドライな感じだが、それがなんだか好ましく感じる。

 互いに深入りしない、ソロキャンパー同士特有の距離感。

 実に心地良い。



 地図を頼りに、目的の場所へ着いた。

 そこは小さな町工場。白く古い看板には「岩谷鐵工所てっこうじょ」と書かれている。

 スマートフォンを開いて岩谷に連絡を入れると、すぐに出てきてくれた。


「おー、早かったな。つかいきなり彼女同伴かよ」


 挨拶の手を挙げかけた俺は、岩谷の言葉で振り返る。

 と、


「あはは……ど、どうも」


 背後に、雪峰ゆきみね明里あかりが立っていた。

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