第23話 2日目 二〇センチメートルの朝

 



 ──事件だ。

 しかも十七年の人生で、最大級の大事件。


 簡単に説明すると、


「んん、ちょっと狭いね」


 俺、鹿角かづのがくは、雪峰ゆきみね明里あかり同衾どうきんしているのだ。


 一応、抑止力としてお互い寝袋に入ってはいるが。


「へへ、師匠の顔、近いね」


 目の前には、雪峰ゆきみねの顔がある。

 その距離、わずか二〇センチメートル。

 目を瞑れば雪峰ゆきみねの吐息に乗って甘い香りに包まれ、目を開ければ雪峰ゆきみねの端正な顔が目前にある。


 俺が背を向ければいい。


 と、思うだろう。

 だが狭いテント内、しかも寝袋に入った状態では、それも難しいのだ。

 つか、なんで雪峰ゆきみねはこっちを向いてるんだよ!

 こんな危機的状況では絶対に眠れないぞ。


 薄目を開けて雪峰ゆきみねを見ると、じっと俺の顔を見つめている。


 やばい。非常にやばい。

 体温が上がる。暑い。

 枕元に持ってきておいた、半分ほど飲みかけのペットボトルが、遠く感じる。

 寝袋から手を出せば、あらぬ疑いをかけられて即逮捕案件だ。


「師匠……ノド渇いた」


 すでに眠い目になっている雪峰ゆきみねが、俺の眼前で呟く。


「ペペペットボトルなら、そそそのへんに」


 噛んだ。盛大に噛んだ。

 くそっ、冷静さだけが俺のチャームポイントなのに。


「あはは。師匠、緊張してる」

「バカ言え、元はと言えばお前が……」

「お前じゃ、ないもん」


 は?

 なに?

 どしたの、この弟子っ子は。


「ゆ、雪峰ゆきみねさん?」

「ぶっぶー、不正解」


 はぁあああ!?

 雪峰ゆきみねだろ。

 その艶やかな明るい栗色の髪!

 ぱっちりと大きな目!

 色素の薄い瞳!

 ぷっくりと潤いたっぷりの唇!

 何処からどう見たって、雪峰ゆきみね以外の何者でも無いだろうがぁあああ!


「私の名前……知ってる?」

「んなもん知ってるわっ」


 なんだ。

 何がしたい。

 何が目的だ。

 はっ、金か!

 金は無いぞ!


「名前、言ってみて」

「は?」

「知ってるんでしょ、私の名前」

「もももちろん」


 だから落ち着け俺。

 シェルターの中で危機的状況に陥ってるんじゃねぇよ!


 俺は、雪峰ゆきみねに聞こえないように息を吸い、放つ。


「──明里あかり、だろ」

「え、なになに? もう一回」

「だから、明里あかり

「もっかい」

「……明里あかり

「アンコール」

明里あかり

「泣きの一回」

「……あかり」


 たっぷりと間を取って、雪峰ゆきみねの名前を呟く。

 それで満足したのか、雪峰ゆきみねは笑みを浮かべて。


「なぁに、がくくん」


 だから、何がしたかったんだよぉおおおおお!


 女の子、こわい。






 いつのまにか、テントの向こうが明るくなっていた。

 目が覚めた俺は、思ったよりも良い寝起きに驚いていた。

 寝返りを打って、気づく。


「あれ、雪峰ゆきみねは……?」


 起き上がり、寝袋から這い出す。

 枕元にあったペットボトルを掴んで、ちょっとだけ残った水を飲み干す。


 ふう、美味い。


 のそのそとテントから這い出して、伸びをする。

 さわやかな朝だ。

 スマートフォンを見ると、午前六時を過ぎていた。


 コテージの扉が開いて、巨体がのそりと首を出す。


「よう、ガク」

「おはよう」


 おもむろに体操を始める岩谷いわやに軽く挨拶して、俺も岩谷いわやの真似をして身体をほぐす。


「ふんッ、テントの寝心地は、ふんッ、どうだった?」


 いつのまにかスクワットを始めていた岩谷いわやに問われ、なかなか快適だったとだけ述べる。

 雪峰ゆきみねとの同衾どうきん

 そんなの言えるわけ無い。


「つかよォ、おまえら師弟はどうなってんだ?」


 は?


「弟子はリビングで寝てるし、師匠は一人でテント泊。そういう流派なのか?」


 ちょっと待て。

 俺と雪峰ゆきみねは一緒にテントで……え。

 駆け足でコテージに戻ると、大門だいもん先輩が朝食を作っていた。


「……おはようございます」


 朝の挨拶を投げかけると、大門だいもん先輩はゆっくりと振り返って、目が笑っていない笑顔を向けてきた。


「ゆうべは、おたのしみでしたね」


 え……全部、バレてる!?

 女の子って、こわい。


 その後の朝食は、まさに針のむしろ。

 大門だいもん先輩に睨まれ、それに便乗した羽生はにゅうにも睨まれ。

 そんな様子を見て新井は苦笑し。

 俺は小さくなりながら、もそもそと朝食をいただいた。

 唯一、雪峰ゆきみねがいつも以上に笑顔だったことが、せめてもの救いだった。

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