第5話 装備を見にいこう

 


「一万円……くらいかなぁ」


 この答えに、当然俺は違和感を覚えた。

 雪峰ゆきみね明里あかりは社長令嬢であり、本人もそれを隠していないように見える。

 雪峰ゆきみねの親がどの程度の会社を経営しているかは知らないが、一万円というのはソロキャンプの装備としても足りない金額だ。


 そして、答えることを少し躊躇ちゅうちょしたようにも見えた。

 つまりそれは──


「──分かった、一万円だな」

「う、うん。足りない、よね……」


 雪峰ゆきみねは、俯いて肩を落とす。


「確かに足りない。だが、それは全てをまともに揃えた場合だ」


 顔を上げた雪峰ゆきみねは、きょとんとした目で俺を見る。

 つかなんだよ、いちいち可愛いな。

 まあ俺には効果は無いけど。

 俺は、白紙のルーズリーフを一枚取り出して、シャーペンを走らせる。

 何も言わずにそれを見つめる雪峰ゆきみねの目は、真剣だ。


「よし、こんなもんだろう」


 ルーズリーフに書いたのは、これからの季節で必要になる最低限の装備のリストだ。


「えっと、テント、グラウンドシート、寝袋、ランタンって……えっ、これだけ?」

「そう、これだけ。これだけあれば、野外で宿泊できる」

「え、でも焚き火とか」


 まあ待て。これから説明するから。


「まずこれが、お前のキャンプ装備の核だ。そこに、自分のスタイルに応じて装備を増やしていく」


 焚き火をしたいなら、焚き火台や火消し壺、ナイフ。

 調理をしたいなら、野外用の鍋やフライパンなどのクッカー。

 夜に読書をしたいならより明るいランタンが必要になるだろう。


「つまり、雪峰ゆきみね自身がどんなキャンプをしたいか。それが一番大事になる」


 その瞬間、雪峰ゆきみねの顔から影が消えて、楽しそうな笑顔に変わる。


「やりたいことは、いっぱいあるよー。ちゃんと焚き火したいし、焚き火を使った料理もしたい。あとね〜」


 指を折りながら、雪峰ゆきみねは自分がやりたいことを語り続ける。

 雪峰ゆきみねの熱弁を聞きながら、思わず過去の自分に重ねてしまう。

 やりたいことをやってみて、それを積み重ねて、俺は今のキャンプスタイルにたどり着いた。

 雪峰ゆきみねは、今そのスタートラインに立ったのだ。

 そんな雪峰ゆきみねに耳を傾けていると、ふと雪峰ゆきみねが笑い出した。


「師匠もそんな顔するんだね〜」

「え」

「なんかね、夢見る少年って感じ」


 そう微笑む雪峰ゆきみねの表情は、いつも教室で見せる顔とはまるで違う。


「お、俺のことはいい。今は雪峰ゆきみねの装備の話だ。あとな」

「なぁに、師匠」


 ニヤニヤしながら雪峰ゆきみねが小首をかしげる。

 ああ、もう。


「その師匠っての、やめてくれ」

「どうして? 師匠は師匠だよ」

「俺だって、キャンプ歴五年くらいしか無いんだよ」


 その前はカブスカウトに一年だけいたが……まあそれはいい。


「だから、師匠なんて呼ばれるほどの達人じゃないんだよ」

「じゃあ、学校では苗字にして、キャンプの時だけ師匠って呼ぶよ」


 まあ、それなら妥協案としては納得できる、かな。


「じゃあ師匠、話の続きを」

「ちょっと待て、今はキャンプじゃないだろ」

「キャンプの話だもん」


 それ世間では屁理屈っていうやつだぞ。

 だが、あまりにも満面の笑みで俺を見る雪峰ゆきみねに、俺は何も言う気が失せてしまった。


「ね、師匠。キャンプに一番大事なことって、なぁに?」

「そんなん決まってる。つか、大前提だな」

「え?」


 キャンプに一番大事なこと。

 それは。


「無理をしないで安全に楽しむこと」

「えー、そんなの当たり前のことじゃん」


 だが、その当たり前がなかなか難しいのだ。


雪峰ゆきみね、お前の初キャンプを思い出してみろ」

「……あ」


 初キャンプの夜、雪峰ゆきみねは自力で焚き火が出来なかった。

 そして下調べや装備の不足で、寒さに凍えそうになった。


「ま、そういうことだ」

「肝に銘じます……師匠」


 キャンプとは、不便や手間を楽しむレジャーだと思っている。

 そして、どのくらいの不便や手間を楽しめるかは、人それぞれ違うのだ。

 自分のスタイルを作るっていうのは、楽しめる限度を知ること。

 その限度も、その時々によって変わる。

 昔、ファイヤースターターで火を起こしていた俺は、今ではターボライターで着火している。

 しかしまたファイヤースターターを使う時もあるだろう。


 ──少し、語り過ぎたかな。


 もしかしたら、俺は嬉しいのかもしれない。

 同年代の人とキャンプの話をするなんて、何年ぶりだろう。

 けれど、うちの高校の制服を着た女子の集団が店内に入ってくるのを見て、我に返る。

 やはりこの店は、俺には場違い過ぎる。

 早々に退去すべく、俺は立ち上がりながら雪峰ゆきみねに言葉を投げた。


「とりあえず、見に行くか」

「えっ、えっ?」


 そのまま店を出た俺は、しばし黙考する。

 やっぱりまずは、基本装備だな。


「ホームセンター行くぞ」

「うん、よろしくね」


 なぜか楽しげにクルリと回った雪峰ゆきみねの栗色の髪が、春の風に舞った。

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