第3話 朝のごちそうと押しかけ弟子

 


 夜が明け始めた。

 テントから這い出した俺は、白い息を吐きつつ再び焚き火に火を点ける。使うのはもちろんターボライターだ。

 文明の利器、最高だぜ。


 クッカーを火にかけて、湯が沸くのを待つ。

 ふと気になって、ちらりと離れたテント、もといサンシェードに視線を移す。


 果たしてあの子──メイリさんは、無事だっただろうか。

 俺の経験上では凍える事も風邪をひく事も無かったが、それは俺の場合であって万人がそうでは無い。


 湯が沸いた。

 まずは目覚めのコーヒーだ。

 持ち手のついたアルミのカップにインスタントコーヒーの粉を入れ、湯を注ぐ。

 残った湯はまたあとで使うので、そのまま焚き火の上に戻しておく。


 熱いコーヒーをひと口飲んで、白く安堵の息を吐く。


 その時、離れたサンシェードの中からくしゃみが聞こえた。

 よかった。どうやら無事らしい。


 そのまま白んできた空を眺めながらコーヒーに興じていると、背後に足音がした。

 振り返ると、しわくちゃになったピンクのダウンジャケットのファスナーを上までぴっちり上げた、栗色の髪の美少女が立っていた。

 うん、無事だったようだ。


「ゔゔ……寒かったよ」

「当然だ」


 サンシェードで早春キャンプなんて、半袖短パンでスキーするようなものだ。

 違うか、違うな。

 しかし、これでこの時期の山がどれだけ寒いかをこの少女、メイリさんは学べたはずだ。

 そして、情報不足や準備不足は命取りとなることも。

 その経験は、必ず糧となる。


 鼻を啜りながら控えめに俺の焚き火に当たるメイリさんに、カップを差し出す。


「え?」

「ほれ、これ飲んで温まるといい」


 差し出したのは、俺が持つのと同じ持ち手が付いたアルミのカップ。

 その中を満たすコーヒーから上がる湯気を、彼女は呆気に取られて見ていた。


「砂糖はここにあるから、適当に入れてくれ。あと、ミルクは無い」

「あ、ありがと……」


 焚き火の脇にしゃがみ込み、少女はコーヒーを啜る。


「──おいしい」

「だろ。寒い時期のキャンプの楽しみのひとつだ」


 ニヤリと笑って彼女を見ると、いい感じに表情が緩んでいた。

 まあ、これでキャンプを嫌いになることは無いだろう。

 俺自身は嫌われたと思うが、もう二度と会うことのない相手だ。

 どうでもいい。

 願わくばこの先、メイリさんが楽しくキャンプを覚えられるように祈りつつ──





 四月。

 高校二年になった初日の朝。

 新しくクラス編成された新しい教室の新しい席で、俺は昨年度と同じく、誰とも話すことなく突っ伏していた。

 きっとこの一年も、去年と同じように存在感なく過ごすのだろう。

 それでいい。

 俺には、キャンプがある。

 キャンプさえ出来れば、俺は幸せなのだ。


 にわかに教室が騒がしくなる。

 色めき立った喧騒は、次第に大きさを増す。

 んー、なんか嫌な予感がする。

 こういう時の予感って、よく当たるんだよなぁ。


「あー、やっぱりそうだ!」


 ぼんやりと微睡む俺の耳に、高くやかましい声が響く。

 だが、俺にかけられた声ではあるまい。

 そもそもこの高校で俺に話しかける奴なんて、三人しかいない。

 そいつらは俺を名前で呼ぶから、今の声はその三人には該当しない、はず。

 そういう証明を脳内で繰り広げつつ、俺は声を無視して寝たふりを続行──え。


 肩を叩かれた。

 ポンポン。

 トントン。

 げしっ、げしっ。

 ちょ、痛い痛い。

 

 抗議の視線を送るべく顔を上げると、目の前に美しい栗色の髪の少女が笑っていた。


「……え」

「やだなー、忘れちゃった? あんなにホットな夜を過ごしたのに?」


 忘れない。

 まだ寒い山中のキャンプ場で、あんなナメた装備でソロキャンプするような奴、忘れられない。

 つか、あんたにとっては全然ホットじゃなかったろうに。

 気温だけ見れば、冷蔵庫の中で一夜を過ごしたのだから。

 てか、忘れられないけども。

 覚えていたけれど。


 だって、もう二度と会わないと思っていたから。


「なんで……メイリさんがここにいる」

「メイリじゃないよ、明里あかり

「は?」

雪峰ゆきみね明里あかり。それが私の名前だよ」


 彼女が名乗った時、ざわざわと教室内が騒ぎ始めた。


 ──え、雪峰ゆきみねさん?

 ──マジ? 雪峰ゆきみねさんと同じクラスなんてラッキーだぜ

 ──可愛いよなぁ

 ──でもあの子、ビッチってウワサだよ?


 様々なざわめきは、すべて目の前の彼女に対するものだった。

 そんなざわめきの中。

 彼女は俺に、にこりと微笑んだ。


「これからよろしくね、師匠!」


 その瞬間、クラスのざわめきは一層沸き立った。

 だが。


「断る」


 ……弟子にしたつもりなんて、無いんだよなぁ。

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