閑話 氷の姫君ゾフィーア

 帝国の第五皇女ゾフィーア・ソラトガル。

 与えられた肩書こそ、大層な身分のように聞こえるが実際のところ、ゾフィーアは何の権威も持ち合わせないお飾りの皇女である。


 それは彼女の出自によるところが大きい。

 先帝レオポルトの庶子というと聞こえはいいが、ゾフィーアの母親は先帝の気まぐれでお手付きとなった身分の低い侍女に過ぎない。

 何の後ろ盾もない皇族の立場は当然のように弱い。

 いつ殺されるのかも分からない状況の中、ゾフィーアが無事だったのはひとえに彼女が皇子ではなく、皇女であったからだ。

 しかし、望まれぬ子であったにも拘わらず、彼女の才はレオポルトの数多いる子の中で抜きんでていた。

 もし、男であればと心ある臣下がそう望むほどの麒麟児。

 それが十歳まで後宮で人知れず育てられたゾフィーアという皇女である。


 ゾフィーアには皇族として生きていく上で後ろ盾となる助けこそなかったが生きていく上での道標は示されていた。

 母親の実家であるソラトガル一族は身分こそ低いものの武門の家柄だった。

 孤立無援の立場にあったゾフィーアに救いの手を差し伸べたのがこのソラトガル家である。


 結果、皇族としての特権を一切、返上することを条件に母の実家へと居を移すこととなる。

 かくして、辛うじて皇女と名乗ることだけを許されたお飾りの皇女が誕生する。


 しかし、彼女はそれを一切、気にしてはいない。

 むしろ、ゾフィーアはしがらみから解き放たれたことで秘められた才能を一気に開花させたのだ。


 それから、五年。

 従兄であるジークマー、コンラウスとともに武芸や軍略を学び、それをものにしてしまったゾフィーアの名を知らぬ者は天下にいない。




 怜悧にして狡猾。

 あまりの冷徹さとその外見――プラチナブロンドの髪にアイスブルーの瞳を備えた完璧な美貌から、『氷の姫君』などと本人が聞いたら、激高しそうな二つ名を持つゾフィーアにしては珍しく、苛立っていた。


「ええい、どいつもこいつも己の利しか考えておらん」


 腹立ちまぎれに天幕に設置された質素な椅子に乱暴に座り、親指の爪を噛み始めるゾフィーアに困惑気味の視線を送るのは彼女の従兄であるジークマーである。


「しかし、姫よ。致し方ないのではないか? 皆、腹の中に一物秘めた奴らばかりですよ。そのようなことは姫も御承知のはずでしょう」

「そんなことは分かっておる。だが、これでは勝てる戦も落とす。このままではまずいのだよ」


 『氷の姫君なんて冗談ではない。この姫は触れば火傷する炎の申し子だ』というのが彼女と心を同じくし、行動を共にするソラトガル家の総意だ。


「今も何でもめていると思う? 誰が一番手の名誉を受けるか。阿呆ばかりで埒が明かん。そうこうしているうちに敵は防備を固めることも分からんのだよ。あの愚か者どもは」


 『その言い方!』と思うもののそんなことを口に出したら、自分が槍玉に上がることを知っているジークマーは彼女をこれ以上、刺激しないよう無難な言葉を述べることにした。


「姫は敵が次にどのような手を打ってくるか、お判りなのですね」


 『お前はそんなことも分からんのか』とでも言いたげな冷たさをアイスブルーの美しい瞳に浮かべながら、軽やかに語るゾフィーアの姿はとても美しい。

 美しいが一度触れば、掠り傷では済まない抜身の剣。

 それが飾り物の皇女と呼ばれた少女の現在の姿である。


「恐らく、実績・実力からすれば、ユウカを送り込んでくるであろうな。プロットはしたたかな奴だ。そして、我らを烏合の衆と見て、軽んじているのは間違いないだろう。ゆえに鬼神リンブルクを温存し、緒戦には出さんだろうな」

「さすがは姫。そこまで読んでおられるのか」

「それほどでもあるな」


 圧倒的不利な状況において少数で多数を倒し、軍略の天才と称された少女の考えが微妙に誤っていることに気づく者など、誰もいない。

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