閑話 熊男とじゃじゃ馬令嬢

 ――クシカがフレデリクの前で失神する五年前に時は遡る。


 帝国西方は諸王国と呼ばれるほどに小国家が乱立し、予断を許さない状況にある地方である。

 その為、この地を任せられる者は軍才に長けていることが前提とされ、人柄までは考慮されないことが大きい。

 ダニエリック・ド・プロットは人格的に問題が多い男だが、指揮能力に非常に長けており、荒くれ者が多い西方の兵に慕われていることもあって、更迭されることなく長く任地にあった。

 その幕下にも同じような性質の者が集まっている。

 あまり思慮が足りず、欲望に忠実だが、武芸の才など軍才に秀でた者が多いのだ。

 それがクカリやクシカであり、養子とされているフレデリクだった。


 クシカは少年時代より、恵まれた体躯に優れた膂力と動体視力の良さもあって、武芸に活路を見出し、その道一筋に生きてきた武人である。

 親友であり、竹馬の友でもあるクカリと競い合うように武芸の才を磨き、将軍に抜擢されたのも二人同時であった。


 ただ、違うのが若くして、結婚したクカリと違い、クシカは三十四歳になった現在でも独身を貫いていることだ。

 それというのも彼の見た目がかなり、影響している。

 大柄な体格でそれでなくても威圧感があるというのに身だしなみに全く、無頓着なクシカは髭も伸ばし放題にしたままなのだ。

 まるで熊のような大男、それがクシカである。


 熊男などと同僚から揶揄されるクシカだが、有能で気風がいい性格を愛され、兵からの人気は高かった。

 その為、武芸一筋で生きていた本人の気質も加わり、同性にはもてるものの異性にはまったくもてないまま、いつの間にやら三十四歳になっていたのである。


「クシカ、いい加減に身を固めたら、どうなんだ?」

「そうは言ってもな。こんな俺みたいななりのとこに来てくれる女がいるか?」


 見てくれで嫌われ続けること二十年以上。

 クシカは諦めの極地に至り、悟りを開いてしまったらしい。

 その表情にはむしろ、清々しさまで感じられる域に達している。


「お前がそれでいいんなら、いいけどよ」


 これまで側で彼のことを見ていた友だからこそ、諦めるなよ、頑張れよという言葉を掛ける訳にはいかなかった。


「しかし、戦勝パーティーなど俺たちが出る必要あったのか?」


 かれこれ、一時間は壁の花と化しているクシカはうんざりしたように給仕の持ってきた酒を煽り、一気に飲み干す。


「そうは言ってもよ。うちの大将が今日の主役だぜ? 俺達も出ざるを得んだろうよ」

「頃合い見計らって、帰ってはいかんのか?」

「お前な。何か知らんがお前は特に出席しろと大将がうるさかったんだぜ」

「何だ、それ。俺はこういう場、苦手なんだがな」


 クシカの愚痴に付き合って、暫くの間、ともに酒を煽っていたクカリだったが正装した妻に呼ばれ、挨拶回りに向かった。


 一人取り残されたクシカは虚しく、酒を煽っている。

 熊を思わせる大男が壁際で一人でずっと酒を煽っているのだから、皆怖がって、誰も近寄らない。

 クシカが我慢するのもこれくらいでいいだろうと帰る腹積もりになっていたところ、会場が騒然とし出した。


「あれがティボー家の噂の御令嬢か」

「噂通りに美しい」

「しかし、とんでもないじゃじゃ馬だとか」


 そんな声がクシカの耳にも届いてくるが自分に関係ないと思っている彼は全く、気にも留めていない。

 御令嬢などという生き物は自分と違う世界を生きているものだと思っている男だ。


 炎のような赤ではなく、夕陽のような色合いをしたオレンジがかった色の髪をハーフアップにまとめ、ちょっと吊り上がり気味の目に気の強さを隠し切れていない濃緑色の瞳を輝かせた一人の令嬢が靴音を響かせ、クシカの目の前に立った。


「クシカ将軍、わたしと一曲、踊ってくださる? いいわよね?」

「は? え? お、俺ですかい?」


 少女と言ってもいい年齢にしか見えない目の前に立つ美しい令嬢の口から、信じ難い言葉を聞き、自分の耳を疑うクシカは歴戦の兵とは思えないほど、狼狽えていた。

 相手はまだ、自分の年齢の半分くらいしか生きていないのにも関わらずだ。


「このわたし、アデライド・ティボーが誘っているのだから、答えはイエスしか許されないのよ?」


 それが熊男と呼ばれた将軍クシカとじゃじゃ馬と呼ばれた子爵令嬢アデライドのだった。

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