第29話 シモンの危機

 エリアス軍が陣を如く平原から、東に目を向けてみよう。

 戦場となる場から、遥か後方にあたる地は木々で覆われた丘陵地帯が存在していた。

 伏兵を潜ませるのにこれほど、最適な場所はないだろう。

 しかし、注視することなく、素通りしたエリアス軍は迂闊だったと言わざるを得ない。

 味方の勢力圏内だから、伏兵がいないと考えること自体が甘い考えだからである。


「さて。ユーリウスがうまく動いてくれたかな」


 ベーオウルフは己に従う二千の兵を見渡しながら、独り言つ。

 あの日、フェリックが大怪我を負い、全てから逃げ出したくなった。

 そんな自分を慈悲深い神は見捨てなかったのだと思い、ベーオウルフは天に感謝の祈りを捧げる。


 再び、現れた神が言ったのだ。

 『君は主人公だよ。主人公はもっと自分の思うように生きなきゃ駄目だろう? この薬はね、君に勇気を与えてくれるよ』

 その薬を飲み干すと全てを忘れられた。

 爽快な気分になれたのだ。

 自分は何を悩んでいるのか、馬鹿らしくなってくるくらいに爽快だった。


「我らの興廃はこの一戦にある! 我らには勝利以外ないのだ!」


 ベーオウルフの宣言に続くように二千の兵が『必勝! 必勝! 必勝!』と雄叫びによる勇壮なる調べを奏でる。

 その余韻に包まれながら、ベーオウルフの駆る白馬が先陣となり、一気に森から、躍り出た。

 狙うは本陣に座すシモン・エリアスの首である。




 突如、上がった鬨の声。

 重装の鉄騎兵に潰されていく歩兵の姿にシモン・エリアスが幕僚と軍議を行っていた本陣は混乱を来していた。


「何事だ!? 何が起こった?」


 荘厳な黄金色の甲冑に身を包み、声を上げるシモンだが、既に恐慌状態に陥ってる本陣において、冷静に対処し得る人物は一人しかいなかった。


「閣下、これは本陣のみを狙った伏兵でございます」

「何だと? 馬鹿な……どこに潜んでいたというのだ」

「恐らく、後背の丘陵地かと」


 幕僚ズデニェク・ソホヴァは権謀術数に優れたシモン麾下屈指の戦術家である。

 その才は恐らく、大陸屈指と言っても過言では無い。

 ところが歯に衣着せぬ物言いと派閥に属さない一匹狼なところがある性質から、シモンに疎んじられ、重く用いられていなかった。

 献策をしても取り上げられることなく、冷遇されていた。

 しかし、シモンはその才能を高く買っていたので戦場に伴っていたのである。


「ええい、この期に及んで慌てる馬鹿どもがおるか」


 剣を抜き、仰々しく構えるシモンの姿は将軍然として映えるものだがいかんせん、自身が一番、慌てているのだから、どうにもしようがない。


「閣下。ここは本陣を敢えて、前進させ中軍と合流するのが得策かと存じます」

「ふむ、よかろう。ともに来るがいい」

「はっ」


 僅かな供回りとズデニェクのみを従え、味方と合流すべく動き出したシモンだったがいつのまにか、右を見ても左を見ても敵兵の姿しか、見えない。

 これはさすがにまずいと感じたシモンだったが、純白の美しい馬に乗り、二振りの剣を構えたベーオウルフが突進して、既に間近に迫っていた。


「シモン・エリアス! その首いただく!」


 ベーオウルフの振りかざした刃がシモンに襲い掛かろうとしたその時だった。

 風切り音とともにベーオウルフの頭を目掛け、一本の矢が飛んできた為、ベーオウルフはシモンを討とうと振り上げた剣を自らの身を守る為に戻さねばならなかった。


「間に合ったみたい」


 上から下まで青で統一された装束を身に着け、その髪と瞳まで鮮やかな空のような色に染められたエレミアが右手に構えた鞭を勢いよく振るい、ベーオウルフの左手に巻き付かせるとその動きを妨げる。


「一宿一飯の恩義は返さないといけませんからね。あなたに恨みはありませんがこれも仕事でしてね」


 エレミアとともに騎馬で駆けてきたコンラッドは柄の長い大型の斧をベーオウルフへと叩きつけるように振り下ろす。

 それは確実にベーオウルフの頭を捉えており、左腕を鞭で拘束されている以上、回避しようがないと思われた。

 しかし、無慈悲な大斧の一閃はベーオウルフへと届かなかった。

 突き出された槍によって、防がれたのだ。


「そうはいかぬ。この俺が相手だ」


 その心を表すかのように真白き甲冑に身を包んだヴァシリー・ドラクルがベーオウルフをかばうようにその前に躍り出た。


 一人は心に迷いを生じさせたまま、槍を振るう。

 一人は主を守るべく、ただそれだけの為に斧を振るう。

 迷いは力をも左右する。

 二人の若き俊才の戦いが今、始まろうとしていた。


 その間に危うく難を逃れたシモンは漆黒の甲冑で統一された重装歩兵の集団と合流を果たしていた。


「エリアス閣下、こちらへ」

其方そなたは?」

「デルベルク辺境伯が妹ユウカ・フォン・デルベルクと申します」


 ユウカは重装歩兵を率い、シモンを守りながら、徐々に本隊と合流すべく、動き出し、リーンハルトはそれとは全く、逆の方向へと動いていた。

 少数の重装歩兵のみを引き連れ、ベーオウルフと対峙するエレミアに加勢する為である。


「あなたの相手はこの僕です」


 はやる心を落ち着かせ、得物のグレイブを構えるリーンハルトだが、その刃先は緊張からか、微妙に震えていた。




「まずいな。これはしてやられたかもしれないぞ」

我が主マイ・ロード、どうしました?」


 まずいことに気付いてしまった。

 ブロームを狙っていたのはユーリウスだけだ。

 ベーオウルフの姿がない。

 だから、本陣を狙うだろうと踏んでヴェルに急いでもらったんだが……。


「ヴェル、すまないが反転だ。全速力で頼む。向かうのはコベールの本陣だ」

「どういうことですか、我が主マイ・ロード

「あいつら、大将を二人とも殺ろうって魂胆なんだよ。シモンはあいつらなら、何とかしてくれると信じている。だが、コベールの方は無警戒だ。とてつもなく、まずいってことさ」

「なるほど。分かりました、しっかりと掴まってください、我が主マイ・ロード


 炎の鱗粉を発生させながら、高速で飛行するヴェルミリオンの姿が赤い流星と勘違いされることになろうとはその時の俺は知る由もなかった。

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