閑話 無用の姫セレスティーヌ

 私はセレスティーヌ・オルロープ。

 帝国内務卿イグノーツ・オルロープの一人娘です。

 娘と言っても本当の娘ではありません。


 私は養女なのです。

 幼い頃、『無用の姫』として殺されかけた私を不憫に思ったのでしょう。


 お義父とう様が私を養女にしてくださらなければ、私はとうの昔に儚くなっていたことでしょう。

 優しいお義父とう様にはいくら返しても返しきれない感謝と敬愛の念を抱いています。


 そう……私の本当の父は暴君として畏れられた冷血帝カルストフ。

 母は不思議な力を有する北の少数民族の長の娘だったそうです。

 虜囚となり、無理矢理に入れられた後宮。

 かの暴君の晩年の束の間の気まぐれに慰み者となり、たった一度の過ちで生まれたのが私だったのです。


 母は心を病み、私が生まれてすぐに命を絶ったと聞かされました。

 だから、私は無用の娘。

 いつ処分をされても仕方がありませんでした。

 そんな状況を子供心に理解していた私は覚悟していたからなのか、心が冷え切っていました。

 誰にも愛されない。

 存在してはいけない。

 そんな子供が子供らしく、生きていけるはずがないのです。


 しかし、お義父とう様との出会いが私の運命を変えました。

 後宮に閉じ込められ、いつ殺されるかと怯えなくても良くなったのです。

 だから、私はお義父とう様が望むのなら、どんなことでも我慢が出来ます。

 死ねというのなら、この命などいくらでも捧げましょう。


「お嬢様、何を書かれているのですか?」

「うふふ、内緒ですわ」


 私は誰にも見られないよう鍵を掛けた日記を机にしまい、優雅に立ち上がろうとして……


「うにゃ」

「大丈夫ですか、お嬢様」

「だ、大丈夫ですわ」


 いつものように転びかけました。

 特に引っかかる物もないのになぜでしょう?

 あまりにも毎日、同じように転ぶもので世話をしてくれるメイドさんが倒れる前に支えてくれるのです。


 こんなちょっと頼りない面がある私ですが、容姿だけは美しかった両親に良く似ています。

 ストロベリーブロンドの艶やかな髪にエメラルドのように輝いて見える瞳はとても目立ちます。

 肌は白磁のようにシミ一つないと皆が褒めてくれます。

 顔立ちも整っているようですが、自分では良く分かりません。

 お義父とう様は『お前が微笑めば、国が傾くかもしれんね』と冗談交じりに仰っていましたから、それなりに美しく整っているのではないでしょうか?


「都を離れなくてはいけないという噂は本当なの?」

「はい、お嬢様。旦那様から、まだお話をうかがっておられません?」

「ええ、お義父とう様からは何も……では噂ではなく、事実でしたのね」


 お義父とう様は何も心配はいらないと仰っていたけど、本当に大丈夫なのでしょうか。

 執事さんが最近、都の治安が低下したと嘆いていましたし、お義父様も何か、悩みを抱えているご様子なのです。

 私に何か、出来ることはないのかしら?


 しかし、時の流れは残酷なものです。

 私に何か、出来ることはないかと模索する暇すら、与えてくれませんでした。

 都を離れる出立の準備が整った頃にはあまりの忙しさに我が家のおかれた状況を忘れかけていました。


 ですから、急ぎ都を離れねばならない事態に陥っていると私が気付いた時には既に馬車に乗せられていたのです。

 一体、どこに向かうのでしょう?

 都を一度も離れたことがない私にはどこへ向かうのか? なぜ向かうのか? 全く見当がつかず、あまりの不安に泣いてしまいそうです。


「この馬車はオルロープ家のものか?」


 駆ける馬の騒々しい足音と何か、詰問するような男の声が聞こえました。

 私は不安どころか、恐怖に圧し潰されそうで震える他ありません。

 私を捕えようと追ってきた兵隊さんでしょうか?

 それとも盗賊の類?

 どうすれば、いいの……。


「オルロープ家の姫君が乗られているのだろう? 私が守るゆえ、安心して進んでくれたまえ」


 私の思い過ごしというより、勘違いでした。

 あんなに優しい声で気遣ってくださる方を疑うなんて、お義父とう様の娘として恥ずかしいわ。

 誰も見ていないから、いいようなものですが恥ずかしさから、顔が真っ赤になっていることでしょう。


 ですが、ちゃんとお礼くらいは述べておかない訳には参りません。

 オルロープの娘として!

 御者さんに伝え、馬車を止めてもらいました。

 私としては馬車を降り、丁寧にお礼の挨拶を述べるつもりだったのですが、断られるとは思いませんでした。

 それも私が馬車を降りる危険性を考えて、断ってくれたのです。

 何とお優しい方なのでしょう。


「本当に申ひ訳ございまひぇん」


 噛みました。

 また、やってしまったのです。

 そうです。

 私は何もなくても良く転んでしまいますし、大事な場面でまともに言葉を喋れなくなる癖があるのです。

 だから、本来は夜会に出て、社交デビューをしないといけない年齢なのにそれも果たせないのです。

 本当に駄目な娘なのです。


「そのお気持ちだけで十分でございます、セレナ姫」


 その騎馬に乗った方は爽やかな笑顔を振りまきながら、私に優しく接してくれました。

 窓から、顔を覗かせることしか出来ない私に……。


 かっこいいです!

 すごくかっこいいです!

 あんなにかっこいい人を見たことがありません。


 お義父とう様のお仕事で付き合いのある貴族や官僚にも容姿の整った方は大勢いるのですが、何分、お年を召した方が多いのです。

 表に出ないようにと言い聞かせられていますから、お客さまの応対をすることもありませんし……そもそも、若い男の方をはっきりと見るのも初めての経験だったりします。

 こんなに美しくて、かっこいい人が存在するのでしょうか。

 それとも騎士と呼ばれる方は皆さん、こんなにかっこいいのでしょうか?


 ふぇぇぇ!?

 今、気付きました。

 私のことをなぜ、セレナと?

 セレナは確かに私の愛称です。

 ですが親しい人しか、知らない愛称を初対面の方が呼べるものでしょうか?


「私どもが警護しますので安心してください」

「は、はい。ありがひょうございまひゅ」


 私の中で湧いた微かな疑惑は彼が向けてくれた太陽のような笑顔にすっかり、かき消されていました。

 でも、また噛んでしまったドジな私の印象がいいはずはありません。

 あれは社交辞令で内務卿の娘であるセレスティーヌという存在に対して、向けてくれただけですもの。


 それからは何事もなく、ガタゴトと揺られる馬車に何だか、眠くなってきた私はうつらうつらとしかけていました。

 このままでは間違いなく、夢の世界の住人になってしまいます。

 ……でも、眠いのです。

 私は眠りに抗えるほど強くはありません。


「ふぇぇぇぇ!?」


 馬車の揺れが急に酷くなり、さすがに鈍い私でもはっきりと目が覚めました。

 猛スピードで走っているのでしょうか? なぜ?

 考えても分からないのですが、無理にでも頭を働かせていないと怖くて、たまらなかったのです。

 そして、気付いた時には身体がふわっと浮いていました。

 そこで私の意識は途絶えました。




 額に冷やっとする心地の良さを感じ、ゆっくりと瞼を開くと深い海のような色合いの美しい瞳と視線が合いました。

 ええ、それは本当に見つめ合って、息が止まってしまうくらいに!


 私の警護をしてくださったあのかっこいい方がいらっしゃったのです。

 何が起きたのでしょう?

 青いお空が見えるということは私は外にいるのでしょうか?

 ですから、えっと……何が? あら?


「姫、危ないところでした。馬が何かに驚き、暴走したのですよ。御者が振り落とされ、制御を失っていたのでどうにかお……いえ、私が止めたのです。姫は気を失っておられたので失礼とは思いましたが、こういう事態でしたのでご容赦を願いたい」


 ほぁぁ、かっこよすぎて、何を言っているのか、分かりません。

 痛い思いをする前に意識を失って、その結果、こうなっているのですから。

 これは神様が与えてくださった幸運に違いありません。

 お礼を言って、少しでも私の印象を良くしませんとこのままではいけないと思うのです。


「あ、ありぎゃほうございまひゅ」


 ふぁ!? また、盛大に噛みました。

 ちょっと舌が痛いです。


 どうしてなの?

 焦るから、いけないと思うと余計に焦ってしまいますし、どうすればいいのでしょう。

 おろおろとしている私を見て、変な女と思われたでしょうね。

 チラッとあの方の様子を窺うと『うわ、何この子尊すぎ』と小声で聞こえたのですが何のことなのでしょう?

 やはり、変と思われただけ? 呆れられたのかしら?


「姫、どうやらオルロープ家の方々も追いついたようです。お名残り惜しいですが私はここで……」


 ええええ!? もう行ってしまわれるのですか?

 せめて、お礼の言葉とそれに何か、お礼を差し上げなくてはオルロープの娘として、不出来すぎると思うのです。

 しかし、私が逡巡している間にあの方は颯爽と去っていかれました。

 結局、空回りするだけ空回りして、あの方のお名前をうかがうことすら、出来ませんでした。

 

 でも……これは?

 手元に残ったのは私の頭を冷やすのに使っていた清水を含ませたハンカチ。

 それに今頃、気付きました。

 あの方は私を地面にそのまま、寝かせてはいけないと気を利かせてくれたのでしょう。

 身体の下に二つの頭を持つ飛竜が描かれた美しい真紅のマントが敷かれていたのです。

 あの方が何方どなたなのか、手掛かりになりそ……そうですわ、もっといい考えがありました!

 これをお返しするという理由が出来ましたもの。

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