第10話 推しの姫が天使なんだがどうすればいい?

 雑然と積まれた分厚い書物。

 得体の知れない蛍光色の液体が入ったフラスコ。

 奇妙で気味の悪い生物が干乾びた物。

 それらが散乱する雑然とした机に向かい、ブツブツと小声で何かを呟きながら、作業に没頭している者がいる。

 その者は黒く闇色に染め上げられたローブを目深に被り、表情すらうかがえない。

 姿勢はあまり、よろしいと言えるものではなく、齢を重ねた者のようにしか見えなかった。


「ルキ、出来そうかい?」


 黒いローブの者に声を掛けたのは少年だった。

 白いローブを纏い、白銀の髪をした白づくめの少年である。

 コントラストをなすように黒い布が双眸を覆っている。


「お主は我が何でも作れると勘違いしておらんか?」


 黒いローブの者は振り返ることもなく、物言いと姿勢には似合わぬ透き通ったようなきれいな声で不機嫌さを隠さずに答える。


「つまり、出来るってことだろう?」

「ぐぬぬ。出来ぬとは言っておらぬ」

「そっか、それは良かったよ。ゲームが面白くなってきたんだぁ。もっと面白くしたいだろう?」

「相変わらず、お主というヤツは……」


 性格が悪いのうと出かかった言葉を飲み込むと黒の者は自らが没頭する研究に専念することに決めた。

 この白いヤツに必要以上に関わってもストレスが溜まるだけなのだ。

 極力関わらず、無視しておくのが一番いいと気付くまで、意外と時間が掛かったのは研究第一でその他のことには無頓着だったからに他ならない。


「ゲームねぇ……お主はその神にでもなったつもりなのか? 我らとて、駒に過ぎぬとは考えぬのか?」


 黒の者の呟きに応える者は誰もいない。




 大河に小石を投げ入れても何も変わらない。

 歴史の流れというのは無情なものだ。

 小さな人如きが多少、動いたくらいで動いたりしないものなんだろう。


 千年の都と謳われた美しき古都グランツトロンが紅蓮の炎に焼かれ、一面の火の海となる歴史は変わらなかった。

 天まで焦がす勢いの炎はまるで地獄の業火のようだ。

 この分では一昼夜で火が消えないだろう。


 俺が動いたことで起こった小波さざなみは歴史の奔流を動かすほどの影響を与えなかったってことだ。

 その時期が早まったに過ぎないか。

 文化遺産を喪失する悲劇は避けられなかったな……。


 ド・プロットのことだ。

 都に火を付けただけで済むはずがない。

 恐らく、地獄絵図が繰り広げられていると見て、間違いないだろう。

 この機に乗じ、金品を奪う盗賊紛いのことをしかねない男だ、アレは。


 だが、俺にもやらなくてはいけないことがある。

 例え、歴史が変えられなくても守りたい明日があるんだ。


 はい。

 かっこつけたことを言ってみたが、やってみたかったことをついに実行に移す時が来た訳だ。

 全てが前倒しになった。

 つまり、前世で推していたセレナ姫のイベントもそうなっていて、おかしくはないだろう。

 そう睨んだ俺は都から落ち延びる貴族を警護するという名目でチェンヴァレンくんをお供にオルロープの紋章が入った馬車を探した。


 動いて、正解だった。

 危ないところだったな。

 このイベントで出会っていないとセレナ姫と直に出会うチャンスはないと思っていいだろう。

 深窓の令嬢というレベルを超える超箱入り娘なのだ。

 大事にされている愛され姫だからなぁ。


 御者に尋ねるとやはり、オルロープの家の馬車で間違いなかった。

 この馬車に乗っている。

 推しの姫に会えると思うと柄にもなく、緊張してきた。


 この先、安全が確認されるまで警護をする旨を伝えると姫自らが降りて、お礼をすると言い始めた。

 それはさすがにまずい。

 この付近はまだ、安全とは言い難いからだ。


 何があるか、分からないのに大事なセレナ姫が馬車から降りるなんて、あってはならないと安全面のことを伝えた。

 それなら、せめて馬車を止め、顔を見せてお礼を言うだけと譲らない。

 意外なことに姫は頑固らしい。


「本当に申ひ訳ございまひぇん」


 薄い桃色の美しい髪と澄んだ宝石のような緑色の瞳で織りなされたその造形美はまさに天使! いや女神!

 千年に一度。

 いや、二千年に一度のめちゃかわアイドルが目の前にいるのだ。

 そんな完璧な美少女が思い切り、噛んだ。

 可愛すぎない?

 俺の推しが可愛すぎて、辛い。


 ゲームのイベントスチルでも滅茶苦茶、美少女だったが……。

 実物を生で見ると比べ物にならないということが良く分かる。

 三次元は駄目だなんて、嘘だな。


 噛むし、何かおどおどしているのだ。小動物のような愛らしさまであるとか、心臓が止まるわ。


 姫のあまりの愛らしさに前世で体験したゲームの姫と異なる性格への違和感が吹き飛んでいたのは気のせいと言うことでいいだろう。

 さらに止めとばかりに噛んでくるとは只者ではない。


「は、はい、ありがひょうございまひゅ」


 そう噛みながらもお礼を言って、にへらと笑う姫が可愛すぎて、辛いんだがどうすればいい?

 チラッとチェンヴァレンくんを見ると半目で汚い物を見るような目をされた挙句、舌打ちされたんだが俺は何か、したかね?




 やっぱり、大まかな歴史の流れというものは変わらないらしい。

 都落ちイベントが前倒しになってもセレナ姫が危ない目に遭うのは避けられなかったようだ。


 伏兵が現れたのなら、より危険だった。

 どちらに転ぶか、分からず不安だったが、馬車が暴走するだけで済んだのは不幸中の幸いというやつかもしれない。

 チェンヴァレンくんと馬を一杯に走らせ、馬車に寄せて、どうにか落ち着かせることが出来た。


 心配なのは暴走した馬車に揺られていた姫の身体だ。

 慌てて、馬車の扉を開け、確認すると目を回して、倒れているセレナ姫の姿があった。

 外傷と思しき傷は見当たらないがこのままにしておくのはよくないだろう。

 チェンヴァレンくんにオルロープ家の者を探すよう言いつけ、姫を横抱きに抱えて、外に寝かせてあげることにした。

 そのまま、寝かせるなんて、推しの姫に失礼すぎる。

 羽織っていたマントを地面に敷いてから、痛くないように確認してからだ。

 直に触ったこの手は勿体ないから、手も洗えないぞ!


 マジで可愛すぎるんだが見ているだけで満足する俺はおかしいのだろうか?

 いや、待て待て!

 姫は気絶しているんだ、頭を冷やした方がよくないか?


 俺は自分でも信じられないくらいのスピードで小川を見つけると冷水でハンカチを浸した。

 戻って姫の額に冷やしたハンカチを当て、少しでも苦痛を和らげることが出来ればと柄にもなく、神に願う。


 気休めかもしれないが今の俺に出来るのはそれくらいのことだけだ。

 あまりにセレナ姫を凝視しすぎて、彼女の意識が戻っているのに気付かなかった。

 彼女のエメラルド色の美しい瞳が俺を見つめている。

 ぐはぁ。

 見つめられているだけでダメージを受けた気がしてくる可愛さだ。

 だが俺は自分でもびっくりするくらい流れるような言い訳をした。


「姫、危ないところでした。馬が何かに驚き、暴走したのですよ。御者が振り落とされ、制御を失っていたのでどうにかお……いえ、私が止めたのですが姫は気を失っておられたので失礼とは思いましたがこういう事態でしたのでご容赦願いたい」


 あまりにベラベラとまくし立てたから、姫がドン引きしたんじゃないか?

 自分でも引くわ、この言い訳。


「あ、ありぎゃほうございまひゅ」


 違いました。

 さらに俺にダメージを与えてくる追撃をしてくるとは!

 セレナ姫は中々に手強いお方のようだ。

 さすがは推し!


 今日は姫の顔を直に見られただけでも大きな収穫だろう。

 彼女の反応を見る限りでは悪い印象を与えていないと思うんだが……。


 それとも噛みまくっているのは俺が怖かっただけなのか?

 うーむ、いまいち、どっちなのか自信がないなぁ。

 どちらにせよ、チェンヴァレンくんがオルロープ家の家人を連れてきたようだから、タイムリミットだ。

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