閑話 残虐姫は悪役令嬢になりたくないので逃げます

 時はド・プロットにより、遷都が行われる半年前に遡る。


「んぎゃああああ」


 帝都グランツトロンのド・プロット邸に甲高い悲鳴が響き渡り、屋敷内は騒然としていた。

 それというのも声の主がダニエリック・ド・プロットが溺愛する孫娘アーデルハイト・ド・プロットだったからである。


「ど、ど、どういうこと? これが私? え? この顔……この髪。いやあああああ! 悪役令嬢じゃないですか!」


 あたしは二条 快子にじょう かいこ

 希望に満ち溢れた十六歳の高校一年生……でした。

 過去形なのは多分、あたしが死んでいるからです。

 いわゆる巻き込まれて、死んじゃったようです。

 人間の身体が降ってくることなんてないから、自殺した人に巻き込まれたんでしょう。

 って、落ち着いている場合じゃないぞ、あたし。


 艶々とした濡れ羽色の髪は腰に届くくらい長い。

 それなのに枝毛の一本も無い。

 余程、手入れがいいのか、そういうチートでもあるんでしょうか?

 肌も透けるように白いし、瞳の色はきれいなサファイアブルー。

 目はちょっと吊り目気味。

 猫を思わせるきつい顔立ちです。


 でも、間違いなく、美少女です。

 これはいわゆる、死んで『異世界転生』してしまったということなんでしょうか?

 問題はこの身体が……


「もうすぐ、殺されるのが確定してる悪役の孫娘! 何で悪役令嬢なの!?」


 この顔に見覚えがあった。

 あたしが生前、好きだった人気シミュレーションRPG『王竜英雄伝説』のスピンオフ小説に出てくる悪役令嬢アーデルハイト・ド・プロットです。

 暴君の祖父に甘やかされたからか、我が儘放題でプライドが高いし、性格も最悪。

 いいのは見た目だけっていうどうしようもない子でした。


 ある時、馬車で移動していたら、運悪く車輪がはまって立ち往生した時のエピソードなんて、胸糞が悪いなんてものじゃすみません。

 『このあたくしを止める道があって、いいと思って? 殺しなさい』とその道があった集落の住人を皆殺しにしたのです。

 それでついた二つ名が『残虐姫』。

 祖父も祖父なら、孫も孫だよね! って、話なんだけど、問題はあたしが今、そのアーデルハイトってことなんです。


「このままだとあたし、フレデリク様に殺されるじゃないですか。どうしよう!?」


 あたしが一番好きで推していたキャラがフレデリク・フォン・リンブルク様。

 挿絵のイラストがかっこよく描かれていたからもあるんだけど、セレスティーヌ姫との純愛が悲恋に終わるまでのストーリーにきゅんきゅんしました。

 問題はそれなんです……。

 セレスティーヌ姫が自殺したのって、アーデルハイトが『お祖父さまを殺したこの淫婦め! お前さえ、いなければ』と責めまくったから……。

 そりゃ、フレデリク様に殺されますって。

 全身をバラバラに切り刻まれて、死ぬんだけど……それがあたしじゃないですかあああああああ!


 まず、あたしは無駄かもしれないけど、アーデルハイトの印象が少しでも良くなるよう好感度UPキャンペーンを張ることにしたのです。

 まずは使用人に優しく接するようにしました。

 というか、元々、前世で使用人なんていなかったから、慣れていないのもあって、普通にお礼を言ったり、名前で呼んだだけなんだけど。

 そのお陰で少しくらいは良く思われるようになったみたい。

 当初はメイドさんもガタガタと震えていたのが、今は気安い女友達レベルで接してくれています。




 ――半年後

 思ったよりも早く、遷都が行われてしまいました。

 少しずつではあるもののあたし=アーデルハイトの印象が悪いものではなくなってきました。

 ただし、それはあくまでも身内の話です。


 屋敷勤めの使用人からは慕われるようになったというだけで生き残れるかどうかにはあまり、関係がないかもしれません。

 セレスティーヌ姫に近付いたりしなければ、平気だと思うのが甘い考えかもしれないと思うようになりました。

 何しろ、セレスティーヌ姫はずっと隠されていたのです。

 事件が起きてから、強制的にあたしのせいにされて、殺される展開がないとは言えません。

 異世界転生が流行ですが、そういう強制的な力が働く可能性を考えなくちゃ……。


 そこであたしは逃げることにしました。

 ここから逃げてしまえば、助かるかもしれない。

 むしろ、逃げないとどうやっても殺されるかもしれないんです。

 逃げるしかないんです!


「お嬢様、本当に実行される気ですか?」

「あたしが嘘で逃げると思っていましたの?」


 あたしをおんぶして、闇に包まれたうら寂しい路地裏を駆けているのはコンラッド・ジャガー。

 専属執事として、付けられたのがコンラッドと知って、あたしはびっくりしました。


 コンラッド・ジャガーと言えば、後にゾフィーア皇女に仕え、五大将軍の一人に数えられる名将になる人なんですから。

 大斧を得物に戦場を駆ける時は勇ましく、雄々しいのに知恵も回る戦上手だったりするコンラッド。

 おまけに普通にイケメンです。


 何でそんな人があたしの執事になってるんでしょう?

 不思議に思うことはありましたが彼とはまだ、会って数ヶ月の短い付き合い。

 それにもかかわらず、あたしの逃亡計画に協力してくれるんですから、頭が上がりません。


「コンラッドさん、馬屋まででいいですから」

「お嬢さま。一人で旅をするのは危険です。私は腕に多少なりとも自信がございます。どうか、ともに行くことをお許しください」

「ええ!? そ、そんなこと言われても困ります……あたしと一緒にいると苦労するだけなのよ?」

「それでもかまいません。退屈しない日々が送れて、楽しそうです」


 彼の瞳は真っ直ぐ、あたしを見つめているものだから、拒否なんて出来ません。


 結局、お馬さんは一頭ということに半ば強引に決められ、馬術に長けた彼が後ろに乗って、あたしは前に乗っかっているだけという他力本願な馬上の旅が始まりました。


「あたしのことはハイジとお呼びください。間違ってもお嬢様などと呼ばないでくださいね。あたしもあなたのことをコーディとお呼びしますから」

「はい、お嬢さ……いえ、ハイジ様」

「様はいりません。ハイジだけで結構です」


 このやり取りはもう何回目?

 コーディは真面目な人だから、駆け落ちしてきた恋人という設定に無理があるということでしょうか。

 その方が宿で取る部屋も一つでいいですし、都合がいいと思ったんですけどね。


「しかし、お嬢……ハ、ハイジ?」

「何ですか、コーディ」

「本当に東へ向かっていいんでしょうか?」

「木を隠すなら林の中と言うじゃないですか」

「それ、森の中ですよ」

「え……恥ずかしぃ」


 暫く、沈黙の時に支配されて、会話が途絶えたのはあたしのせいではないと思います。

 気まずいです。

 何を喋ったらいいのか、分かりません。


「お嬢様……どうやら、囲まれているようです」

「え?」


 気まずい雰囲気はなくなりましたが大ピンチじゃないですか。

 囲まれているって、何にですか?

 盗賊? 野盗? 山賊?

 どれでも絶望的じゃないですかああああ!


「ど、ど、どうすればいいの?」

「下手に動いてはいけません。私は命に替えてもお嬢様をお守りします。信じてください」

「コーディ……分かりました。でも、一人で死ぬのは駄目ですからね。死ぬ時は一緒。約束してちょうだい」

「はい、お嬢様」


 あれ?

 あたし、コーディと恋人でもないのにどうして、こんなことを言っているんだろう。

 自分でも良く分かりません。

 あぁ、これが吊り橋効果というものね?

 危機的状況で心拍数が上がるのを恋と勘違いしちゃっただけなのよ。

 うんうん。

 つまり、あたしはおかしくない。


 あたしがアホなことを考えている間に完全に包囲されていたようです。

 鼠一匹逃さないとはこういうのを言うんでしょうか?

 単なる盗賊の類ではない気がします。

 深い海の色を思わせる濃紺の鎧で統一された騎馬兵があたしたちをグルっと取り囲み、同じく濃紺に染められた皮鎧を着込む弓兵が狙いを付けています。

 絶体絶命のピンチです。

 もう無理なのでしょうか?

 あたしがどんなに頑張っても死亡フラグというのはやはり消せないものだった、と。


「えー? アーデルハイトお嬢様、こんなところで何してるんです?」


 騎馬兵の中でも一際、目立つ髪も瞳も装束と揃えたようにきれいな蒼い女性があたしの姿を見て、素っ頓狂な声を上げるのでした。

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