閑話 諸侯連合、黒バケツに困惑する
その頃、諸侯連合軍の本陣は重苦しい雰囲気に包まれていた。
それというのも包囲し、追い詰めていたシャイデンの砦から、出陣した漆黒の鎧で統一された『黒の騎馬軍』の存在に依るところが大きい。
取るに足らない少数の鉄騎兵部隊と侮っていた『黒の騎馬軍』は縦横無尽に陣を切り裂き、勇猛な将を討ち取っていった。
勝利を目前にした戦場が一転。
もはや収拾のつかない状態になっていたのである。
「ええい、何たることか。このようなことになるのであれば、リーヌスとシクステンを連れてくるべきであった」
諸侯連合軍の盟主であるシモン・エリアスはうろうろと右へ行ったり、左へ行ったりとせわしなく、苛々と歩き続けている。
彼の容貌が下手に整い過ぎており、立派に見えるだけにその行動はとても残念なものにしか見えない。
だが、咎める者は誰もいない。
むしろ、下手に刺激すれば、八つ当たりされる恐れがあるのだ。
だから、誰も声を掛けないまま、無為な時が過ぎる。
(ふんっ、相変わらず、短慮で愚かな奴だ。黙って座っていれば、よいものを。しかし、そう言っても手立てがないのは私も同じか。あのような猛将がおったとは計算外だ! ええい、忌々しい)
落ち着きなく動いているシモンにアイスブルーの氷のような瞳で冷ややかな視線を送る皇女ゾフィーアだが、あの得体の知れない黒い鎧の敵将を相手に何の策も思いつかない。
まさに剛勇。
まさしく理想的な武人と言える活躍ぶりだ。
それが味方ではなく、敵というのが口惜しい。
ゾフィーアは募る不満と焦燥から、つい爪を噛みそうになる癖を自重せざるを得なかった。
「リーヌスとシクステンを国許へと残したのが悔やまれてならん。どちらかがおれば、あのような輩、必ずや討ち取っていたであろうに」
立ち止まり、ギロッと半目で睨みながら、座を見回す。
誰も何も答えようとしないどころか、目を逸らすものだから、シモンはその苛立ちを隠さない。
いや、隠すつもりもないのだろう。
シモンが引き合いに出すリーヌスとシクステンはエリアス家が誇る一騎当千の
『北の双璧』と称えられるリーヌス・ガブリエルソンとシクステン・ブローム。
義兄弟の杯を交わし、固い絆で結ばれた二人は大陸でも名の知れた勇猛な戦士だ。
しかし、今回の連合軍決起に際し、シモンは二人の勇士を伴っていない。
ド・プロットの専横で足並みの揃わない帝国の現状に不穏な動きを見せ始めた異民族への抑えとして、置いてこざるを得なかったのである。
「このままでは我らは世の笑い者ぞ? これだけの諸侯が揃っていながら、あのような名も知れぬ輩に好きなように動かれているなど、後世に何と書かれようか!」
座の面々を叱責するかのようにシモンの大声が本陣に響き渡るが、諸侯の誰一人、言葉を発することなく、ただ黙するのみである。
それもそのはず。
名の知られた武将がもう何人も討ち取られているのだ。
「僭越ながら、私があの者を討ち取って参りましょう」
その時、凛と響き渡る声がその沈黙を破った。
「何者か?」
それは諸侯の誰が発した声だったのだろうか?
座の面々の視線が一斉に大言を吐いた声の主へと向けられた。
男は濡れ羽色の女性のようにきれいな髪を腰のあたりまで伸ばしている。
身の丈は二メートルに及ぼうかというほどに高く、軽装の鎧を着込んでいながらも引き締まった筋肉が全身を覆っているのが一目で分かる頑強な肉体を持っているようだった。
右手に持っている背丈は遥かに超える大きな
「貴公、何者だ? どこの諸侯に属している?」
シモンは声の主の威風堂々とした容貌に若干の期待感を込めながらもあくまで盟主たる自分の立場を守ろうとするかのように居丈高な物言いで尋ねる。
その様子を見つめるゾフィーアの氷の視線の温度はさらに低下しているように感じられるが、それに気付くシモンではなかった。
「私の弟でユーリウスと申します」
「貴公は確か……義勇軍を率いてきた」
シモンがそこで口を
そこで助け舟を出す形で横から、ゾフィーアが口をはさんだ。
「おお、ベーオウルフ殿だな。貴公の弟であれば、さぞや腕が立つのであろうな」
「ほお? それでその者の身分はいかほどのものなのか?」
察しの悪いシモンの相変わらずの居丈高な物言いにゾフィーアの表情がさらに険しくなっていく。
(この期に及んでもまだ、そんなことを言っているのか、この間抜けは! 身分の問題ではないだろうに)
内心はらわたが煮えくり返るような思いをしながら、ゾフィーアはそれをおくびにも出さず、我慢している。
それというのも彼女の治める地は兵を最大に動員しても五千も集められない。
今回、盟主という立場につけなかったのも手勢の少なさによるものだ。
兵力の多さこそ、発言力の高さと言っても過言ではない。
いくら連合を発案した皇女といえども、発言力が高い訳ではないということをよく理解しているゾフィーアだからこそ、自重せざるを得なかったのだ。
「エリアス公、ユーリウスは百人隊長を務めてお……」
「なんだと? 百人隊長如きであのような大言壮語を吐いたと言うのか! ええい、その者を即刻、この場から、叩きだせ」
シモンは激高し、ベーオウルフがまだ、喋り終わっていないのにそれを遮るように怒鳴り始める。
「エリアス殿、少し落ち着いてはいかがです? 我らが味方同士で争っても意味がないでしょう。その者、単なる雑兵に見えぬほど立派に見えませぬか? ここはあえて、その者に任せる度量の広さを見せるのもよろしいのではないか? それに……たかが雑兵一人死んだところで我らは痛くも痒くもなかろう」
言葉では結構、酷いことを言っているゾフィーアだが、心の中では謝っていることに気づく者はいないだろう。
彼女は以前、反乱軍討伐の際にベーオウルフ兄弟と共闘したことがある。
その際の戦いぶりと団結力の強さを見て、彼らのことを高く買っていたのだ。
ひっそりと心の中で謝りながらも、後程フォローを忘れないようにしようと固く、誓っていた。
この皇女は人に謝る姿を一度として見せたことがない。
自分が悪くても謝らない『氷の姫君』と呼ばれる皇女が実は心の中で謝っているなど誰が信じるだろうか?
「ふむ。ゾフィ……いや、皇女殿がそうまで仰るなら、よろしい。ユーリウスとやら、行ってまいるがよい」
(ああっ、この面倒な見た目だけ男が! お前のような見た目だけと違って、こやつらは使えるのだ。それに私はそう……少々、気に入っているのだ)
ゾフィーアは恋する乙女のような熱い視線をユーリウスに向けているのだが、本人にその自覚は全くない。
戦場にその身を置き、周囲から一族の希望として大切にされてきたがゆえの鈍感。
男所帯に育った悲しさである。
ロマンスとは全く、無縁の世界に身を置いてきたが為に恋愛の機微とは何かも知らないまま、成長してしまったのが彼女の不幸である。
かくして、それぞれの思惑が食い違う中、最後の希望を背負い、ベーオウルフ三兄弟の次兄ユーリウスが出陣することとなった。
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