第2話 将軍閣下ご乱心

「閣下、どうされましたか? 閣下!」


 男にしてはちょっとキーの高い声だ。

 まだ、幼さが残っている気がするから、少年なんだろうか?

 何度も呼びかけられ、『将軍』が何のことだか分からない状態のまま、やたらと重たい瞼を開いた。


 瞼だけではない。

 頭も何か、こう霧に包まれたようにもやっとして、重たいのだ。

 視界に入ってきたのはサラサラとした何とも、触り心地が良さそうな栗色の髪をおかっぱに切り揃えた少年の姿だった。

 少年は童顔なのか目も大きく、その瞳はきれいなエメラルドグリーンの色をしている。

 どことなく、泳いでいる視線が小動物のようなかわいらしさを与えている。

 あれ? おかしいな。

 俺は確か、ゲームで遊んでいたはずなんだが、ここはどこなんだ?


「君は誰だ?」

「はっ!? 閣下、僕が閣下に何年、お仕えしていると思ってるんですか。いい加減に名前くらい覚えてくださいよ。リーンハルト・チェンヴァレンです!」


 リーンハルト・チェンヴァレンだと?

 そんな馬鹿なことあってたまるか。

 それは昨日、俺がやっていたゲームの登場人物じゃないか。

 俺が好きだったフレデリクに仕えた若き戦士の名だ。

 若いながらに優れた人物で重用していれば、間違いなく頭角を現す逸材なんだが……フレデリクは冷遇していたんだったな。


 確か、フレデリクの敗死後、リーンハルトも捕虜になるが許されて、皇女ゾフィーア・ソラトガルに仕えることになるんだが……。

 帝国五大将軍の筆頭になって、『悪いことをするとチェンヴァレンが来るぞ』と言うだけで子供が泣き止むくらい恐れられる名将軍に育つんだったな。

 フレデリク、どんだけ人を見る目がないんだ。


「あ……ああ、すまんな。チェンヴァレンくん」


 俺がそう言うとリーンハルトはそれでなくても大きな目を目玉が落ちそうなくらいに目いっぱい開いて、驚いている。

 なんだ? 俺、何か、おかしなこと言ったか?

 というか、俺は俺だよな?


「それでチェンヴァレンくん、俺は誰だ?」

「はあああ!? 泣く子も黙る鬼将軍リンブルク閣下。大丈夫ですか? やはり、頭を強く打たれたせいですか?」


 え? 俺がリンブルク?

 リンブルクって、フレデリク・フォン・リンブルクのことだよな。

 どういうことだ……。

 そんな馬鹿な話ってあるか?


「チェンヴァレンくん、すまんが鏡を持ってきてくれないか」


 訝し気な表情を隠そうともせず、リーンハルトは手鏡を持ってきてくれた。

 恐る恐る鏡に映った自分を見て、絶句する。


 そこに映っているのはやや収まりの悪い蜂蜜色の髪。

 少々日に焼けてはいるが男性にしては美しい白い肌。

 深い海を思わせる暗めの青い瞳が映える彫りの深い顔立ちの男だ。


 俺は黒っぽい髪に黒っぽい目。

 ブサメンでもないがイケメンでもない至って、平凡な日本人のはずなんだが!

 この顔にあの名前。

 間違いない。

 俺はどういう理由か、分からないがゲームの中の登場人物であるフレデリクになっているってことか?

 異世界転生が流行っていたのは知っているがおいおい、マジかよ。


「ふむ……チェンヴァレンくん、今の状況はどうなっている?」


 理解も出来んし、冷静に判断も出来んが状況が分からんことには動きようもないしな。

 まずは状況確認だ。


「ユウカ将軍が出兵の挨拶に来られる約束のはずです。それもお忘れですか、閣下」


 何、この子怖い。

 リーンハルトって、こんな子だったか?

 いや、そうじゃない。

 ユウカ将軍が出兵だと?

 結構、話が進んでるじゃないか、まずいぞ。


「そうだったか。最近、齢のせいか、物忘れが激しくてな」

「閣下はまだ二十代のはずですが!」

「チェンヴァレンくん。何もそう青筋立てて、怒らんでもいいじゃないか」


 かわいい系少年が青筋立てて、怒ってるんだぜ?

 そういう子じゃないというか、冷遇されていても黙々と任務に励んでいる印象が強いんだが。

 おかしいな。

 この子、いじりがいがあって、面白いぞ。


義兄あにう……コホン。リンブルク閣下にユウカが拝謁致します」


 俺とリーンハルトが口論というより、一方的にガミガミ言われているだけなんだだけどな。

 そんな修羅場に入室してきた黒い軍服の少女は目を丸くして、固まっている。


 その名はよく覚えている。

 暴君ダニエリック・ド・プロットに仕える将軍の一人ユウカだ。

 フレデリクとは同郷で同じ戦災孤児。

 そんな身の上のせいか、フレデリクが実の妹のように育てたせいか、彼のことを義兄上あにうえと呼び、慕っていた。


 ところがフレデリクの名代として出陣した戦いで呆気なく、戦死してしまうのだ。

 最強の将軍の義妹なのに扱い酷過ぎだろ!

 思わず、抗議したくなるくらい呆気なかったからなぁ。


「ユウカ、よく来たな。出陣するそうだが……」

「はい、義兄上あにうえ。賊軍が生意気にも攻め寄せてきましたので義兄上あにうえの手を煩わせるまでもありません。私一人でも十分な雑魚どもです」


 『えへん』とばかりに胸を張るユウカ将軍だが残念なことに彼女はスレンダーな身体つきのせいでそんなポーズを取っても『え? 虚乳?』というレベルなんだよな。

 顔は可愛くて、日本人みたいな黒い髪をポニーテールでまとめてる美少女なだけに残念だ。

 可愛いんだが……この顔は嘘だろ?

 そんなことってあるのか?

 あとでカマかけてみるしかないか。


 そう、それでさ。

 俺は胸はもうちょい大きい方が好きなんだ。

 いや、違ったな。

 そういう話ではなかったか。

 このままユウカを一人で行かせてはならん!

 貴重な美少女戦士枠……もとい仲間を失う訳にはいかんのだよ。


「なあ、ユウカ。獅子は蟻を倒すのにも全力を尽くすと言う。敵を侮るというのはその時点で敵の術中にはまっているのかもしれんぞ」


 リーンハルトもユウカも口をポカーンと開けて、俺のことを見つめている。

 いや、何か、俺また、間違ったか?


「さすが義兄上あにうえ。不肖ユウカにそのような考え、思いつく訳もなく」

「さすが閣下です」


 え? 何、ポカーンからの絶賛って、なんだよっ!

 ユウカに至っては頬を桜色に染めて、完全に恋する乙女の顔しているじゃないか。

 ユウカも可愛いさ、だが無理なんだ。

 こいつだけは絶対に無理!

 好きだが違う好きのやつなんだよ。


「そこでだ。ユウカ、この俺が副将として、お前をサポートしようと思う」

「「ふぁっ!?」」


 こいつら、ハモって固まったんだが失礼すぎないか?

 フレデリクを何だと思っているんだ。

 あぁ、そうか。

 脳まで鍛えた奴と思われていたんだろうな。

 さて、ユウカにカマかけてみるか。


「チェンヴァレンくん。君はちょっと席を外してくれないか。兄妹で出立前に積もる話があるのだよ」

「は、はいっ。失礼します」


 部屋を退室するチェンヴァレンくんを確認し、二人きりになったところで俺は話を切り出してみる。


「し、しかし、義兄上あにうえは天下に名高き将軍。副将だなんて恐れ多くて……」

「何を言っているんだ、ユウカ。お兄ちゃんはお前が心配なんだ。お前に何か、あったらと思うと心配だから、手伝いたいだけなんだ。小学六年生までおね……」

「はわわわわ、な、なんでそんなこと知ってるんですか!? それにあれはおねしょじゃないしっ!」


 ユウカの顔が茹蛸みたいに真っ赤になって、頭から、プシューと湯気が出ているように見えるんだが……。

 やっぱり、こいつ、夕夏ゆうかだった……。


「俺だよ、俺! お前、夕夏ゆうかだろ? 夕方に夏って書いて、ユウカの!」

「どうして、それを知ってるの? まさか……本当にお兄ちゃんなの?」

「そのまさかなんだよな」


 神様の悪戯なんだか、悪魔の意地悪なんだか。

 異世界にやって来て、妹に出会うってどういうことなんだ、全く。

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