17.「普通」の手当て(5)

「いやあ、それにしても、見事な手腕だったな、エルマよ。感謝する」


 今に見てろ、と叫びながらデニスが走り去っていってから、しばし。

 ようやく時の流れを思い出した騎士たちは、めいめい、テオの回復を喜んだり、片づけを手伝ったりしはじめた。


 そんな中、いかめしい顔に満面の笑みを乗せて話しかけたのは、短く刈った黒髪に、同色の瞳が印象的な巨漢――副中隊長・ディルクである。

 彼は、その分厚い手でばしんとエルマの背を叩くと、ついで一部始終を見守っていたルーカスに目礼した。


「まったく、ルーカス。よくぞ彼女を連れてきてくれたものだ」


 身分としては部下になるのだが、ディルクのほうが十歳以上年上であるのと、ルーカス自身がそう望んだため、彼は気安い言葉遣いをする。

 ルーカスは軽く眉を上げると、肩をすくめた。


「ああ。俺の代わりにテオの足が持っていかれかけたと聞いて、生きた心地がしなかった。彼女には感謝の一言しかないよ」


 まさか式典練習をサボったツケが、こんな形で現れようとは――。

 そう述べたルーカスに、ディルクは深刻な表情で頷き返した。


「テオが無事回復したのは幸いだが、これは看過できない事態だぞ。癒術すら跳ね除ける呪具。それも、第二王子が乗るとわかっている馬にだ。まさかとは思うが、馬好きと噂の第一――」

「ディルク」


 しかし、その声はルーカスによって遮られる。

 男らしい端正な顔には、いつも通りの皮肉っぽい笑みが浮かんでいるだけだった。


「そんな憶測にまみれた、生臭い話を女性の前でするものではない。だからおまえは無粋だと言われるんだ」

「……ルーカス」


 女の好みにうるさいこの王子が、目の前のほっかむり眼鏡侍女を女性として見ていないことなど明らかだ。

 だが、あえてそのような物言いで咎めてきた意図までも理解し、ディルクは続く言葉を飲み下した。


「呪具の残骸は俺が預かる。形状が馬蹄だったということは、周囲に漏らすな」

「……承知した」


 端的なやり取りで、今後取るべき姿勢を打ち合わせる。

 ルーカスたちがちらりと視線を向けると、エルマは淡々と、


「私はなにも聞いておりません。ほっかむりをしていると、耳が遠くなるようで」


 とだけ述べた。できた侍女である。

 ディルクは感謝を込めて、再びエルマの肩をばしんと叩いた。


「改めて、感謝するぞエルマ。ところでそろそろ、そのほっかむりと口布を外してはどうだ。いい加減暑いだろう」

「はい。実は熱気が籠り、なかなか不快でした」

「はははっ。脱げ、脱げ!」


 ディルクはその勢いのままに、先ほどまで消毒に使っていた蒸留酒を取り上げ、部下から巻き上げた銅マグにそれをなみなみと注ぎ込む。

 そうして、背を向けてエプロンやほっかむりを脱いでいたエルマに、ずいと差し出した。


「ほれ、飲め! 喉が渇いたろう。最高にうまい水だ」

「お言葉に甘えます」


 冷静なようでいて、その実、長時間集中しつづけた疲労と、夏の気温に体力を奪われていたのだろう。

 エルマは臭いを嗅ぐことすらせず、口布を外したそのままの流れで、ぐいとマグを傾けた。


「…………」


 数秒ののち、ぴたりとその動きが止まる。

 一気に度数の強い酒を飲み干したエルマを見て、ディルクはひゅうと口笛を鳴らした。


「いい飲みっぷりじゃねえか」

「まったく、そんなところまで普通ではないのか」


 ルーカスはもはや苦笑の態だ。

 十五の少女の飲みっぷりとは思えない。


 が。


「…………」


 ガロン、と銅マグが手から滑り落ち、石畳を転がりはじめた時点で、二人はぎょっと目を見開いた。


 いまだ口布を剥がした状態で硬直している右手。

 マグを取り落とした左手は、代わりにふらりとした動きで、少女の小さな口元を覆っている。


 ――ふらりとした動き?


 呆然とする二人に、エルマはぼそりと告げた。


「…………わたし」


 心なしか、いつもより滑舌が甘い。


「フランベ、や、消毒、に、使うくらいなら、平気なのですが」


 その声は、まったくもって年相応の、少女のものだった。


「度数の、高い、お酒は……苦手で」

「お……おい!」

「大丈夫か!?」


 だらり、と両腕を下げたエルマに、男二人が血相を変える。

 慌てて手を伸ばすルーカスたちに、彼女は奇妙に冷静な声で告げた。


「――恐縮ですが、あと三秒で……気絶します」


 宣言通り、きっかり三秒後、エルマはルーカスたちの伸ばした腕の中で、どさっと崩れ落ちた。




***




「ただいま戻りました」


 東屋から走り去り、聖医導師の詰め所に向かうと、ちょうどほかの仕事を終えたのか、同僚や先輩の導師たちが珍しく勢ぞろいしていた。

 最年少のデニスは、軽く目礼をしながら部屋に踏み入り、自席を目指す。


 聖医導師は名誉職。

 先ほどまでのデニスのように貴族意識に凝り固まった人間も多いし、貴族社会そのもののような派閥闘争や、足の引っ張り合いもある。

 必要以上に馴れ合わないのが吉だ。


 と、指定された席に腰を下ろしたとき、入り口から呼びかける声があった。


「ああ、戻ってきましたか、デニスくん」

「侯爵閣下!」


 侯爵にして司祭、聖医導師の顧問も務める、クレメンス・フォン・ロットナー侯爵である。

 常に穏やかな後見人の登場に、デニスは慌てて立ち上がり、駆け寄った。


「なに用でございましょうか」

「いえ。君が急な案件で呼び出されたと聞いて、心配になったものでね。たしか今日は、すでに騎士団模擬戦の救護をお願いしていたはず。そこに重ねての対応で、負担は大丈夫でしたか?」

「は。過分なお気遣い、痛み入ります」


 デニスは侯爵の思いやりに胸をいっぱいにした。


「噂でしかありませんが、なんでも最初、君の癒術が効かなかったそうじゃないですか。君の能力を疑うわけではありませんが、やはり相当無理があったのではないかと、そう思いましてね」

「ああ、それは――」


 侯爵の言葉に、つい渋面を作ってしまいそうになる。

 善意とはわかっているが、「癒術が効かなかった」だとかのワードを、同僚たちの前で堂々と言わないでほしい。

 彼らは、クレメンスが席を外した途端、それを言いふらしてデニスの足を引っ張ろうとするに違いないのだから。


「私の能力云々というよりは、呪具のせいだったのです」

「呪具? 穏やかでないですね」

「はい。一見したところでは、まるで芸術品のような――」


 そこまで説明しかけて、デニスはふと口をつぐんだ。

 報告は重要だが、それはこのように、公衆の面前ですべきものだろうか。


(いや、呪具なんて話題を出せば、僕の失態なんかよりよほど、こいつらの噂の種になることは間違いないから、僕としては助かるんだが……)


 数刻前までのデニスだったら、嬉々として呪具の形状や、それがいかに禍々しかったかを語っていただろう。

 すべてそれが原因であると。


 さらには、思わせぶりに、馬蹄がまるで「第一王子の蒐集物のように」、質の良いものだったことも付け加えていたかもしれない。

 そうすればデニスは、不測の事態に役立てなかった無能者から、ゴシップを握るキーパーソンに早変わりだ。

 居心地としてはこちらの方がよほどいい。


 だが――。


(それって、どうなんだ。医師として)


 先ほど怒声を浴びせてきた侍女の姿を思い出し、デニスは自問した。


 彼女には、香水を浴びて悪臭をごまかし、爪を噛んで苛立ちをごまかすことを、「常識がない」と叱られた。

 それでも医師かと。


 ならばきっと、ゴシップを振りまいて己の技量不足をごまかすのも、理想からはかけ離れた振舞いのはずだ。


 馬蹄はルーカス王子が所持している。

 自分はそれをじっくり検分すらさせてもらっていないし、第一王子フェリクスがその馬蹄を持っていたかも定かではない。

 そもそも、自分の本分は患者を治療することであって、その背景について、下世話に憶測を立てることではないはずだ。


 デニスはつるりと切りそろえられた親指の爪をなぞりながら、自らの言葉を訂正した。


「――いえ。そうですね、僕の能力不足です」

「……デニスくん?」

「気に掛かる点もあったので、今回の治療法や、得られた知見も含めて、書面で改めてご報告させていただきます」


 きっぱりと言い切ると、侯爵は少し目を見開いて、やがて頷いた。


「――そうですか。けれどもし書面にしにくいことがあれば、いつでも話を聞きますからね」


 そんな言葉まで添えて。


 侯爵の優しさに改めて頭を下げ、退室を見送ると、デニスは自席に戻ってペンを取った。

 報告書をまとめるのだ。


 す、と羽ペンをインク壺に浸したところで、しかし彼はふと疑問を覚えた。


 最初、自分の癒術が効かなかったという噂を、この短時間で、侯爵はいったいどうやって耳にしたのだろうかと。

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