4.「普通」のお茶汲み(4)

 ひとしきりティータイムを楽しむと、やがてエルマは滑らかに会話を切り上げ、ユリアーナの御前を退出した。

 成り行きで、ルーカス以下三人も同行する。

 失態を演じるであろう新米侍女を救いに駆けつけたはずが、なぜか当人に完璧な紅茶と菓子を振舞われ、引率されて城に帰るという謎展開である。


 四人は、本城へと続く回廊を黙々と歩いた。

 予想外の事態が続きすぎて、三人からはなんと話題を切り出していいかわからなかったためだ。


 と、一番後ろを歩いていたイレーネが、なにかを思い切ったように顔を上げ、背後からエルマに駆け寄り、その腕を掴んだ。


「エ……エルマ!」

「なんでしょうか」


 対するエルマは超然としている。

 足を止め、じっとこちらを見返してくる新米侍女に、イレーネはうっと言葉を詰まらせ、それから、じりじりと喉から声を追い出すように詫びを口にした。


「その……今日のことは、申し訳なかったわ。私、あなたのことを見くびっていた」

「評価いただくような働きはしておりませんので、それも当然かと」

「なにを言うの! 四人分の仕事を半日でこなし、前妃殿下を破顔させる完璧な紅茶を淹れることのできる侍女が、この大陸にどれだけいると言うのよ。あの、カルマとかいうスイーツも、心臓が止まりかけるくらい美味しかったわ」


 直情型だし、気に食わない相手のことは即座に攻撃するが、同じ速さで反省し、素直に敬意を表現できるところは、イレーネの美点だ。


 彼女は、エルマの腕を握りしめた手に力を籠めると、目を潤ませて言い募った。


「だからその……、こ、これからは、同階の侍女として……な、仲よく、して……してさしあげてもいいわ!」


 とはいえ、下手に出るところまではうまくいかなかったらしい。

 顔を林檎のように染めながら、イレーネは、最後でやけくそのように顔を逸らした。

 だが、憧れていたはずのルーカス第二王子をそっちのけで、この不思議な少女との友情を確保しようとするあたり、彼女がいかにエルマに夢中になっているかが伝わってくる。


「はあ、どうぞよろしくお願いいたします」


 結局、そんなユルい返事であっさり申し出を受け入れたエルマを、ルーカスは片眉を上げて、ゲルダは微笑ましそうに見守っていた。


「ああ、それにしてもエルマ。あなたの有能さには恐れ入るわ!」


 会話が一段落したタイミングで、ゲルダがそんな風に言って手を合わせる。


「語学力や、仕事の腕前そのものも素晴らしいけれど、なににわたくしが一番感動したって、その洞察力の鋭さだわ。ユリアーナ様のお好みを、まさか初回で見抜いてしまうなんて」

「いえ。茶葉やミルクのお好みは、直接お尋ねしただけですので」

「なにを言うの。ユリアーナ様はね、侍女には清潔と品を求め、会話には知性を求め、食事には味以上に物語を求められるお方なのよ。それを尋ねることもなしに、あなたは完璧に差し出してみせたわ」


 さすが侍女長だけあり、表面的な腕前だけでなく、エルマのその辺りの察しのよさに気付いていたらしい。

 ルーカスは隣で耳を傾けながら、たしかに、と内心で頷いた。


 どうも、このエルマという少女は、ユリアーナの前では、自分が面談したときとは異なる雰囲気をまとっていたように見える。

 清潔で、品があり、知的――つまり、ユリアーナにとっての理想の姿だ。


(相手や状況に合わせて、印象を操作している……というのは、考えすぎか?)


 たとえば、女好きの男の前では興味を引かぬよう野暮ったく、庇護者となりえる人物の前では健気に、根が素直な同僚の前では超然と。


 ちらりと視線を向けた先では、厚い眼鏡で素顔のほとんどを隠した少女が、淡々と謙遜の言葉を口にしている。

 ルーカスはじっくりと彼女を観察し、その顔の骨格がずいぶん整っていることに、初めて気づいた。


「ねえ、そんなこと言わないで。わたくし、本当にすごいことだと感心しているのよ。あなた、いったいどうやってユリアーナ様のお好みを見抜いたの?」

「お顔を拝見し、思考を巡らせただけです」

「いやだわ、顔色を窺うだけで、そんなことができるものですか」

「そうおっしゃられましても……」


 エルマの洞察力の根源に興味津々のゲルダは、粘り強く質問を重ねている。

 すると、困惑気に口を閉ざしたエルマが、ふと思い出したようにエプロンのポケットを漁った。


「そうでした――侍女長様」

「なにかしら?」

「こちら、庭師のハンス少年に代わってお返しいたします」


 そうして差し出したのは――ゲルダの瞳と同じ、琥珀色をした宝石をはめ込んだブローチだ。

 今朝しがた、病気の母親の薬代がないと泣いていたハンス少年に、ゲルダが同情してプレゼントしたものである。


「え……? なぜこれを、あなたが――」

「あなたと話すとき、ハンス少年は必要以上にパーソナルスペースを詰めているようでした。親密感を演出するためです。また、母親の病気について説明する際には五秒もの間、彼はまったく目を逸らしませんでしたが、これはあなたが自分の嘘を信じているかを確認するためと思われます。事実、あなたが目を潤ませた瞬間、彼の上唇が頬に引っ張られるようにわずかに持ち上がるのが見えました。これは、侮蔑の感情を表す微表情です」


 ほかにも軽微なサインは多数見つかりましたが、と、エルマは眼鏡のブリッジを押し上げた。


「――彼は、あなたに詐欺行為を働いているとみなして間違いないでしょう。ひとまず今朝の被害分は、僭越ながら私が取り返しておきました」

「え? え? え……?」

「お納めください。みかじめ料です」

「え……っ!?」


 今、さりげに監獄コトバのようなものが出た気がする。


「え? び、微表情って……みかじめ……いえ、待って、あなたいったいどこから見ていたの?」

「侍女寮の四階です」

「ええ!?」

「どんな視力ですの!?」


 ツッコミどころが満載すぎて、ゲルダが目を白黒させている。

 イレーネも仲良く叫びだすのをよそに、ルーカスは警戒心からわずかに眉を寄せた。


「……おまえの、その知識や洞察力の深さというのは、もしや看……導師譲りなのか?」


 看守と言いかけて、とっさに導師と言い換える。

 イレーネの前で監獄育ちであることをばらすわけにもいくまい。


 罪人に教育を施されたわけはあるまいが、看守の任に当たるような、優秀な導師から教えを受けたならば、まだ納得できる――


 そう考えての問いだったが、エルマはあっさりとそれを否定した。


「いえ。導師はただの飛べない豚でした。表情を読むすべは、【怠惰】の父から教わったものです」

「……豚? 怠惰父?」

「いえ、【怠惰】父です」


 本人はまじめに答えているようなのだが、さっぱり意味がわからない。

 困惑したルーカスが問いを重ねようとしたところ、それを制するように、エルマが首を傾げた。


「――と言いますか……」


 眼鏡でよく見えないが、彼女自身どこか困った様子だった。


「微表情の読み取りくらいは、ままごとなどを通じて、どこの家庭でも幼少時から身に着けるものではないのですか。もしや……シャバの方というのは、そのくらいのこともできないのですか?」


 馬鹿にするのではけっしてない。

 心底不思議そうな口調に、ルーカスたち三人は同時にぽかんと口を開けた。

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