8.「普通」の手料理(3)

「まあ、ルーカス。珍しいのね、あなたがこの手の誘いに乗るだなんて」

「母上こそ。後宮にいたときは、イベントごとにはちらりとも興味を示さなかったくせに、まさか王宮の庭を貸し切ってまで、こんな催しを開くとは」


 巨大な噴水や温室、完璧な形に整えられた植栽を誇る、ルーデン王国の庭園。


 祝祭日には騎士団のパレードが行われる、その広大な広場の片隅で、ユリアーナはにこやかに息子を迎え入れた。


 アイアン脚の白テーブルに、巨大な日よけの傘を掲げる侍従、野外でも快適に過ごせるような、つばの広い帽子と手袋をつけた装い。

 一見すると、息子を招いてのガーデンパーティーのようにも見える。


 が、明らかに普通と異なるのはその配置、そして「ギャラリー」の存在だった。


 噴水の傍には、石畳で四角く整えられた、まるで舞台のような空間が左右に二つ。

 石畳の上には、腰ほどの高さの広い調理台と簡易のかまど、そして汲み置きの水を湛えた巨大なかめが左右対称にしつらえられている。


 ユリアーナは、ちょうどそれを見つめる観客席のような位置に腰かけていた。


 さらに、彼女が先頭になるような形でロープがぐるりと張り巡らされ、その後ろには、王宮中の使用人たちがひしめいている。

 侍女に侍従、馬丁に料理人、洗濯女、衛兵……とにかく、時間に都合をつけることのできた全員といっていい。


 彼らは一様に、隠しようのない興奮をにじませながら、「舞台」に役者が登場する瞬間を心待ちにしていた。


「王宮内で最高の料理人の座を掛けた競い合い……。今度はいったい、なにがどうしてこんなことになったんだ……」


 用意された椅子にどさりと腰を下ろし、長い足を優雅に組みながらルーカスがぼやく。


 ユリアーナの傍に控えていた侍女長は、そのげんなりとした呟きを聞き取って、肩身が狭そうに頭を下げた。


「申し訳ございません。さすがにわたくしも、ここまでの事態になるとは思わなかったのです……」


 事の起こりは、一日前。

 ゲルダが、侍女寮の前に仁王立ちするジョルジュ・ラマディエ料理長に遭遇したときまで遡る。


 男子禁制の寮に今にも突撃しそうだった彼は、聞けば、エルマなる少女に物申したいことがあるのだという。

 料理人の資格を持たず、あまつさえ女の身でありながら厨房に踏み入り、その領分を侵したことに、謝罪を求めたいというのだ。


 調理どころか、反射炉の製造まで心当たりのあった侍女長は、慌ててエルマを呼び出し、頭を下げさせたのだが、その際彼女がぽつりと漏らした、


「料理は、資格や性別ではなく、おいしいものを作れる人が作ればよい、という考え方は『普通』ではないのですね」


 という発言に、ジョルジュが大激怒。


『俺よりおまえのほうが、うまいものを作れるというのか!?』


 とこんな感じで、どちらがより料理上手か対決しよう、という運びになってしまったのである。

 聞き取りづらいモンテーニュ語であっても、明らかな憤怒が伝わってくるくらいの怒声であったとは、ゲルダの言だ。


 ジョルジュは料理人としての威信をかけ、自分の料理が高貴なる方々の舌に合わないというのなら、料理長をやめたっていいと宣言した。


 だがそうなると、彼を引き抜いてきた第一王子フェリクスの体面にもかかわる。

 とすれば、その判定は宮中の使用人ではなく、王子本人にしてもらったほうがいい。


 ところが、いざそれをゲルダが上奏したところ、凡愚王子と評判のフェリクスは、けんもほろろに「それは、いやだよ」と断ってしまったのである。

 なんでも、ただでさえ即位前の慌ただしい時期、「そんなくだらないいざこざのために」、下賤の侍女が作る料理を口にするのが面倒だとのことだった。


「義兄上……」


 話を聞いていたルーカスは、つい額を押さえた。


 即位前だからこそ、使用人相手とはいえ宮中の支持を集めるのは重要なことだ。

 侍女の料理を口にしたくないというのなら、「勝負するまでもなく、ジョルジュ・ラマディエこそがこの城の料理長だよ」と認めてしまえばそれでよかったのに。


 ともあれ、断られてしまったなら仕方がない。

 ゲルダは安堵半分、ジョルジュにこの話はこれで打ち止めに、と持ち掛けたのだが、頑固な彼は、こう返したのだ。


 この城には、あなたと懇意の「高貴なる方々」が、まだいるだろうと。


 ユリアーナ前妃とは二十年来の付き合いであるゲルダは、そこでしぶしぶ、彼女に経緯を説明した。

 警戒心が強く、これまでこの手の騒動にはけっして関わろうとしなかった彼女のことだ。

 きっとうまいこと、断ってくれると踏んでのことだったのだが――、


「あら、面白そうね。わたくしもエルマの料理を出来立てで食べてみたいわ」


 なんと予想外にも、思い切り話に乗られてしまったのである。


 エルマとの茶会を経てから、いろいろ吹っ切れてしまったらしい彼女は、「なんなら、ほかの使用人たちにも食べてもらいましょうよ」「宮中の全員に声をかける?」「よし、ならば庭を貸し切ってしまいましょう」と、むしろ話を広げる有様であった。


 気付けば、宮中の使用人を集めて、大々的な「どっちの料理ショー」を開催する羽目になっていたと――そういうわけである。


「なぜ、あの娘が関わると、こうも突拍子もないことばかりが起こるんだ……」


 騎士団の式典準備を抜け出して駆けつけたルーカスは――まあ、面倒ごとをフケること自体は彼としても歓迎だったのだが――、これまでのあれこれを思い出して、男らしい精悍な容貌をしかめた。


「まあ。女の子と見るや片っ端から口説いていたあなたが、まさかあの子は気に食わないというの? 殿方というのは、意外性のある女性に惹かれるものではなくて?」

「お言葉ですが母上、私にだって好みはあります。それに男の好む意外性というのは、眼鏡を外したら意外に美人だったとか、気丈な女が実は酒に弱かったとか、その程度のことを言うのです。彼女のあれは、意外性などではない。いつどんな風に爆発するかわからない地雷のような、迷惑きわまりないただの予測不能性だ」


 ルーカスはぶすっとした表情で言い返す。

 王子でありながら騎士団に所属し、ときに下町に繰り出して庶民と友情を結ぶ彼のことを「型破り」とか「常識外れ」だと評する声は多く、ルーカス自身それを受け入れていたが、「普通」の二文字を渾身の力でかなぐり捨てる少女エルマの姿を見て、今では思う。

 自分はまったくもって、常識人だと。


 眼鏡を外すと、のあたりで、ゲルダはちらりとルーカスの顔を見たが、不機嫌そうに舞台を見つめる王子は、それには気付かなかった。


「彼女が宮中にやってきてから、俺は反射炉の後始末をしたり、熊の解体技術にほれ込んだ猟友会に付きまとわれたり、さんざんです」


 ほかにも、とにかくエルマのスキルがなにかと凄まじすぎて、皿を焼けば国宝級のものが出来上がるし、土いじりをさせれば古代生物の化石を掘り当てるしと、そんなことばかりなのだ。


 彼女を宮中に引き入れたのはゲルダとルーカスだが、侍女長には手の余ることばかり起こるので、ルーカスがやむなくこれらの処理に当たることになる。


 だが、秘密裏に皿を売り払えば「稀代の陶芸作家、現る!」と街がざわめくし、こっそり化石を学院に寄付すれば「そのとき歴史が動いた!」と調査団が王宮まで押し寄せてくるしで、最近の彼に心の休まる暇はなかった。


「あらまあ。でも、そんなことを言いながら、こうしていそいそとこの場にやってくるんですもの。あなただって本当は、彼女のことを気に入っているでしょう?」

「――まあ、料理の腕前は、ですね。それに、新しい料理長がどんな人物かも、気になってもいましたし」


 ルーカスは形のよい唇を片端だけ吊り上げ、肩をすくめる。


 新たに雇われたモンテーニュ人の料理長はよい仕事をしていると思うが、宮中で孤立しているようなのが気に掛かっていた。

 異母兄の手前、接触は避けていたが、今回こうして彼に突き放されてしまったのならば、これを機に親交を深めてもいいかもしれない。

 食の安全を握る人物と仲よくなっておくことは、なにかと毒殺のリスクを持つ第二王子にとって、非常に有益だから。


 ルーカスはこれで、人間関係に慎重な計算を払う男である。


「おっと、お出ましだ」


 そのとき、ギャラリーがざわめいて、ジョルジュ――ルーデン風に発音するならば、ゲオルクgeorgeがやってきたのがわかった。


 ルーデンでも普及しはじめた高いコック帽を身に着け、首元には料理長の地位を示す赤いチーフを巻いている。

 たくましい腕に短く整えた髪。

 モンテーニュ人らしく感情の起伏が激しい御仁のようだが、鋭い眼光や伸びた背筋からは、仕事への矜持が感じられる。

 悪くない面構えだと思った。


『ユリアーナ前妃殿下、ならびに、ルーカス王子殿下。このたびは、審議の栄誉を賜りましたこと、礼を申し上げます。我が技術の粋を集めし品、どうかご賞味賜りますよう』


 ジョルジュは帽子を取って一礼する。

 プライドの高いモンテーニュ人らしく、王族の前であってすら母国語のままだが、堂々と発言する態度はかえって潔いほどだった。


「許可します。あなたの忠誠と腕を期待します」

「楽しみにしている」


 母に続いて、ルーカスは端的に答える。

 ここではユリアーナが主催者。彼女の進行を妨げてはならない。


 満足そうに頷いたユリアーナは、扇子をぱらりと広げて言い放った。


「ゲオルク――いえ、ジョルジュ・ラマディエ。仮にあなたがこの対決に勝ったならば、わたくしはあなたを後見し、息子ルーカスやフェリクス殿下とともに、この宮中での立場を約束いたしましょう」


 凡愚王子フェリクスだけでなく、人望ある第二王子、およびその母親からも庇護を約束するというわけだ。

 これでジョルジュは、フェリクスに見放されたとしても、または逆に彼がフェリクスを見捨てたとしても、宮中で一定の権力を確保できる。申し分のない褒賞であった。

 ジョルジュもさすがに興奮をにじませ、深く頭を下げている。


 やがて彼は意識を切り替えたのか、てきぱきとした動きで準備に取り掛かった。

 この世の贅を尽くしたといわんばかりに、二人分とは到底信じられない多彩な食材を運び込み、竈を温めはじめる。


 一方、左側の調理場には、挑戦を受けたはずの侍女がいまだ姿を見せなかった。

 料理長という目上の人物との対決、それも王族の御前でありながら、あまりに誠意に欠けた態度だ。

 不審に思った使用人たちが、徐々に囁きを交わしだす。


 だが、


 ――ざわっ!


 それらを押しのける勢いでざわめきが広がり、ルーカスは顔を上げた。

 そして、彼らの視線の先にある光景を理解して、ぎょっと目を見開いた。


 ぎし、と鈍い音を響かせて、ゆっくりと台車を押してくるのは、分厚い眼鏡が印象的な野暮ったく小柄な侍女。


 ちょうど昼に差し掛かる初夏の陽光を浴びながら、まっすぐ前を見つめて進む様は、まるで花道を抜ける役者のようであったが、それよりなにより、周囲が突っ込まざるをえない、異様な存在感を誇る物体があった。


 台車に乗せられた、大型の調理器具と、大量の小麦粉。

 これはわかる。


 同じく、大量のキャベツと調味料。

 これもわかる。


 大量の固そうなパン。

 これも、粗末さが気に掛かるものの、まあ、わかる。




 巨大なまぐろ。




「――!?」


 ルーカスは思わずその場に立ち上がった。


「そんなものをおまえ、どこで手に入れてきた――!?」

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