15.「普通」の手当て(3)

 あとはパレードの演習だけだからと、汗臭い模擬戦の救護活動から解放されたはずなのに、デニスが居室に「緊急事態だ!」と踏み込まれたのは、そのわずか一時間後のことだった。


 聖力の連続行使は術者への負担が大きいため、聖医導師のシフトは事前に綿密に組まれている。

 聞けば、けがをしたというのは平民上がりの騎士のようだし、担当の同僚が戻ってくるまで待ってもらおうとしたのだが、連絡に来た騎士に怒鳴りつけられ、現場に連行されてしまった。


(なんて野蛮な連中なんだ!)


 むくつけき野郎集団に再び接近させられながら、デニスは内心で罵った。


 貴族と騎士団の間には、かつては確固たる身分差があったはずだが、第二王子が入団などしたものだから、彼らはすっかり調子づいているのだ。

 曲がりなりにも男爵令息であるデニスを拉致するなんて、無礼千万である。


 が、主張の結果、殴られてはかなわないと思ったデニスは、その怒りをかろうじて喉の奥に引っ込めた。

 そして、


「――……なんだ、これは」


 連れてこられた訓練所近くの東屋――そこで横たわっている「患者」を認めた瞬間、その怒りを完全にどこかに見失ってしまった。


 そこには、ある程度の怪我を見慣れているはずの自分でも、目を覆いたくなってしまうような惨状があった。


 石造りの床の上には、デニスより少しだけ年上と見える青年が、右足のズボンを膝下から切り取られ、素足を剥き出しにして仰向けになっている。

 いや、素足だったもの、と言ったほうがよいのかもしれない。


 脛のあたりから肉がぎざぎざに裂かれ、足首は異様な方向に曲がっている。

 肉の隙間からは、ぬらりと光る筋ばったものと、白い骨が見えた。


 あげく、膝のすぐ下で布を縛り、止血をしているというのに、時折奇妙に血が噴き出してくるではないか。


 それは、単純な怪我というより――なにか、呪いめいた光景に見えた。


「呪具だ」


 自分を連れてきた騎士のひとりが、そんなことを言う。

 彼は、忌々しげに顔を歪めると、デニスにあるものを突き付けた。素手で触れぬよう、布で覆われた馬蹄である。


「こいつの乗った馬の蹄が、こんなものにすり替わっていた。見た目は芸術品のようだが、しばらく歩くと砕けて、破片が足に突き刺さる。それで馬が暴れてこいつを蹴り飛ばし、最悪なことに、破片ごとこいつの足を踏みつぶしちまった。今、こいつの足の中では、その破片が呪いを撒き散らしてるんだ」

「そんな……」


 誰がなぜそんなことを、と思う。

 だが、横たわった青年が獣のような呻き声を上げるのを聞き取り――なまじ痛みに耐性があるだけに、気絶もできなかったらしい――、デニスははっと我に返った。


 今はとにかく、治療だ。


 デニスは血だまりの広がった床に片膝を突き、青年の足にこわごわと手を伸ばした。


 あまりに酸鼻な傷口に、生唾を飲み込む。

 新人だし、なにより祈りを唱えれば治してしまえるからこそ、このようにひどい現場は、デニスはこれまで遭遇したことがなかったのだ。


「て……天より降り注ぎたる、至高の光よ。我がいの、祈りに応え、その気高き、慈愛の灯にて、憐れなる、ち、地上の子を――」


 声が震える。

 折しもそのとき、ふたたび傷口から血しぶきがあがり、


「うわああああ!」


 デニスは情けなく悲鳴を漏らして腰を抜かした。


「馬鹿野郎! 医者のほうが悲鳴あげてんじゃねえよ!」


 とたんに、横たわった青年――テオというらしい――の傍らで必死に手を取って励ましていた仲間の騎士が声を荒らげる。

 その怒声にデニスはびくっと肩を揺らし、なんとかテオに再び向き直ったものの、傷口はあまりにグロテスクで、とても直視できるものではなかった。


「あ、憐れなる、地上の子を、包み、い、癒して――」


 かざした手がわななく。


 師匠でもあるロットナー侯爵からは、聖力の発動にはイメージが必要なのだと聞いた。

 つまり傷を癒すならば、その砕けた骨が繋ぎ合わさり、裂けた肉がふさがるところをありありと想像する必要があるということだ。


(む、無理……っ)


 デニスは卒倒しそうになった。

 だが、目の前のテオは、文字通り手負いの獣のように、脂汗を浮かべながら咆哮を上げている。


 痛いのだろう。

 苦しいのだろう。

 身分の貴賤など関係ない。

 百姓上がりは頑丈なはず、などという薄っぺらい先入観を吹き飛ばすような、圧倒的なむごさがそこにはあった。

 自分が救わなくてはならないものの重大さも。


「包み、癒して、祝福を、さ、授けたまえ……!」


 初めて芽生えた責任感を燃料に、なんとか祈りの言葉を唱える。

 だが――燐光を発して塞がるはずの傷は、一向に変化の兆しを見せなかった。


「しゅ――祝福を! 祝福を授けたまえ!」


 なぜだ。

 デニスは焦った。


「祝福を! どうか……!」


 喉が裂けんばかりに叫んでも、事態は変わらなかった。

 いや、むしろ逆に、まるで聖言に抗うように、再びどぶっと血が溢れだす。

 それを見て、デニスは絶望とともに悟った。


「呪具が……聖力を跳ね返している……!」

「なんだと……!?」


 周囲で見守っていた騎士たちがどよめく。

 衝撃に青褪めながら、デニスは理解したままを震える声で伝えた。


「あ、足の中のどこかに食い込んだ呪具の破片が、聖力を跳ね返しているんだ。傷が癒術を受け付けない。こ……このままでは、彼は、全身の血を失って……」


 死んでしまうだろう、とは、さすがの彼も口にはできなかった。

 が、その場にいた全員がそれを理解したらしい。


 人だかりをなしていた群れのうち、一番権限があると思しき人物――副中隊長が、ぐっと口を引き結んでから、低い声で告げた。


「――おまえら。テオの身体を押さえろ。あと、舌を噛まないように猿轡も」

「……副長……」


 ほかの騎士たちが、沈痛の面持ちでそれに頷く。

 真意を取り損ねたデニスだけが、怪訝な眼差しを副中隊長に向けた。


「いったいなにを……?」

「テオの足を切り落とす」

「な……っ!」


 絶句する彼をよそに、副中隊長と呼ばれた男は、痛みをこらえるような表情で剣を抜いた。


「要は、呪具の破片さえこいつの身体から離してやればいいんだ。切断面を塞ぐくらいは、おまえさんもできるんだろう?」

「そんな……! 傷は塞げても、失われた足を戻すことはできないんだぞ!」

「じゃあほかにどうするんだ!」


 一喝されてしまうと、それ以上の反論はできなかった。

 無力感に打ちのめされながら、騎士たちが切断の準備を進めるのを見つめる。


(僕は……なにもできないのか……?)


 彼らの会話が、膜を一枚隔てた向こう側で聞こえるかのようだった。


(呪具なんて……聖水を浴びせれば、それで効力をなくすのに。そんな初歩の初歩が、……僕が呪具を取り出せないために、できないのか……?)


 だとしたら、なにが聖医導師だ。なにが癒術だ。

 ただ、肉を元通りにくっつけるだけのことができたって、そんなの、粘土細工が得意なのと、なにが違うというのだ――!


 視線の先で、副中隊長が騎士のひとりから蒸留酒のボトルを取り上げるのが見える。

 彼はテオの傍に跪くと、こわもての顔に、子どもに向けるような優しい表情を浮かべた。


「テオ、おまえ、こいつが大好物だろう。たんまり飲んでいいぞ。なあに、怖いことなんてないさ。俺の剣は、かなりの切れ味だ」

「うう……あ、あ……あり、が……」


 テオは脂汗を浮かべながら、必死に頷く。

 呻き声に紛れて、礼を述べようとしているようだった。


 酒で痛みと恐怖をごまかしての、切断。

 そんな拷問のような光景が、これから繰り広げられようとしている。


(僕では……救えないのか……!)


 デニスは知らぬ間に涙を浮かべながら、拳を握りしめる。

 と、そのとき。


「――お待ちください」


 背後から、低く涼やかな、少女のものと思しき声が掛かった。

 その場の全員が振り向く。


 何十という視線を平然と受け止めた小柄な少女は、なぜかむき出しの両手を空中に掲げるようなポーズをしながら、淡々と告げた。


「その蒸留酒、もっと有効に活用しませんか。――具体的には、私の手の殺菌に使わせてください」


 ほっそりとした白い腕と、素顔を窺わせない分厚い眼鏡が、陽光を反射してまぶしく光った。

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