6.「普通」の手料理(1)
『くそっ! どいつもこいつも!』
ジョルジュはコック帽を投げ捨て、短く整えた鳶色の髪をがしがしと掻きむしった。
どすのきいたモンテーニュ語の悪態に、餌をついばんでいた鶏の何羽かが、ばさばさと翼を揺らして飛び去って行く。
ここルーデン王国は、彼の故郷とは異なり、昼は簡素に済ませる。
慌ただしい朝食を終えてしまえば、晩餐の下ごしらえを始めるまでは料理長とはいえ暇が許され、だからこそジョルジュも鶏小屋で油を売ることができた。
――ついでに、部下の陰口を盗み聞いてしまうことも。
『誰がお高く止まってるって? てめえらのレベルが低すぎんだよ。老害だ? 笑わせんな、俺はまだ四十代の男盛りだっつーの!』
日に十時間以上フライパンを揺することのできる、強靭な腕を柱に叩きつける。
モンテーニュ男には欠かせない顎鬚、引き締まった体躯は、祖国では浮名を流すのに一役買ったものだったが、なにかと粗忽なルーデン王国においては、それも無意味に思われた。
ジョルジュ・ラマディエ。
愛と美食の国モンテーニュから、第一王子フェリクスの肝いりで
それが彼だ。
だが実際のところ、祖国の厨房で権力競争に敗れたために、彼が「都落ち」したにすぎないことは、うすうす誰もが気付いている。
でなければ、いくらルーデンが大陸一の先進国とはいえ、美食の都・モンテーニュから、わざわざ料理人が国外に出ていくはずもないのだから。
ルーデンは武に優れた剛の国。
そのぶん、料理文化では後進国といっていい。
それでも、苦虫を噛み潰す思いで引き抜きを受け入れたのは、宮廷料理長という肩書を維持したいというプライドのためだった。
二国間では、言語も方言程度にしか違わないから、こちらがモンテーニュ語しか話せなくても、なんとか意思疎通はできる。そういう目算もあった。
だが、先月王城入りを果たしてから、ジョルジュのプライドと目算は、すでに何度も八つ裂きの目に遭っていた。
まず、職務内容が異なりすぎる。
宮廷料理長といえば、祖国では高貴なる方々への美食を提供するのが役目だった。
だがここでは、王族の食事だけでなく、下働きの賄いづくりまでも監督を任される。
設備もなっていない。
人手も不十分だ。
食材の鮮度はまあまあいいが、そのぶん調理技術が原始時代で止まっているようにしか思えない。
じゃがいもをふかして塩を掛けただけのものや、塩辛すぎる腸詰めを固すぎるパンに挟んで、平然と「食事」として食べているあたり、ジョルジュからすれば暴挙としか思えなかった。
茶の文化は側妃がラトランドから持ち込んだためか、多少ましと言えるが。
あげく、彼を引き抜いたフェリクス王子は、現地ルーデンでは「凡愚王子」との評判だ。
おかげで、ジョルジュがなけなしのモチベーションを掻き集めて、厨房で改革を起こそうとしても、誰もついてこようとしない。
『俺の料理より、侍女の賄いのほうがうまいだと……!?』
彼は苛立っていた。
本来、料理長の立場とは貴族にも等しい。
その身分の違いを乗り越えて、こちらの偉大さをわからせてやろうと、下働きの食事もうまいものを用意してやったのだ。
料理長であるジョルジュ自ら包丁を握り、食文化のなんたるかを教え込んでやるつもりで三百食以上をこしらえた。
にもかかわらず、丹精込めて作った繊細の美食の数々を、彼らはさして感謝も感動もせずに流し込み、むしろ、「こんなものか」「これなら、新入りの侍女が作った飯のほうがうまい」などと言いはじめたのである。
とうてい、受け入れられない事態であった。
『侍女……新入りの侍女……たしか、エルマといったな』
分厚い眼鏡をかけた野暮ったいルーデン女が、彼の不在時を狙って何度か厨房に出入りしていたのを、ジョルジュは知っていた。
これが祖国ならば、女の身で厨房に踏み入る不遜をどやしつけるところだ。
神聖な火を扱う竈に、不浄の女が近づいてはならない。
女性を愛でる文化と、女性を卑しむ精神は、ジョルジュの中で矛盾なく存在していた。
聞けば、エルマとかいう少女は、侍女長である子爵夫人と仲が良く、その夫人が第二王子の乳母を務めていたことから、色男と評判の第二王子とも懇意であるらしい。
ときどき王子や、その母であるユリアーナ前妃から頼まれて、軽食や菓子を振舞っているとのことだった。
高貴な人の胃を満たす、大切な役割。神聖な職場。
それを土足で踏み荒らす、分を弁えないガキ――つまりそれが彼女だ。
ジョルジュに、女子供だからと目こぼしをするつもりはなかった。
むしろ、格下の存在だからこそ、大人の男であり料理長である自分が、きちんと指導し誤りを正してやらねばならないと思った。
『……一丁、締めとくか……』
ジョルジュは馬鹿にするような鳴き声を上げた鶏を睨みつけ、スープの出汁にすべく、ぐいと乱暴に首根を掴んだ。
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