12.狂戦士の娘

「ふふ。ルークをもらったわ」

「今日はやけにルークにこだわるな」

「だって、ギルベルト。もしこれが現実ならば、王を射落とすよりも、城を落とすほうが、よほど気持ちがよいと思わない?」


 夕闇の迫ったヴァルツァー監獄の一室。


 大国の王城でも類を見ないほど贅を凝らした居間で、ふたりの男女――ギルベルトとハイデマリーは、今日もチェスに興じていた。


 ハイデマリーの駒の打ち方は、惑乱的だ。

 狂戦士のように歩兵ポーンを刈り取っていくときもあれば、偏執的に相手の聖職者ビショップをつけ狙うこともある。

 だが、いずれにせよ最後には勝利を収めてしまうあたり、その手腕は見事なものだ。


 ハイデマリーは奪い取ったルークの駒にキスを落として、ちらりと向かいのギルベルトに微笑みかけた。


「ねえ。かわいいあの子も、今ごろ王城を掌握していたりするのかしら?」

「……俺たちは、間者か暗殺者だかを送り込んだのではなく、娘を巣立たせただけだと思っていたんだが」

「いやだわ、ものの表現でしょう? たとえば城中の胃袋を掴んだ料理人がいたとしたら、その人物は『王城を掌握した』と言えるのよ」


 ちょっと拗ねたように言い返すハイデマリーは、麗しいのと同時に、まるで少女のような魅力がある。

 反撃の気がそがれたギルベルトは軽く肩をすくめると、次の一手を模索して盤面を見据えた。


 とそこに、


「入るぞ」


 ノックもそこそこに、大男が居間に踏み入ってきた。


 筋骨隆々たる長躯に、ひと睨みするだけで気の弱い者なら気絶しそうな、凶悪な顔が乗っている。

 不相応な白いエプロンを身に着けた彼の名は、イザーク。


 かつてひとりで千の軍を打ち負かし、しかしながらあまりに残虐な振る舞いで自軍からも恐れられた――そして、禁域で聖獣を嬲り殺したという名目で自国を追放された狂戦士ベルセルクであった。


「エルマが、いないから、モチベーションがわかない。今日の飯は、これだけだ。食え」


 美食の国として知られるモンテーニュ出身の彼は、ヴァルツァー監獄内の公用語であるルーデン語を流暢に話せない。

 そして、娘代わりのエルマにきっちりモンテーニュ語を仕込んでしまい、話し相手に不自由しなかったものだから、十五年経ってもその片言は一向に改善を見せなかったようだ。


 特徴的なぶつ切りの言葉を聞き取ったハイデマリーたちは、げんなりと眉を寄せた。


「……また、クラーケンの姿焼きなの?」

「……せめて、小麦で丸めてからりと揚げ焼きにした、クラーケン団子焼きに……」

「夏の味だ。堪能、しろ」


 イザークは取り付く島もない。

 さっさと姿焼きを配膳してしまうと、つまらなそうに手近なソファにどさりと腰を下ろした。


「せっかく、ミソ、とかいう、東方の調味料、完成するところだったのに。あれで、夏至の日には、ドラゴンのフルコースをと、エルマと、話し合って、いたのに」


 この監獄で料理人代わりを務める彼は、その外見とは裏腹に、四季の味や節句メニューを大切にする男である――「愛娘」がいたならば、ではあるが。


「ちょっと、またドラゴンを狩ってきたの? やめてちょうだいな。いくら監獄の全員で食べても、大量に余るじゃない。連日同じドラゴン肉を食べ続けるなんて、ごめんだわ」


 空をも覆う、と描写されるドラゴンは、とにかく巨大で食べ甲斐があるのである。

 ちなみに、イザークの腕は確かで、彼の手に掛かればドラゴンも上質な鶏肉のような味わいがすることを知っているので、ドラゴンが食卓に上ること自体は、ハイデマリーとしても異存はなかった。


「ふん。やけ食いすれば、あれくらい、一日で、片付く」

「……さすがね」


 彼の無限に近しい胃袋をもって、【暴食】と名付けたのはハイデマリーだったが、こうしてその凄まじさを見せつけられると、胸やけを起こしそうである。

 微妙な表情で相槌を打っていたら、イザークはそのいかめしい顔をさらにしかめて、ふんと鼻を鳴らした。


「ああ、つまらん。だいたい、ここの住民は、食への、敬意が足りない。糧となった、生物の尊さも、称えず、未知の味に、挑みもせず、出たものばかり食って、文句を、言いやがって」


 生まれつき強大な胃袋を持ち、かつ、生後すぐに飢饉に襲われて強烈な飢餓感を植え付けられたイザークは、食べることにとにかく貪欲だった。

 木の実を見たらまず食し、雑草も食し、生き物と見るやまず食す。


 狩りをするうちに、魔獣だとか怪物と呼ばれるものの妙味に気付き、以降その虜となって、はからずも武技を磨いていくこととなったのだ。

 一騎当千の戦士と称賛されるようになったのは、そのおまけの結果であった。


「イザーク、あなたね。その食欲と好奇心をこじらせて、禁域で見境なく聖獣を屠ったから、戦士の名を剥奪されて、獄に繋がれているわけでしょう。懲りない人ね」

「……俺なりに、種を、根絶させないくらいには、配慮していた。魔獣を狩れば、称えられるのに、聖獣を狩れば咎められるなど、おかしい。あの味を、全土に知らしめることが、できたなら、俺は『食聖』と、称えられているはず、だったのに」


 聖獣や魔獣、怪物の臓腑を引きちぎりながら、食聖を夢見る男。

 それが【暴食】イザークの正体である。


 彼の空腹感や、食への興味を宥めるのは並大抵のことではない。

 自分で狩りをし、調理してもいいが、それではサプライズ感も薄れるし、フライパンを揺すっている間に腹が減ってしまう。

 ときに師匠のイザークも知らぬような食材を狩り、彼の空腹を先回りして料理をつくってくれるエルマは、だから彼にとってかけがえのない存在だったのだ。


 イザークは、はあ、と切なげなため息を漏らし、母語でぼやいた。


『一撃必殺の戦闘術、数百人分を一度に作り上げる大量調理技術。エルマほどの逸材は、そういないのに……。このまま空腹をこじらせて、カニバリズムに目覚めてしまったら、俺はいったいどうすればいいんだ』


 しょんぼりとした口調で、とんでもない発言である。


 モンテーニュ語ながら、不穏な内容を拾ったハイデマリーとギルベルトは、呆れたように視線を交わし合った。


「同族食いはご法度よ。どうしても食べたくなったら、【貪欲】に頼んで、実験後の死体でも卸してもらいなさい」


 倫理的に、それもどうなのかというところだ。

 だが、イザークの反論ポイントは、そこにはないようだった。


「【貪欲】が手をかける、時点で、どうしようもないカスという、ことじゃないか。しかも、薬漬け。俺の料理は、良素材、良鮮度、無農薬が、売りなのに」

「なら我慢なさい」


 まるで、空腹に泣き出す子どもをたしなめる、母親のような口調だ。

 ギルベルトは、イザークがむすっと黙り込むのを無言で見守っていたが、やがてふと気づいたように顔を上げた。


「そういえば、【貪欲】はどこにいるんだろう。しばらく姿を見ていないが」

「さあ。また地下の研究室に籠っているのではないかしら」


 白く繊細な指先で、優雅にクラーケンの姿焼きを摘まみながら、ハイデマリーが答える。

 彼女は、香ばしく焼き上がった触手を見て、ひとつ頷くと、上品にそれを頬張った。


「ほら。『妹』を失うって、あの子にとっての逆鱗というか、トラウマのようなものだから。苦悩を昇華しようと、精力的に実験に取り組んでいるのだと思うわ」

「――やれやれ。やはり、エルマはここから出すべきではなかったかな」


 ギルベルトが眉を上げると、ハイデマリーは猫のように笑う。

 その魅惑的な微笑みは、見る者すべての脳をとろけさせるようだった。


「いいえ。あの子には、ちゃんと世界を見せてあげないとね」


 細められた瞳。

 その視線の先では、黒の女王クイーンが、無数の駒を睨みつけるように、毅然と立ち尽くしていた。

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