第5話 異世界




 辺り一帯に鳴り響いた破裂音。


 その音は、シヴァの隣にいたゴブリンを貫いた。



「こ、これは……!」


 肩から血を噴き出して崩れ落ちるゴブリンに、シヴァは完全に不意を突かれてしまった。


 シヴァは警官隊からは魔力が感じられなかった為に肉弾戦を主とする部隊だと勘違いしていたのだ。その為に遠距離攻撃に対する警戒を怠っていた。


 これはシヴァの失態ではあるのだが、シヴァにはさらにもう一つ驚いている事がある。



「もしかして、……鉄砲か?」



 シヴァは以前にそれを人間との戦闘の際に幾度か見た事があった。


 魔力を感じない為にいつ攻撃が来るか判らない。音が鳴った時にはもうすでに弾丸が体を貫いている。シヴァが鉄砲を最初に見た時、この得体のしれない武器に何か気持ちの悪い感覚を覚えたのだ。



「あの音は間違いなく鉄砲だ……。くそっ、こいつら厄介な物を……。いや、鉄砲なら次の攻撃までに時間がかかる、全員一旦建物の中に――」


 しかし、シヴァのその認識は間違っていた。



 すぐに全員をコンビニの中に避難させようと呼び掛けた、その時に。


 第二射目の音が響き渡ったのである。


「――なっ!?」



 またもやゴブリンが一匹、その場に蹲った。


「れ、連続して二射目を……!? バカな…、鉄砲は一度撃ったら次に撃つまで……。鉄砲が何丁もあるのか…? い、いや、今はそんな事を言ってる場合じゃない」


 焦りの色を隠せないシヴァではあるが、指揮をする者として思考を止める訳にはいかない。事実を事実としてそのまま受け止め、次の手を考えねば群れが危機に陥ってしまう。


 ここでの判断が群れの運命を左右する、シヴァは直感的にそう感じ取っていた。



 しかし警官隊はそんなシヴァたちを待ってはくれない。


 第三射、四射とその発砲音が鳴り響き、シヴァたちゴブリンに動揺を与え続ける。


「ちっ、向こうも行動が早いな」


 しかし、これは運よく誰にも当たらなかった。



 シヴァはそれに安堵するが、そんな事にいちいち喜んではいられなかった。そうこうしている間にも、警官隊の混乱状況が落ち着き始めているのだ。


 シヴァはその様子を見て、機はこの一点かとゴブリンたちに指令を飛ばす。


「メイジ、水を作れ! 大量の水だ! ソルジャー隊は建物内の族長を連れ出せ! すぐにここから離脱だ!」


 シヴァが判断した機、それは逃げの一手だった。



 思い描いていた理想形とは大きく外れることになるが、シヴァはそこに執着する事はせず大きく方針を変えた。得体の知れないものを相手にする危険性を、シヴァ自身もよく理解しているのだ。


 警官隊の混乱が回復してからでは逃げるのも困難となってしまう。それ故の判断だった。



 シヴァのその判断にメイジ達も素早く反応する。


 五匹のメイジが一丸となって魔法を発動し、この辺り一帯をまるで大雨が降ったかのように水浸しにしていく。



「早く隊列を立て直せ! 奴らが何かを仕掛けてくるぞ!」


 警官隊の中から檄を飛ばす声が聞こえてくる。


 鉄砲のおかげでゴブリン達の総攻撃を免れた警官隊であったが、その混乱はいまだ収まっていなかった。しかし、その声はまさに鶴の一声のように警官たちの耳に響き、彼らが落ち着きを取り戻すきっかけとなった。



 警官隊は急いで地面に落とした盾を拾い、隊列を組みなおしていく。


 そしてその間にも辺りは水浸しとなっていくが。


「ち、ソルジャー隊、まだか!?」


 族長とそれに付いているムトたち20匹がまだコンビニから出てこない。



 そうこうしている間にも、いつまた発砲攻撃があるか分からない上に警官隊は混乱から脱してこちらへと前進しようとしている。一刻を争う事態に、シヴァの焦燥感はどんどん高まっていくのである。


「しょうがない、ここは威嚇だけでも!」


 焦れるシヴァは急いで魔力を練り上げる。


 そして手を頭上に掲げたかと思うと、先ほど見せた炎の塊を出現させ警官隊へと見せつけた。


 炎はめらめらと燃え上がり、辺りの気温を一気に押し上げる。


 警官隊の肌をじりじりと焼いてしまいそうな程に熱を感じ、彼らの前進しようとしたその足を踏み止まらせた。



「シールド! シールドの隙間を埋めて防御せよ!!」


 シヴァが炎の塊を出現させたことで、これに慌てた警官隊はすぐに防御を固めた。


 警官隊はいかにも炎を防ぎそうなその盾を隙間も無く身構える。


 それは完全な防御態勢を取ったと言ってもいい態勢であるが、その為に前進する事は出来なくなり再びシヴァたちと対峙する形となった。



 こうなるとシヴァの思惑通りにお互いに動くことが出来なくなった訳であるが――


「撃てっ!」


 ――警官隊にはそれを崩す武器があった。



 その声のすぐ後に、一帯には警官隊の発砲音が響き渡る。



「ぐっ!!」


 その銃弾はシヴァの太ももに命中。


 シヴァはその場に膝を突きそうになるが、ここで自分が倒れると群れが危機に陥ると必死で堪えた。



「く、くそっ! まだか、早くしないと次の――」


 血の噴き出る足をそのままに、痛みを堪えながら視線をコンビニの方へと向ける。


 するとそこで、ようやく族長たちが姿を現したのだ。



「すまぬシヴァ、少しもたついた」


「族長、すぐにここから離れます。お急ぎを!」


 コンビニから出てきたゴブリン達はその両手に食べ物を目一杯抱えていた。それを見たシヴァは、遅くなった理由をすぐに理解したのだった。


 そして同時にある事が気になった。


(あの食べ物も持っただろうな…、持ってなかったら後でぶん殴る)



「よし、全員ここから離脱するぞ! 全員死ぬ気で走れぇ!!」


 シヴァはそう言うや否や、頭上に出現させていた炎の球を警官隊に向けて投げ放つ。


 炎を維持するだけでも魔力が削られていたシヴァは、まるで肩の荷を下ろしたような解放感を味わいながら炎の行く先を誘導する。



 ごうという音を立てながら警官隊に向かう炎。



 それに対して隙間なく盾を構える警官隊。


 しかし、シヴァの狙いは警官隊ではなく――



 その手前に出来た水溜りであった。



 シヴァの放った炎の球がその見溜まりに触れるその瞬間、爆音と共に衝撃波のような突風が吹き荒れる。


 その風を盾で直に受ける警官隊。


 彼らはシヴァの作り出した突風のせいで、またもやその体を風によって飛ばされる事になってしまったのだ。


 混乱する警官隊。


 その様子を口角を上げて見詰めるシヴァ。


 そんな両者を大量の水蒸気の靄が覆い隠していく。


 シヴァは警官隊が靄で隠れるその時まで、その警官たちの姿を目に焼き付けるのだった。



 そして――



 その水蒸気の靄が晴れた時、シヴァたちゴブリンの姿は既にそこには無かった。







  ☆







 そこはとても薄暗い地下用水路の中。


 コンクリートで固められたその水路は、ゴブリン達が作るような巣穴よりも幾分も上等である。しかし上等ではあっても、ゴブリン達にとって必ずしも居心地の良い場所であるとは言えない。


 ゴブリン達が暮らしていた巣穴は殆が土と石で覆われていたので、コンクリートのような硬い地面は馴染みが無いのである。


 そんな不満を抱くような場所ではあるが、なぜゴブリン達がそんな場所に居るかというと。



 シヴァたちはあの場から逃げる事に成功した。そしてそこから暫く走った後に、ある大きな河へと出る事が出来た。


 この街はあらゆる場所が綺麗に舗装をされていて、それはその河も例外ではなかった。コンクリートで覆われた河の側面には水路の出口のようなものが幾つも見られ、それがまるで自分達の巣穴のようであると、ゴブリン達は迷いなくその穴の中に潜り込んだのだ。


 しかしそこは、ゴブリン達が思っていたような所では無かったという訳だ。



「ぎゃああああ!!」


 その地下水路に男の叫び声が響く。



 その男、ゴブリン達がここに来るまでに突然一人で群れに攻撃を仕掛けてきてのであるが、それを返り討ちされ、今は拘束されてゴブリン達の拷問にあっている。


 男はガタイも良く、腕っぷしにも自信があったのだろう。金属バットを手にゴブリン達へと襲い掛かったのだが、二、三匹に負傷を負わせた後は残りのゴブリンに群がられ袋叩きとなったのだ。


 ゴブリン達によって一度は絶命しかかった男であるが、シヴァはゴブリン達に殺すなと指示を出した。


 この街の、あまりにも今まで自分達が住んでいた所との違いに戸惑っていたシヴァは、どこかで情報を手に入れられないかと思っていた。その矢先に、丁度良い人間が向こうからやってきたのだ。



「ぐあああぁぁ!!! やめてくれぇぇ!!」


 シヴァはその人間の男から情報を聞き出す前に、まず拷問をゴブリン達にさせていた。


 爪を剥ぎ、肉をそぎ落とし、骨を砕く。


 気を失えばヒールを掛けて。


 目を覚ませばまた同じように男の体に激痛を与えていく。


 そうして精神を壊していけば自然と口も軽くなり、思うように操りやすくなるのだ。シヴァが人間を研究する上で見つけた手法である。



「よし、そろそろいいかな? おい、お前。返事をしろ」


「……ぅぅ」


 しかし男は小さく呻き声を発しただけ。


「返事だ!」


 シヴァはそう言って男の頬を激しく殴打した。


「ああっ!! や、やめてくだざい! お願いじまず! やめでぐだざい!!」


「返事!!」


 シヴァはさらに強く殴打する。


「は、はいっ!! はい!! 殴らないでぐださい!! お願いします……」


「よし、じゃあお前に幾つか質問してやるから。正直に応えたら殴らないでいてやる。解ったか?」


「は、はいっ! ありがとうございます!!」


 ゴブリン達に四肢を押さえられながらも、男は地面に頭を擦り付けてシヴァに礼の言葉を吐く。



「じゃあまずは、この国の名前だ。この国は何と言う名前だ?」


「に、日本…です」


「ニホン……? 聞いた事無いな……」


「に、ニッポンとかジャパンとも言います。割と…、有名な国だと思います……」


 有名と言われてもシヴァの記憶の中にそんな名前の国は無い。しかし男が嘘を言っているようにも見えないと思ったシヴァは、その有名な国ニッポンとやらは実在するのだろうとすぐにそれを受け入れた。


「ふむ…、じゃあ次だ。お前、グランディエストという国は知っているか?」


「い、いえ……。初めて聞く、名前です……」


「やっぱりそうか……」


 シヴァたちが日本を知らなかった事から、この男もシヴァたちの国を知らないのは容易に予想ができた。


 しかし、シヴァが懸念しているのはそこではない。


「それじゃあ、ミーリアという大陸は? これも知らないか?」


「はい、知りません…。というか、地球上にそんな名前の大陸は……たぶん無いです」


 シヴァは「なるほど」と一つ頷いた。



「その、チキュウというのは…?」


「えと、この星の名前です……」


(やはりか、これではっきりしたな……)


「おい、ムト! ムトはどこだ!?」


「ここにいる…」


 シヴァがムトを呼んで叫ぶと、その脇からムトが顔を出した。


「おう、いたのかムト。いつの間にそんなとこにいたんだよ。まあそんな事はどうでもいいや。よく聞けムト、ようやく此処が何処なのか判明したぞ」


 ムトを見つけると少し興奮したようにシヴァは話す。


「おお…、どこだ…?」


 シヴァはにやりとし、自分の発見を自慢するように少し勿体ぶって間を空けた。



「いいかムト。ここはな、何と異世界だ。つまり、俺たちの住んでた世界とは違う世界って事だ」


「ふーん…」


「おい…、もっと興味を示せよ。俺たちに差し迫ってる問題だぞ」


 妙に呆気らかんとしたムトに、シヴァからは深い溜め息が漏れる。


「そうだ、ムトも何か訊き出したい事は無いか? まあ、コイツが何でも知っているとは限らんがな」


 ムトは少しの間考えこむ。


「……、お前…何で俺たちを……襲った?」


「おお、意外とまともな質問だな。……で、何でだ?」


「はい…、えと、ネットに上がってる動画を見まして…それで……」


 ここでまたもや知らない単語が出てくる。


 ここが異なる世界であるならば当然の事なのだが、シヴァにはそれがとても新鮮だった。他のゴブリンよりも強いその知的好奇心が刺激されるのだ。本来であればゴブリン達にとっては絶望的な状況であるはずなのに、シヴァは今自身の置かれている状況に胸を高鳴らせているのだ。


「そのネットというのは何だ? もっと詳しく話せ」


「は、はい――」



 そこからシヴァは、その男から出来る限りの情報を引き出していった。


 この国の制度、技術、戦闘能力、男が知る事の全て。


 さすがに専門的な知識まではこの男からは引き出せなかったが、それでもその男の持つ情報は十分に刺激的だった。


 そしてそれが、シヴァの野心に更なる火を灯す事になる。



「――それで街の人間はあんなにも貧弱だったのか……。ふむ、おい人間、お前はなかなか使えるな。よし、ご褒美に人間の指をやろう。おいムト、お前が持ってるの少しこいつに分けてやれよ」


「…えっ!? ゆ、指!?」


 男は驚いて訊き返すが、ムトはそれに難色を示している。


「いやだ…、これ俺の…」


「いいから、いいから。指なんてこの先いくらでも手に入るんだからよ」


「いくらでも…?」



「おうよ、俺たちがこの国を獲ったら人間は狩り放題だ」



 そう言うとシヴァの口角は不敵に上がる。



「……わかった」



 ムトはその言葉の意味を理解したのか、自分の集めた人間の指を取り出し。



 それを男の鼻の穴に詰めるのだった。


 

 

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