第24話 阿鼻叫喚




 修誠の耳に飛び込んできた音、それはまるで破滅を告げる様な音だった。



 一階玄関ホール。


 そこに張られた強化ガラスがいとも容易く破られ。


 そこから雪崩れ込んできたゴブリンによって、玄関ホールは阿鼻叫喚の地獄と化していた。



 警官一人に対し、ゴブリン数匹が纏わりつく。


 いくら警察官が訓練されているといっても、少しの隙を窺って爪を立ててくるゴブリン数匹を同時に相手するのには無理があった。一匹に集中すれば他のゴブリンが人間の急所を目掛けて攻撃を仕掛けてくる。


 その爪が、その牙が、虎視眈々と狙いを定め、その隙を見つけては鋭い刃となって警官たちを襲うのだった。



 ここが建物内であることと、ゴブリン達の不規則な動きのせいで場は混戦状態となってしまった事。さらには一般人がまだ逃げ遅れてここに居るという状態のせいで、警官たちは拳銃を使えずにいた。


 加えて化け物騒動で多くの警官たちが出動しており、署内に残っている人員は僅かとなっている。


 それらの事が警官たちをここまで劣勢にし、この場を地獄の様相にしたのである。



 修誠がその玄関ホールに駆け付けた時には既にそこは血の匂いが充満する凄惨な現場となっていた。


 もちろんそれは人間の血によるものなのだが、その咽返るような匂いは修誠に吐き気すら覚えさせた。



 あちらこちらに見られる倒れた警官の姿。何人かは絶命し、また何人かはまだ息がある。


 修誠の近くからも幾つかの呻き声が聞こえる。


 そんな中で、修誠は丹念にその玄関ホールを見渡した。


(い、いない…? 来ていないのか……? いや、そんなはずは……)


 騒然とする玄関ホールではあるが、修誠は目を皿にしてゴブリン達を凝視する。



 警官たちと戦っているこの中に必ずいるはずだと。



 修誠が探しているその者というのはもちろんシヴァの事である。


 この人員の薄くなったタイミングを見計らって襲撃をかけてくるなど、このゴブリン達の中ではシヴァ以外に考えられない。他にも知性を持ったゴブリンも存在するのかもしれないが、修誠にはある種の確信のようなものがあった。



(……ん? あいつは、あの時の……)


 ゴブリンの中に他のゴブリンの姿よりも二回りほど大きな個体が。


 姿はゴブリンであるが、明らかに他のゴブリンとは異質な存在。そんな一際目立つゴブリンに修誠は見覚えがあった。


 それは以前に樋野丈瑠という高校生を救けに入った時に遭遇したゴブリン、ムトである。



 修誠のアバラはこのムトの一蹴りでヒビが入った。動きも速く力も異常に強い。明らかに他のゴブリンとは見た目も膂力も異なる要注意すべき存在である。


 しかし、いま修誠が探しているのはこのムトではない。



(見当たらない…。どういう事だ……? ……ん?)


 シヴァを探す為にゴブリン達に注視していた修誠はある事に気が付いた。ゴブリン達は妙に連携の取れた動きで警察官たちを翻弄しているのだが、どうもその指示はこのムトが出しているようなのである。


 これには修誠も違和感を覚えた。


 どう見てもムトよりもシヴァのほうが上位種である。ならば本来であればシヴァが指揮を執っているはず。しかし、そうはなっていない。


 ここから考えられるのは一つ、シヴァはここにはいないという事だ。



 ここでようやく修誠はゴブリン達の意図に気が付いた。


(…そうか、ここは囮か! という事は……)


 署内に残っている警官たちの大部分がこの玄関ホールに集まっている。ここを囮とするならば、当におあつらえ向きの状況なのである。



 とするならばと、修誠はある方向に視線を送る。



 それは捕獲したゴブリンが置かれているであろう場所の方角。



 すなわち、シヴァが向かった先である。









   ☆









「ここで間違いないか?」


 そのシヴァの問いに女は黙って何度も首を縦に振る。


 シヴァは女の反応を見るや、その部屋のドアの前まで歩を進めた。


 そして――



「ふん。こんな所に閉じ込めやがってよっと」


 シヴァはその言葉とともにドアを一蹴りする。


 すると、けたたましい音と共にドアが破られ、その音が辺り一帯に響き渡った。


 本来であればそれだけで人が集まって来そうな音が響いたのだが、しかしそれで人が集まってくるという事は無い。それだけこの警察署内には人が少なくなっていたという事である。



「よし、お前から入れ」


 シヴァはそう言うと、女の首根を掴んで先にその部屋へと放り込む。


 一応、罠の可能性を考えてそうしたのだが、どうやらそれはシヴァの杞憂のだった。部屋に放り込まれた女はその場に蹲るだけで、そこに何かが襲い掛かる事も無ければその部屋に人の気配すらしない。


 これにはシヴァも拍子抜けをし、溜息が洩れるのだった。



「やれやれ、呑気な連中だな……」


 罠の無いのを確認したシヴァもその部屋へと入る。


 そこは主に遺失物などを管理している部屋。一見すると雑然と者が置かれているようだが、それぞれに番号が振られて管理されている。普段は生き物を保管する所ではないのだが、他に置く所も無かった為にこの場所での保管となった。



「それで、どこだ?」


 シヴァは再び女の首根を掴んでそう詰問する。


「あ…、あそこに……」


 女は声を絞り出してある場所を指さした。そこは部屋の奥、いくつもの棚に隠れた向こう側である。


 シヴァは女が指し示した棚の向こうを、一応は警戒しながら覗き込む。


 するとそこには、大きなケージとその中に仲間のゴブリンの姿があった。



「ギギギっ!!」


 シヴァの姿を目にしたゴブリンは、途端に興奮してそのケージの中で暴れ出した。


「よーし。待ってろ、今出してやるからな」


 そう言いながらシヴァはケージの扉に手を掛ける。



 それは一見、何の変哲もないケージではあったのだが、ガンッという音と共に予想以上の抵抗を受けた。


 見るとそこには頑丈な錠が施されていて、シヴァといえど容易に開ける事が出来ない程のものだった。



「ちっ! 魔法で檻を斬ったら中のコイツまで傷つけそうだな…。かと言って力ずくで壊すのも面倒だ……」


 シヴァはそう呟きながらゆっくりと女へと視線を移す。


「おい、鍵は無いのか?」


 その視線と声に充てられた女はまるで蛇が体を這いまわるような感覚を覚え、全身に汗を滲ませた。


「し、し、知らない。わわ、私は、担当じゃないから…」


 女は呂律の回らない声を絞り出す。


「本当か? 嘘を吐くと殺すぞ?」


「ほ、ほほ、本当に、知らない…!」


 シヴァは女の言葉に嘘が無いか、その目を覗き込んで睨みつける。


 たったそれだけの事だが、女は全身から汗を拭き出し、立っていられないほどの恐怖を覚えた。



 シヴァはその声や視線に魔力を乗せ、人間の恐怖心を刺激する。魔力に抵抗の無いこの世界の人間にはこれが面白いほど上手く作用するのである。


 実際にこの人間の女も、そのシヴァの魔力によって恐怖で心を支配されている。それは訓練を受けた警察官といえど抗えるものではなかった。



「んー? 嘘を吐いてるんじゃないだろな…?」


 シヴァは女に顔を肉薄させて、今度は鼻を鳴らしてその匂いを嗅ぐ。


「ひ、ひぃ…」


「あー。面倒くさいな。もう用も無いし殺すか…」


「そ、そんな…!?」


 女の顔は恐怖に引き攣った。


 それはまさに死を意識した人間の表情であるのだが、それを見たシヴァの口角が上がる。



「今のうちに正直に喋っといた方が良いんじゃねぇか、おい?」


 そう言いながら、シヴァは女の頬に爪を当てた。


 そして、ゆっくりとその皮膚に突き立てていく。


「や、やめ…!」



 ――と、その時だった



「待てっ! その人を殺すな!」



 シヴァの指に力の入る既の所だった。


 その部屋の入口から聞こえてきた声に、シヴァの動きが止まったのである。



「…誰だ?」


 シヴァはその声の主に誰何する。



 声の主はシヴァの声に反応するようにゆっくりと部屋に入り、その姿を現した。


 それはこの世界で数少ないシヴァの知っている人間――



「……へぇ、サカキか」



 ――榊修誠であった。

 


 急いでここに駆け付けた為か、修誠の息は切れ、鼓動は強く脈を打つ。そんな息切れを無理やりに抑えこみ、修誠は一歩、また一歩とシヴァに近づいていく。


 徐々に詰まっていく彼我の距離。


 額に滲ませた汗が頬を伝い、ぽたりと地面に落ちる。



 修誠もまたシヴァの魔力を浴びたせいなのか、その距離が詰まるほどに息の詰まりそうになる感覚を覚えるのだった



「偶然だな。お前はここの警察官だったのか?」


「い、いや…。今日は偶々ここに居合わせただけだ」


「はぁん、そうかなるほどな。お前とはよくよく縁があるようだ」


 この因縁めいた偶然に、シヴァはくつくつと笑い声を上げた。



「え、縁…。い、いや、そんな事より。頼む、その人を放してくれ」


「あん? 何だ、これはお前の雌か何かか?」


 シヴァは女の首を掴み、修誠の目の前へと突き出す。


 首を絞められて「ぐぇっ」という呻き声を上げる女。


 その女の声を間近で訊いた修誠は、眉を寄せて表情を歪ませるのだった。



「そ、そうじゃないが…。俺も一応は警察官だからな…」


 修誠は少し言葉を詰まらせながら、その声を絞り出す。


「ふん…。ま、どっちでもいいけどよ。で、俺がお前の頼みを聞かなきゃいけない理由はなんだ?」


「理由…?」


「おいおい。俺がお前の命令なんて聞く訳ないだろ。ふざけてるのか?」


「あ、いや待て。これだ。これで取引きしよう」


 そう言うと、修誠は自身のポケットから取り出した物をシヴァへと見せつけた。


「鍵か……」


「ああ、そこのケージの鍵だ。これとその人を交換しよう」


「ふん…」



 ここで少しの沈黙が流れる。



 シヴァは何かを考え込むようにその口を噤む。


 ある種、異様にも感じられるシヴァのその雰囲気。それはほんの数秒の間ではあるが、その場にいる者を呑み込むには十分だった。



 修誠はその雰囲気に呑まれまいと意識を張るのだが、噴き出すほどに汗を流し、驚くほどの喉の渇きを覚えていた。



「交換か…。こんな檻、簡単に壊せるんだがな?」


「そ…、そう言うなよ。鍵で開けたほうが簡単だろ?」


「…それもそうだな。まぁいいだろう。別にこの雌の命に興味は無いからな」


「お、そ、そうか。それは良かった…」


 修誠も驚くほどに、シヴァはあっさりとその取引に応じた。



 そして拍子抜けを食らった修誠が胸を撫で下ろしているいるところに――


「ほらよ。さっさと鍵をこっちに渡せ」


 シヴァは女を修誠へと投げつけると、乱暴な口調でそう言った。


「あ、ああ…」



 修誠から鍵を受け取ったシヴァは、さっそくケージの錠を回して檻から仲間を助け出す。


 再開を喜びあっているように見えるシヴァとその仲間のゴブリンであるが、修誠はその光景を見ながら背筋の凍るものを感じていた。


(こ、これで良かったのか…? いや、こうでもしないとさらに犠牲が……)



「うう……」


 修誠に体を預け、ぐったりとする女性警官から少し呻き声のようなものが洩れた。


 余程の恐怖を感じたのか、女の髪は汗でべったりと張り付き、足は立てないほどに震え、まるで生気でも吸われたような姿である。


「大丈夫ですか…?」


「は、はい……」


 女は修誠の問いかけに蚊の鳴くような声で応えた。


 特に外傷らしきものは見当たらない。短時間とはいえ極度のストレスがこうも人を衰弱させるのかと、修誠はその姿にごくりと唾を呑みこんだ。



「さて、ここでの用はこれで済んだな」


 シヴァは修誠に鍵を投げ返すと、さらに続けて話す。


「じゃあな、サカキ。お前とはまた会う事になるだろうが、それまでせいぜい生きてろよ」


「え、縁起でもない事言うなよ……」


 シヴァは「ははっ」と笑い声を上げながら足早にその部屋を後にした。



 シヴァが去った後の静まり返るその部屋。



 修誠はシヴァが去っていったその出入り口の先を、暫くは黙って眺めていた。



 シヴァの言った『また会う事になる』というその言葉を何度も思い出しながら。










  ☆









「ムトっ!」


 玄関ホールに戻ったシヴァはすぐさまムトへと声を掛けた。



「シヴァ…。早かったな…」


「ああ、割とすんなりいったよ。そっちはどうだ?」


「見ての通り…」



 玄関ホールはまさに惨状を呈していた。


 あちこちに倒れる警察官や巻き込まれた一般の人間、その人間たちにゴブリンはその牙を突き立てる。玄関ホールはそんな人間たちが流した血で赤く染まっていた。


 そこに充満しているのは咽かえるような匂いと蹲る人間の呻き声。それはまるで地獄を絵に描いたような、この世のものとは思えない光景となっていた。



 集団となったゴブリンは執拗なまでに相手を襲う。そのゴブリンの本性が如実に出た結果であった。



「こっちの被害は?」


「…軽微……。誰も死んでない…」


「よし、上々だ。じゃあ、ここはもう引き上げるぞ。長居はしてられないからな」


 ムトは「わかった…」と首肯する。


 それと同時に他のゴブリン達も一斉に人間たちを襲っていた手を止めた。

 


「お前ら、出払った警察が戻ってくる前に行くぞ!」


「「「ギギギッ!!」」」



 シヴァのその号令を合図にゴブリン達はその警察署から飛び出していく。



 まるで嵐が過ぎ去るように、それは一瞬のうちに姿を消した。



 その凄惨な現場を残して。






 そして――




 警察署を飛び出したシヴァはムトを呼び止める。



「ムト、先に帰っていてくれ」


「どうした…?」



 訊き返すムトにシヴァは――




「ちょっと勧誘をしてくる」




 ――そう言って、にやりと口角を上げるのだった。






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