第23話 襲撃




 ゴブリンを捕獲した警察署のその正面。


 そこには、その警察署を見下ろせるほどのビルが立ち並ぶ。


 そしてそのビルの一つの屋上に、複数の影がその警察署の様子を窺っていた。



 何台ものパトカーが、けたたましいサイレンの音と共に警察署を飛び出していく。そしてパトカーの台数にも限りがあるのか、走って現場に向う警察官の姿も大勢見られた。


 その警察官たちの行き先はもちろん、この近くに現れたというミノタウロスの所である。


 急遽そこに現れたミノタウロスの報に、警官たちが慌ただしく出動していく。そのただならぬ雰囲気は、それを見るものに戦慄を覚えさせるほどだった。




「かなりの人間が出ていったな」


 その光景を遠目に見ていたシヴァは仲間のゴブリン達にそう呟いた。


「シヴァ、行くか…?」


「ああ。中の人間の気配もかなり少なくなってる、こんな好機は二度とないからな」


 シヴァはムトにそう言うと、少し沈黙した。



 ――ほんの少しの間。


 シヴァはビルの屋上に吹き付ける風に感覚を研ぎ澄ませる。


 排気ガスと人間の匂い、シヴァは鼻をすんと鳴らしてその匂いを感じ取り、周囲の気配に集中した。



 そして――



「よし、周りに変な気配は無い。お前ら、準備はいいか?」


 シヴァはそう言いながら連れてきたゴブリン達に振り向いた。



「「「ギギギッ!!」」」



 シヴァの声にゴブリン達が反応し、その声が屋上に響き渡る。



「よし。ムトも大丈夫か?」


「うむ…。いつでも行ける」



 シヴァは持ってきた刀を鞘から抜くと、開戦の狼煙とばかりに声を張り上げる。



「行くぞお前ら! 突撃だ!!」


「「「ギギーッ!!」」」



 ビルの屋上にその掛け声が木霊した。



 その直後、ゴブリン達は一斉にビルを駆け降りて警察署へと突進していった。









 警察署の玄関ホール。


 そこに使われる強化ガラスがけたたましい音と共に砕け散った。



「「きゃああああ!!」」


 シヴァの蹴り一撃で破られたそのガラスの音は、その場にいる人間を恐怖させるに十分だった。



 しかしここは警察署である。


 叫び声を上げたのは一般の人間のみ。


 そこにいた警察官たちはゴブリン達を目にするやすぐさま警戒行動に移る。



 ある者は拳銃を構え、ある者は一般人の避難に。それぞれが自分の役割をこなす為に動いたのである。


 そんな中、シヴァが狙いをつけたのは玄関から入った正面。一般客に対する案内などを行う受付カウンターである。


 ガラスを蹴破るその様子を一部始終見ていた受付の女性警官は、その異変を署内に報せようとすぐさま行動しようとしていたのだ。一般の人間からすれば毅然とした立派な行動である、しかし警察官の中にあってはそこが一番警戒心の弱い所ともいえる。


 しかも相手は女性警官。それは謂わばこの警察署の中の穴といってもよい部分であった。



 その穴を、シヴァが見逃すはずが無かった。



 警察署内に押し入ったシヴァは、その足を止めることなく受付カウンターへと距離を詰める。


 カウンターを乗り越え、その女性警官に肉薄し。


 そして――



 女性警官の喉をシヴァの刀が貫いた。



「が、かはっ…、あ……。はっ…あ…あ……」


 必死に何かを喋ろうとする女性警官だが、しかしもう声を出す事は出来ない。


 シヴァが刀を引き抜くと大量の血がその傷口から流れ始め、その女性警官はがくりと膝から崩れ落ち、すぐにぴくりとも動かなくなった。



 するとそこに――



「う、動くなっ!」


 男の声が玄関ホールに響き渡った。



 拳銃を構える警官たちの中の一人。真正面にシヴァを見据え、その銃口を突き付ける。


 突然ゴブリン達を前にした恐怖心よりも、男の警察官としての本能がそれに勝った。それ故の咄嗟の行動だった。



 シヴァは手に付いた返り血を舐めとりながら、その声の主をギロリと睨みつける。



 その一睨み、それはまさに蛇に睨まれた蛙である。


 男はそのシヴァの眼光を受けると、それだけで全身に怖気が走った。



 男の額には脂汗を浮かび、そしてゴクリと一つ唾を飲みこんだ。



「はっ、成長の無い連中だな」


 シヴァが口角を上げてそう言った時だった。



 一つの影が男の死角から忍び寄る。



 男がそれに気が付いた時には既に遅かった。


 見えない位置から刃物のような物が迫り、シヴァに銃口を向けていたその手首を切り上げたのである。



「ぐああああ!!!」

 

 大量の血しぶきと共に手首が宙を舞う。


 その光景と、喉を捻じられたかのような叫び声に、その場にいた者に戦慄が走った。



「よくやったぞ、ムト」


「ふふん」


 ムトは切り飛ばした手を拾い上げながら、得意げな顔をシヴァに見せつける。


「何だよその顔は…」


 シヴァが嘆息するのもお構いなしに、ムトはその拾い上げた手の方に夢中になっていた。


 よほど緊張していたのか、拾い上げた手は拳銃を握ったままの状態で硬直している。ムトはその指をククリナイフで丁寧に切断し、その指だけを懐へとしまった。



 ――しかし、警官たちもそれを黙って見ているわけではない。


 シヴァに銃口を突き付けていた警官数人が今度はムトへと銃口を突き付ける。署内は警察官が出払っておりその数は少ないが、それでもその警官たちは勇敢にもゴブリンと対峙した。



 ムトはその警官たちを一瞥し、そのままその場を動かない。


 まるで撃ってみろと云わんばかりに、挑発的な態度である。



 しかし警官たちは撃たない。



 いや、撃てないというのが正しかった。何故ならいまこの場には一般の人間がまだ避難できずにの残っていたからだ。もし撃って当たりでもしたら大変な事になる。その事が脳裏に浮かび、警官たちは撃つ事に躊躇しているのである。


 その事を当然理解していたムトは態と挑発的な態度をとったのだった。



「く、くそっ!」


 警官たちは撃つ事を諦め、腰の警棒に手を掛けた。


 そして拳銃を警棒に持ち替えた警官たちがムトへと襲い掛かろうとする。


 そこに――



「そういう所が甘いんだよ!」


 シヴァがその警官たちに対しカマイタチを放った。



「「うああっ!!」」



 バンっという鈍い音。


 それと同時にカマイタチが直撃した警官たちが吹っ飛んだ。


 一人は壁にぶち当たり、一人はロビーチェアに直撃し、その飛ばされた警官たちによって署内が散乱する。



「ちっ…」


 しかしシヴァはその光景に舌を打つ。

 

「う、うう……」


 あまりの衝撃に呻き声をあげる警官たちだが、シヴァにはそれが気に入らなかった。


 何人かは殺すつもりで放ったカマイタチであったが、誰一人として死んではいない。それどころかカマイタチによる傷すら負っていないのである。



「くそっ、防刃ベストってやつか。面倒くせぇな」


 シヴァは吐き捨てるようにそう言うと、自分を落ち着かせるために一つ深く息を吐く。



 落ち着いたところで周囲を見渡してみると、そこに見えるのは騒然となる警察署内。


 警察官たちはゴブリン達と奮戦しているように見えるが、やはり人員不足である。シヴァが吹き飛ばした警察官たちにも、その息の根を奪わんとゴブリン達が群がっている。


 戦況は間違いなくゴブリンにある。



「ふむ…。よしムト、ここはお前に任せた。俺は救出に向かう」


 自分がいなくともこの状況は変わらないと判断したシヴァはムトにそう告げた。


 そして――


「分かった…」


 ムトのその返事に一つ頷くと、シヴァは足早にその場を後にするのだった。










 単騎で仲間の救出に向かったシヴァ。


 颯爽と駆け出したまでは良かったが、警察署内はシヴァの予想よりも広い。


 このまま闇雲に署内を探しても時間の無駄になる。


 どこか案内役になりそうな人間はいないかと、シヴァが署内の廊下を進みながらそう思ったときに一人の女性警官と遭遇する。



「はは、良い所に出てきたな」


 シヴァは素早く女の首を後ろから掴み、そのまま壁へと押し当てた。


「う、うぐっ…」


「おい、俺たちの仲間はどこにいる? 素直に答えないと――」


「だ、誰かーっ! ここにあがっ…!」


 女は声を振り絞って助けを呼ぼうとするが、シヴァはさらに首を絞めつけて女の声を押し潰す。



「死にたいのかお前? そうだ、何人か死ぬとこを見ておくか。どうもこの国の雌は危機感ってのが薄いらしいからな」



 その言葉を聞いた女の顔色は蒼白となった。


「ああっ!! あ、うあっ…!」


 そうはさせてなるかと女は必死で足掻く。しかし、シヴァの膂力の前に思うように体を動かす事ができない。むしろ、足掻けば足掻くほどシヴァの力が強くなり、その自由を奪われるのである。


 そうして尚も抵抗しようとする女を見て、シヴァはさらに苛立ちを見せた。


「ちっ、まあいい。大人しくできないなら殺すか、替わりは他にいくらでもいるしな」


「――っ!?」



 シヴァはそう言うと、首を掴むその手に徐々に力を入れていく。


「んあっ!! かっ、はっ…!!」


 力はさらに入り、シヴァの爪が女の皮膚へと突き刺さる。


「大人しく従ってれば死なずにすんだかもしれないのになぁ」


 爪が突き刺さった首から血が流れ――


「あ、ああっ!!」


 地面に滴り落ちた。


 ――その時である。



「その手を離せっ!!」


 その言葉と共にシヴァを羽交い締めにしようと、警察官の男がシヴァの後ろから襲い掛かった。



 関節を極めるために腕をとり、その動きを封じるために男はシヴァへと圧し掛かる。


 ――が、しかし。


 男がいくら力をいれてもシヴァの躰はピクリとも動かない。


「なっ…!? ど、どうして…?」


 焦った男はシヴァの首を取りどうにか揺さぶって引き倒そうとするのだが、しかしシヴァの躰はまるで石で出来ているかのようにビクともしなかった。


 埒外の事態に男は激しく動揺した。表情には焦りが浮かび、手足は震え、全身に冷たい汗が滲み出る。


 男はこの時になってようやく、その相手が人間ではない事を認識したのである。



 シヴァはそんな男を唯じっと窺い、静かに口角を上げる。



「どうした? 何かするんじゃなかったのか?」


「くっ…!」


 あまりにも冷静にそう喋るシヴァに、男の焦燥感は増していく。この男には何をしても無駄なのでは、シヴァのその態度からはそんな考えさえ起こさせるものがあった。


 そうして男は攻め手を欠き、次の手に悩んでいた。


 ――その時。



 この異変を感じ取った警官数名が男の下へと駆け寄ってきたのだ。


「そのまましがみ付いてろ!」


 駆け寄ってきた一人がそう叫ぶと、全員がシヴァへと圧し掛かる。


 一人は上から覆いかぶさるように、一人は腰にしがみ付き、さらには腕や足下にまで、シヴァの全身に警察官たちが群がった。



「人質から手を離して大人しくしろ!」


 シヴァにしがみつく一人の警察官が勇ましい言葉を投げ掛ける。そしてそれに続くように他の警官たちもシヴァに対して投降するよう促した。


 当たり前ではあるが、そこにいる警察官たち誰もがこのまま組み伏せられると考えていたのだ。数の優位をとった事もあり、警官たちは自然と気が大きくなっていたという事もあったろう。


 しかしそのせいで、彼らはその違和感にまだ気が付けずにいた。



 最初にシヴァに襲い掛かった男のように、一人であった方がすぐに気づけたであろうその違和感。



 一見すると、大の男がこれだけの人数で圧し掛かり、シヴァを圧倒しているかのようなその状況。


 しかし。


 シヴァはまだ態勢一つ崩していないのである。



「あぁ。鬱陶しい連中だな」


 シヴァはまず片手を振った。


 すると――


「ぐぇっ!!」


 シヴァの腕にしがみついていた男が飛ばされ、壁にぶち当たってカエルが潰されたような声を出す。


「う、うう…」


 背中を打ち付けた男は呻き声を上げて蹲る。



 しかしシヴァはそんな男を他所に、自身の背中にしがみ付いている男に手を伸ばした。


 そしてそれを引き剥がしたかと思うと、男を無造作に振り回し始めたのだ。


「うあああ!! や、やめろっ!」


 シヴァはまるで体についたゴミを払うように、或いは虫でも叩き落とすように、掴んだ人間を使って纏わりついている人間を落としていく。


「ぐあっ!!」

「あああ!!!」

「や、やめっ、ぬああ!!」



 纏わりついていた人間が綺麗に落ちたところで、シヴァは「やれやれ」と嘆息した。


「こっちはお前らの相手してるほど暇じゃないんだよ、ったく…」


 そのシヴァの気だるそうな声が、警察署の廊下に静かに響く。

 

 そして――


 シヴァはゆっくりと刀を鞘から抜くと床に倒れる警官たちを一瞥した。



「おい雌。よく見てろ」


 シヴァはそう言うと、首を掴んだままだった女の頭をその警官たちへと向ける。


 その瞬間、何をするのか察知した女の顔色が変わった。


「い、いやっ。何をする気!? や、やめなさい!!」


「いいから黙って見てろ」


 そう言うとシヴァは刀を頭上に振り上げる。


「やめっ! やめてぇぇ!!」



 女の必死の訴えも虚しく、その刀は勢いよく振り下ろされた。



 閃光のような太刀筋。


 それが男の首を鮮やかに両断したのである。



 そして――



 血しぶきが一瞬遅れるようにして辺りに飛び散った。


 その場にいる者たちは、自身の視界が赤く染まっていくのを――


 壁が、床が、そして女の顔が、その鮮血に塗れていくのを唯見つめている事しか出来なかった。



「いやあああぁぁ!!」


 遅れて女の悲鳴が廊下に響き渡る。



「うるせぇ。喚くな」


「あがっ…!」



 シヴァは女の首を強く締めて声を潰すと、その女の耳元に自身の顔を寄せた。


 そしてその耳に、どすの効いた低い声でこう囁く。



「おい、聞かれた事に答えろ。さもないともっと死人が出るぞ。わかったか?」



 血の匂いの混じった声。


 女はそれに血液が逆流するほどの恐怖を覚えた。



 涙を流し、歯が音を鳴らすほど震え、女は声に詰まる。




 そして。



 声を絞り出す事も出来ない女はその震えを堪えながら。



 コクリと一つ頷いた。

 


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る