第22話 業の鎖
そこは、いつものように喧噪に包まれる警察署内。
何人もの警察官が右へ左へと慌ただしく行き交っている。
修誠はそんなお馴染みの光景を何処か他人事のように眺めつつ、その喧噪渦巻く署内を歩いていた。
暫くはそうして歩いていた修誠だったが、あまりその光景を見ていては変に絡まれるかもしれない、そんな事を考え、早く用事を済ませようと足早に署内を移動することにした。
そんな修誠に一人の男が近づいてくる。
「おお、榊じゃないか」
それは修誠の同期である村山という男だった。
「なんだ村山か。久しぶりだな」
「そうだな。って、あれ? お前、謹慎中じゃなかったか?」
村山は修誠の顔を見て思い出すようにそう言った。
「部長に言われてな。これ早く持って来いって」
修誠はそう言いながらA4サイズの封筒を村山にヒラヒラと見せつけた。
「ああ、例の報告書か。お前も災難だったな。怪我の方はまだ完治してないんだろ?」
「まだちょっと痛むけどな…、だいぶ治ってはきてるよ」
それは高校生を助けに入ったときに、ゴブリンから受けた傷である。
その時はアバラのひび程度で済んだ。しかし、高校生を助けに入った時や、シヴァとの邂逅。修誠はそれを思い出す度に背中に冷やりとした物を感じるのだった。
(今更ながら、よく生きてるよな俺…)
修誠は自分の胸を擦りながら、ゴブリンに遭遇した時の事を思い出していた。
「それにしても、お前も相当ゴブリンに縁があるんだな。けっこう署内で噂になってるぞ」
「はぁっ!? や、やめてくれよ。こっちはもう関わりたくないってのに…」
「はっはっは。森さんと隠れて飲みに行った罰だな」
「うっ…。そんな事まで噂になってるのか?」
「ああ。署内は今、お前への恨みで男たちが団結しているほどだ。そんな訳だから署内を歩く時は気を付けろよ」
「なんだよそれ……」
森真琴の署内での人気は高い。サバサバしていて女を前面に出すようなタイプでは無いが、時おり女性らしい細やかな配慮を見せる事もある。そういった所がこの署内の男性警官たちに受けている。
この署内には、真琴の前に砕け散った男が数知れずいる。それ故に、真琴の事は涙を呑んで見守っていくという事で男たちは納得し団結していたのだ。
そんな真琴に粉をかけた男がいるということで、署内にはゴブリンの事よりもそちらに皆の意識が向かっていた。
「あ、そういや――」
村山は急に何かを思い出したかのように話題を変えた。
「――部長に用があるんだったらお使いを頼まれるかもな」
「……? 何のお使いだ?」
「ああ、あれだよ。例のゴブリンを捕獲した署だよ。あそことうちでゴブリン対策本部作って合同捜査をする事になったらしくてよ。それで渡し忘れた資料があったって、さっき部長がぼやいてたよ」
「何でそれを俺が? つか、俺いま謹慎中なんだけど……」
「立っている者は親でも使えの精神じゃないか? うちも人手が足りないからな」
そう言いながら村山は肩をすくめる。
人手が足りないと言いつつも特に今何をしているのかよく分からない村山に、修誠は肩を落としてジト目を送るのだった。
「はぁ、資料なんてメールで送ればいいのに……」
「重要書類は紙を使う。どこぞのスパイ機関もやってる事だろ」
「重要書類って…。言うほど重要な資料とは思えないんだが……」
「まあそうボヤくなって。謹慎中ってどうせ暇だろ?」
そう言って村山は修誠の肩をポンと叩いた。
「そうだけど…、はぁ、まぁいいか……。それでその合同捜査ってのは初耳なんだけど、こっちから出す人員はもう決まってるのか?」
「まだ準備段階だから細かくは決まってないだろうけど……。ああ、お前はもうその中の一人に入ってると思うぞ」
「なっ!? おい、何で俺が入ってんだ!? 俺やるとも何も言ってないだろ!」
「何でって…。お前はもう第一人者みたいなもんだろ? そりゃ入ってるよ」
「誰が第一人者だよ……」
「まあ、これも運命と思って諦めろ」
そう言いながら、村山は再び修誠の肩をポンポンと叩く。
「はぁ…、せっかく謹慎になってゴブリンから離れられると思ってたのに……。それにしても、今さら合同捜査ってなぁ……。何で本庁は動かないんだよ、要らない時は必要以上に出張ってくるくせに……」
「いまだに害獣扱いだからな。害獣駆除なんかに本庁のお偉方は動かないんじゃないのか? ま、上の考えてる事なんて俺たち下々には分からんけどな」
「なるほどね…、はぁ……」
村山の話を聞いた修誠から深い溜息が洩れる。
そして。
(最近こんな話ばっかりだな……)
そんな事を考えながら、まだゴブリンと関わらなければならない事に胸が重くなるのを感じるのだった。
☆
村山の言う通り使いを頼まれた修誠は、ゴブリンを捕獲したという警察署までやって来ていた。
警察署の中というのは場所が違えば様相も随分と違ってくる。
修誠は自分の署の雰囲気とはまた違った喧噪を、物珍しく眺めていた。
「お待たせしました。榊さんですね?」
そう修誠に声を掛けたのは受付の女性警官だった。
「あ、お疲れ様です。ゴブリン関連の資料をお持ちしたんですが」
「はい資料ですよね……えと、申し訳ありません。今ちょっと担当の者が外してるんですよね……」
その女性はそう言いながらばつの悪そうな表情を浮かべた。
「あれ、そうなんですか? 事前に連絡しておいたはずなんですけど…」
「それが、今……。何でしたらこちらで預かっておきますけど?」
「んー。一応重要書類なので、できれば直接渡したいんですが……」
「そうですか…。では別の者に対応してもらいますので…、すみませんが直接部署まで持って行ってもらえますか?」
「わかりました。で、どちらに持って行ったら?」
「二階に上がった所に生活安全課がありますのでそちらの方に」
修誠はその言葉に引っ掛かった。
「生活安全課ですか……」
(やっぱりここでもゴブリンは害獣扱いか…?)
「はい、今は生活安全課が対応しています。対策本部が出来るまでの繋ぎですね」
「そうですか。わかりました、二階ですね?」
「階段で上がってすぐですので。エレベーターよりそちらの方が分かりやすいと思います」
「わかりました。どうもありがとうございます」
受付の女性警官との話が終わった修誠は、言われた通りに二階の生活安全課へと歩を進めた。
その歩を進めている途中。修誠はその警察署内の雰囲気が妙である事に気が付いた。
他の署内の事なので確かではないが、どうも慌ただしい雰囲気が全体を包んでいる。最初は、ここも人手が足りていないのかと思っただけだったが、どうもそうでは無いようである。
修誠はそんな違和感を感じながら、その生活安全課までやって来た。
そしてその中に入った修誠は、その違和感を確信する。
「おい人数が足りないぞ! もっと出動させろ!」
「どこの部署でも構わない! 早くしろ!」
「手の空いてる奴はさっさと現場に向え!」
その部署内には、まさに怒号のようものが響き渡っていた。
警官たちが慌ただしく動き回り、事情を知らない修誠でも何かが起こった事が容易に想像できた。
(おっと、見てる場合じゃない)
「あ、すいません。ゴブリン関連の資料を持ってきたんですが…」
その光景を眺めていてもしょうがないと、修誠は近くにいた人に声を掛けた。
「ああ!? 何だ、今忙しいだよ!」
急に呼び止められた事で、男は声を荒げる。
(この男、俺が一般人だったらその態度は大問題だぞ……)
「いやだから、ゴブリン関連の資料を…」
「――資料? ああ、あんたがそうか。あそこが課長のデスクだからその上に置いておいてくれ。悪いけど今それどころじゃないんだ」
ゴブリンの資料と聞いて、ようやく事情を察したその男は少し態度が軟化した。
しかし男から漂う緊迫感は変わらず残っている。
その張り詰めた表情からは、余程の大事件が起きているのだろうと窺い知れた。
「わかりました。何かあったんですか?」
たまらずそう訊いたのだったが、次に男が言った事に修誠は驚愕することになる。
「ああ、化け物だよ。この近くに巨大な化け物が現れて現場がパニックになってんだ」
「ば、化け物…!?」
修誠の脳裏にゴブリンの姿がフラッシュバックした。
高校生を助けに入った時、シヴァと邂逅した時、化け物と聞いた修誠はすぐにそのことを想起したのである。
修誠の心臓がどくりと強く脈を打った。
「俺も急いで行かなきゃならんから、資料は適当に置いて行ってくれ」
「あ、ちょっ…」
男は修誠の言葉も待たず、急ぐようにその場から去っていった。
そして――
喧噪渦巻く警察署内に取り残される修誠。
気づけばその頬に一筋の汗が伝う。
(また俺の近くにゴブリンが…?)
ここまで来るとさすがに因縁めいたものがあると、修誠はそう感じざるを得なかった。今までなるべく考えないようにしてきた事ではあるが、こうも偶然が重なる事はあり得ない。
目を背ける事の出来ない現実が、修誠に重く圧し掛かろうとしていた。
考えただけでその場にへたり込んでしまいそうになる。目の前が暗くなる。腹に溜まった重いものを吐き出したくなる。
自分に纏わりつく鎖のようなものが、まるで心の奥にまで侵入してきたような感覚である。
何故自分なのか、修誠は何度も自分にそう問いかけた。しかしその答えは返ってくる事は無い。
暫くの間、その茫然とした疑問が修誠を苛んだ。
しかし修誠は何とか必死に堪えて、その折れそうになる気持ちを食い止めるのだった。
少しの間ではあるが自分を失っていた修誠は、はたと自分の手に持っている資料に目を止めた。
(そ、そうだ、これを持ってきたんだった…)
眩暈でも起こしそうな修誠だったが、ようやく自分の用事を思い出し、それを言われた所へ持って行くことにした。
男に言われた課長のデスク。それを見た修誠から溜息が洩れる。
それは雑然としていて、まるで片付けている気配の無い状態。これが自分の机だったら間違いなく我慢できない。それを見た修誠はそんな感想を抱くのだった。
机の上には置く場所が見当たらなかった修誠は、椅子の上に資料を置くことにした。これだけでは分からない可能性も考慮し、一応メッセージもそこに添えておいた。
「これでいいかな…?」
(用事は済んだしさっさと帰ろう。化け物とやらに関わりたくはない)
修誠はそう思い、足早にその部署を抜け出そうとした。
しかし、その一歩を踏み出したときである。
修誠の脳裏にその言葉が引っ掛かった。
(化け物…。いや違う。さっきの男は巨大な化け物が現れたと言った……。確かに言った……。巨大なと……)
巨大な化け物、その言葉が意味するところを修誠はすぐに理解した。
(ゴブリン…じゃない……?)
化け物と聞いてゴブリンと思い込んでいた修誠だったが、それが勘違いではないかと頭を過り始めたのだ。
ゴブリンの大きさは人間の半分ほど。シヴァに至っても人間とほぼ変わらない体躯である。これを間違っても巨大とは表現しないだろう。
つまり、さっき男が言っていた化け物というのはゴブリンではない可能性が極めて高いということだ。
修誠の唾を飲む音が妙に大きく鳴った。
(……ん? いや待て…)
ここで修誠はある事に気が付き、慌てて周囲を見渡した。
静かである。
確かにさっきまでは騒がしかったその部署の中。
しかし、今はほとんどの人が出払ってしまい寂しく静まり返っているのだ。
「お、おい…。これは不味いんじゃ……」
ガランとした部署内、その光景を目にした修誠に言い様の無い不安感が襲う。
修誠自身、警察署内がこんなに静かになっている所を見るのは初めての事である。それ程の人員がその化け物とやらに割かれたという事だ。
他の警察署ならそれほど問題では無かったのだが、この警察署には……。
「あ、ちょっと、すいません…」
修誠はわずかに残っていた男性警官に声を掛けた。
「はい…? どうしました?」
男は自分の仕事の手を止めて修誠に対応する。
「何でこんなに人が出払ってしまってるんですか?」
「ああ、この近くでモンスターが出たようで。それで皆それに当たってるんですよ」
「こ、ここをこんなに空にしてもいいんですか…?」
「そう言われても、上からの命令ですから」
「上から……?」
「ほら、一月前と同じ轍は踏みたくないんじゃないですか? 上も躍起になってるようで」
上からの命令という言葉。
その言葉に修誠の嫌な予感はさらに膨れ上がっていく。
(おいおい、こいつら分かってるのか…?)
修誠の懸念、それはこの警察署だからのもの。
つまり、ここがゴブリンを捕えている警察署であるからだ。
それは本来なら厳重に警備するべき所であるはずだが、今のこの署内は厳重という言葉からはかけ離れている。もしここにゴブリンたちがやって来たとしたら、間違いなく為す術なくやられてしまう。
修誠はそんな不安に駆られると同時にシヴァの事を思い出す。
(それに、あの男がこのチャンスを見逃すはずがない…)
あの時遭った他とは異質なゴブリン。
狡猾にして不敵、それでいてその双眸からは野心を滾らせるあの男。
そのシヴァの姿を思い浮かべた修誠は確信する。
必ずここに現れると。
「い、今すぐ他の署に応援を――」
修誠が男にそう言った時である。
それはその警察署の一階の方。
まるで空気でも裂いたかのような強烈な音が、修誠たちの耳に響いてきた。
それはまさに修誠の予感が的中した音である。
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