第25話 大迷宮の守護者




「危険ですから下がってください!!」



 警察官たちの怒号のような声が此処彼処から響き渡る。



「銃火器の使用を行っています! 危険ですからもう少し下がってください!!」



 警官たちは声を張り上げるのだが、その声はそこに群がる野次馬根性を剥き出しにした群衆とマスコミには届かない。


 彼らの関心事項は一つ。如何にして良い画を撮影できないか、それのみを考えてスマホやカメラを片手にその現場に押し寄せているのである。


 ゴブリンによる惨劇の記憶もまだ新しいのだが、彼らにとってはその画の価値の方が重要であった。それが、今のこの国の人間たちの姿そのものであり、この国の抱える病とも言える光景だった。


 その、あまりの危機感の無さに辟易する警察官たちではあるが、それでもその人だかりを抑える為に彼らは必死に大声を張り上げていた。



 そんな中に幾つもの銃声が鳴り響く。



 乾いたような破裂音が周囲の建物に反響し、聴こえてくる音は実際の数よりも多い。普通であればその音を聴けば警戒心も増すというものではあるが、しかし群衆はその音を聴いて更に活気づく。


 警察官たちがその場にいるからか、集団となって気が大きくなっているのか、とにかくその場に集まる人々の表情に恐怖や緊張といったものは感じ取る事が出来なかった。





「グオオオォォォ!!」


 それは地鳴りのような声である。


 周囲の群衆を他所に、騒ぎの中心にいる警察官たちはその声の主を前にさらに混乱をきたしていた。


「だめだ、奴の皮膚に銃弾が通らない!」

「班長、これ以上撃っても意味が無いのでは!?」

「猟友会の麻酔銃はどうなってる!?」

「何発か命中しているそうですが全く効いてません!」


 その混乱の原因となったいるのは、警察官たちはおろかこの世界にいる人間たちにとっては見るも珍しい生き物、牛頭人身の魔物ミノタウロスである。



 最初こそ勇ましく戦っていた警察官たちではあるが、ミノタウロスが片手に持つ戦斧を一振りしてから状況は大きく変わってしまった。


 ライオットシールドというポリカーボネート製の盾を構えてミノタウロスの周囲を取り囲んだその警察官たちを、ミノタウロスの一撃は見事なまでに粉砕してしまったのだ。盾が軽すぎた事もあるのだが、その一撃で警察官数人が大きく跳ね飛ばされ、二人が命を失い他は重症を負うという被害を出す結果となった。


 それは警察の陣営にとって衝撃的な光景だった。


 警察は方針の転換を余儀なくされ、ミノタウロスとは少し距離を置いて銃撃戦へと移ることとなる。


 巨大な体躯のミノタウロスは恰好の的となり警察官の銃撃はよく命中し、ミノタウロスもそれに対して苦しそうに唸り声を上げる。これに気勢が上がった警察はさらに追い打ちをかけるように一斉射撃を試みたのだ。



 しかし――



 警察官たちの放った銃弾は、そのミノタウロスの堅い皮膚を貫通するに至らなかった。


 ミノタウロスに傷を負わせる事はおろか逆にミノタウロスを激昂させる結果となってしまった警察官たちは、そこから一人また一人と死傷者を増やしていく事となってしまったのだ。




 ――そこから数刻、何の打開策も無い警察はじりじりと不利な状況へと追い込まれていた。





「押されています! このままでは犠牲が増えるだけです、何か対策を!」


 部下の報告を受けて男は額に汗を滲ませる。


 警察官たちは上手く距離をとって銃撃を繰り返しているのだが、これといった策も無いまま只々被害を増やすだけの結果となっていた。そしてこの男は、その有様を現場の指揮官として遠巻きに眺めているだけだったのである。


「わ、わかっている。今、他の署に応援を要請している所だ。もう少しこのまま耐えろ」


「しかし、人数を増やしたところで同じ事の繰り返しなのでは…?」


「他に方法は無いだろ! こっちはあんなもんを想定した訓練なんかしてないんだからよ。物量で抑える以外に何かあるんだったら教えてくれよ」


「そ、それは……」


 部下の男は言葉を詰まらせた。


 男の脳裏にはその別の方法というもの思い浮かんではいた。それはその上司の男もそうである。しかし、それは自分達にはどうする事も出来ない、警察の範疇を超えているものだった。それを考えると、二人は口を噤むしかなかったのである。



 打つ手を欠いた警察は、そこからもだらだらと時間稼ぎをする事になる。


 ミノタウロスの体力が落ちるのと、いつ来るとも分からない援軍を待ち、ただ時間だけを費やし徐々に犠牲者を増やしていった。



 ――そんな時である。



 事態はこの男の登場で大きく動く事となった。




「応援はまだか! もうどれだけ犠牲が出てると思ってるんだ!」


 指揮を執る男は声を荒げて激昂した。


 実際には男が感じる程の時間は経ってはいないのだが、何も出来ない苛立ちを吐き出さずにはいられなかったのである。


「もうすぐ夕刻ですから渋滞に捕まっているのかも…」


「ちっ…!」


 それは男が舌打ちをしたのと同時だった。



「あ…。あれ、人じゃないですか……? 一体どこから…!?」


 それを見た瞬間、部下の男の背中に冷たいものが走った。


「何…? どこだ?」


「あ、あれです…。あの化け物の前に……」


 このままでは、また一般市民に犠牲が出てしまう。そう思った男のそれを指差す手が震えた。



 男の指の差す先。


 そこにはミノタウロスと、それに距離をとって取り巻く警官たち。



 それと――



 そのミノタウロスの目の前に立つ、ある男の姿があった。




 シヴァである。








  ☆








「よぉ。お前、言葉は喋れるかい?」


 これがミノタウロスの前に立ったシヴァの第一声だった。



 ミノタウロスは妙な男の出現にその動きを止め、大きく息を吐いて興奮を冷ましていく。一方の警察官たちは、そのシヴァを人間と勘違いしたために発砲する手が止まってしまった。


 つい先程まで繰り広げられていた激しい闘乱も、シヴァが現れた事により一先ずは収まる事となったのである。




「おい! 危険だ下がれ!!」


 それはシヴァを一般市民と勘違いした警察官たちの中から聞こえてきた声だった。


 しかしシヴァはそれには一切の反応を示さず、ただ黙ってミノタウロスと対峙する。



 ミノタウロスはそんなシヴァを睥睨威圧しながら、ゆっくりとその口を開く。



「ヴォゥ…。その魔力…、何者だ? どうやら人間では無さそうだが」


 低く唸るような声がミノタウロスの大きな口から漏れ出た。


 それは、人間の声帯と牛の声帯を足したような複雑な音をさらに嗄れさせたような声音である。この世界の人間からすれば、まるで悪魔が囁いているかに聞こえるのかもしれない不気味なものだった。


 しかし、今はその声を聞いているのはシヴァだけであった。



「どうやら言葉は理解できてるみたいだな。俺はゴブリンだ。見た目じゃちょっと分かりにくいがな」


 シヴァは言葉が通じる事に取り敢えず安堵した。


 頭が牛ということで、ひょっとしたら言葉が喋れないかもしれないという懸念があったからだ。それと、ゴブリン達がこの世界にやってきたときに何故か日本語を理解できるようになっていたように、このミノタウロスにも同じ現象が起きているかの確認でもあった。


 とにかく、これで計画が遂行できるとシヴァは内心でそう思うのだった。



「ゴブリン……? ヴォゥ…、貴様のようなゴブリンは初めてだ」


 時おり唸り声のようなものを洩らしながら、ミノタウロスはしげしげとその双眸にシヴァの姿を映す。



「ああ、俺は名前付きだからな。シヴァって名前だ、憶えておいてくれ」


「ネームド…。ふん…、道理だな。我の名はゼロス。ヴァルトア大迷宮における四十階層の守護者である。その記憶に留め置くがいい」


「ヴァルトア大迷宮か……。やはり俺たちは同郷で間違いなさそうだな」



 ヴァルトア大迷宮。


 シヴァたちがいた世界に存在する数多ある大迷宮の中の一つである。その中でもヴァルトア大迷宮は四大迷宮のうちの一つに数えられ、知らぬものはいないと言われている。


 そこは歴史も古く、それ故に魔素も濃い。その為に棲まう魔物の凶暴さも著しい場所である。その凶暴な魔物たちがあらゆる人間の勇敢な冒険心を挫き、この数十年に至ってはその三十階層以上に人間の侵入を許してはいない、まさに四大迷宮の名にふさわしい魔の巣窟である。


 人の踏み入らないその三十階層以上、そこは魔物たちが覇を競い合う修羅の世界。


 このミノタウロスのゼロスは、そんな世界の四十階層における支配者であるという。



「同郷…。 ヴォゥ…。貴様も迷宮に生を受けた者だというのか?」


「いや、そうじゃねぇ。よく周りを見渡してみな。ここが何処だか分かるか?」


 シヴァにそう言われて、ゼロスはゆっくりと周囲を見渡す。


「ヴゥ…。ずっと気になっていた。明らかに空気そのものが違う…、ここは一体……」


「ここは日本って国らしいぜ」


「ニホン……、聞き覚えの無い名だ……。ゴブリンの…シヴァと云ったか、知っている事を申せ! 我は先刻まで確かに迷宮にいたのだ。これはどういう事か!」


 ゼロスは声を荒げてシヴァに詰問した。


 一先ずは落ち着きを取り戻していたゼロスではあったが、これには興奮を隠しきれなかった。それほどにこの現状というのは、ゼロスのような巨躯を持った者にも心奧を混乱させるものだったのだ。



「ああ、俺たちの知ってる事だったら教えてやってもいいぜ。だが、その際には俺たちの仲間になってもらうがな」


「仲間だと…?」


「俺に従ってもらうって事さ」


 シヴァのその言い様にゼロスは面を食らう。



「ふっ…。ふぁっはっはっ!! ゴブリン風情が我を従わせようというか! これは笑わせてくれるではないか!」


 地鳴りのような笑い声がゼロスの口から洩れた。


 ゴブリンといえば魔物の中でも最下層に位置する生物である。そのゴブリンであるシヴァから、そのような不遜な言葉と態度が出るとは思わなかったのである。



「へへ、悪いがゴブリンの社会は縦社会なんでな。これだけは曲げられないね。お前だったら好待遇で迎えてやれるぜ?」


「ふっ。では我に武を示すがよい。我を負かす事が出来たならば望み通りにしてやろう」



「ああ、そうさせてもらう。……と、その前に――」


 シヴァはそう言ってある方向に向き直る。


 その先にあるのは、シヴァとゼロスが何かを話しているのを固唾を飲んで見守っていた警官たちである。



 シヴァはその警察官たちを見てニヤリと口角を上げる。



 ゼロスが暴れなくなったことで、幾分かその警官たちの表情には緊張の糸が和らいでいるのが見て取れた。仮にも戦場である事には変わりないはずなのだが、そこに気の緩みが生じていたのである。


 それは致命的な油断であった。


 巨大な魔物との戦闘という極度の緊張状態から解放された警察官たちは、無意識に集中を解いてしまったのである。普段ならばこのようなミスは生じなかったのかもしれないが、それほど今、目の前で起こっている事がその警官たちの常識の埒外であったのだ。




「――邪魔な連中を掃除しておかないとな」



 シヴァはそう言うや否や、片手を高く振り上げる。


 するとその掌の上に、巨大な魔力の渦が炎となって燃え上がり始めたのだ。



「ひぇっ!? ほ、炎が!!」

「お、おい、あれひょっとして…」

「ああ…、まずいぞこれ……!!」



 炎を目の当たりにした警官たちに動揺が走る。


 これまで一貫して統率の取れた動きを見せていた警察官たちであったが、その炎をはそれを崩すのに十分過ぎた。


 動揺は一気に広がり、警官たちの戦闘意欲が失われていく。それまで張り詰めていたものを失った警官たちには沸々と恐怖心が湧き上がり始めたのだ。その恐怖心は警察官たちの心に弱気を生み、無意識にじりじりと後退を取り始める者もいた。


 何かが口火を切れば一斉に雪崩を打つ、まさにそんな状態である。


 そこへ――



「た、退避だ!!」



 誰が言ったものかは分からないが、その声が現場に響く。


 するとそれと同時に、警官たちは一斉に踵を返して走り出したのである。



 我先にと駆け出す警官たち。


 そこにはもう既に統率というものは無かった。



 そんな警察官たちの姿に、シヴァは静かにほくそ笑む。



「少し遅かったな」



 シヴァの目に映るのは逃げ惑う警官たち。


 その背中に向けて、シヴァはゆっくりとその手を振り下ろす。



 シヴァの手から放たれた炎は一瞬のうちに警察官たちへと迫った。



 不気味な音を鳴らし、逃げる警官たちの背にその恐怖を与えながら。



 そして――



 目も眩むほどの光を放ったかと思うと、その炎は辺りに強烈な爆音を轟かせながら四散したのだ。



 爆発するように飛び散る炎が、警察官たちを逃がすまいと襲いかかる。それはまるで意思でも持つかのように、縦横無尽に飛び回りながら警察官たちをその炎に包んでいくのである。


「ぎゃああああ!!」

「あああっ!!」

「あづい!! あづいいい!!!」


 髪を焼かれ、皮膚が溶け、呼吸もままならない状態ではあるが、警察官たちはその苦しみに叫び声を上げる。


 しかし、その炎はその身を焼き尽くすまで消えることは無かった。




 辺りに肉やゴムの焼ける匂いが充満し始めた頃。


「ヴォゥ……。上級魔法なのか…? 我の知るものとは少し違うが……」


 その光景を見ていたゼロスが感想のようなものを洩らした。



「ああ、俺のオリジナルだ。より確実に、且つ広範囲に相手を殲滅する為に改良したのさ」


 シヴァはそう言って得意げに鼻を鳴らす。



「ふっ…。どうやら思ったより楽しめそうだ」


 ゼロスはこの目の前のゴブリンを強敵と認識し、そしてその期待感に高揚する。



 そんなゼロスにシヴァは不敵な笑みを返し――



「そうやって余裕ぶってられんのも今のうちだぜ」



 そう言いながらゼロスと対峙する。



 そして――



 シヴァはゆっくりと刀を抜き、ミノタウロスへと刃先を向けた。








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