第15話 尋問




「何かがあったようね……」


 ビルの上から落ちてきたガラスの破片を眺めながら真琴はそう呟いた。



「そのようですね……」


 修誠は息を呑んでそう答える。


 そのガラスが割られる音とその前に聞こえた発砲音は、二人の緊張感を高めるのに十分だった。


 ゴブリンが銃を所持しているのか、それともここのビルの中にいた人物によるものなのか。なぜ窓が割れたのか、中で争っているのか。色々な事が頭を駆け巡るのだが、そのビルの外からではまるっきり中の事情が分からないのである。



 この何も分からない状況にやがて真琴が焦れ始める。


「榊君、署への連絡は?」


「それが……、さっきから何度もかけてるんですが繋がらないんです」


「え…? どういう事?」


 真琴は素早く自分のスマホを取り出してその画面を確認する。



「……電波は来てるね。基地局をやられた訳じゃないということか……」


「そう思って他にもかけてみましたけど他には普通に通じるんです」


「という事は、警察が君からの電話を無視しているという事?」


「……みたいです」


 真琴は舌打ちを一つする。



「なるほどね、それでさっきから待っても来ないのか……」


「それは、どういう事ですか?」


 何か心当たりのありそうな様子の真琴ではあるが、その答えは返っては来ない。


 そして。


「今は説明よりもこの状況をどうするかね。榊君、君はここで待ってて。私はちょっと中の様子を探ってくるから」


 少し考える様子を見せていた真琴が、急に耳を疑うような事を言いだした。



「えっ!? ちょ、ダメですよ森さん! 中の状況も分からないのに危険ですって」


 修誠はそんな真琴を必死に止めるのだが。


「このまま指を咥えて見てるだけで、それで逃げられでもしたらそっち方が危険だよ。私たちの仕事は街の安全を守る事なんだからね」


 真琴にそう言われて修誠は口を噤んでしまった。


 確かに、ガラスの破片が落ちてきたことを不審に思う人たちがその周辺に集まりだしていて、このままではこの人たちを危険に巻き込む恐れが出始めている。それを目にしながら、修誠は真琴の言葉に警察としての使命感を思い出させられたのである。



「まだ警察が来ないとも限らないから、榊君はここにいて」


「いえ、僕も行きます。来るか来ないか分からないものを待ってるより、目の前の状況を優先しましょう」


 そう言った修誠に真琴はふっと笑みをこぼした。


「…そう。じゃあ、くれぐれも気を付けてよ。怪我しても労災認定されるかどうか分からないからね」


「は、はい……」



 気の抜けるような事を言う真琴に溜息を一つ吐くと、修誠は真琴と共にそのビルの中へと侵入していく。



 シヴァのいるそのビルの中へと。









 一方のビルの中。


 オフィス内は一暴れした後のように物が酷く散乱していて、そのあちらこちらにはゴブリンに取り押さえられる人間の姿があった。


 人間たちには一人につき数体のゴブリンが纏わり付き、その体の自由を奪っている。そうして身柄を押さえられた人間たちは、ある者は抵抗を諦め、またある者は未だ抵抗を続けて様々な反応を見せている。


「うう……」

「や、やめろ!! このっ!!」

「助けてくれぇ…」


 それぞれが異なった声を上げる人間たち。


 その光景に口角を上げながら見詰めるシヴァは、一人の人間の下へと近寄っていく。



「よし、まずはお前からだ」


 ゴブリンによって床に押さえつけられているその人間。シヴァはその人間の側でしゃがみ込むと、男の顔をべたべたと触りながら覗き込む。


 男はその人間のものとは思えない眼差しに、腹の底から恐怖心が湧き上がってくるのを覚えた。



「俺の言う事に正直に答えろよ。いいか?」


 シヴァの声に男はぶるぶると震え、何かを言おうとしてもその声が出ない。


「返事は?」


 そう言いながらシヴァは男の頬を平手で張った。


 その頬を打った音がオフィス内に響き、他の者にもその恐怖心が伝播するのだった。


「ああっ!! うぐぅっ。うぅ…」


 シヴァの平手打ちに歯が折れてしまい、男は口から血を流して呻き声を上げる。


「返事!」


「は、はいっ!」


「よーし。嘘ついたら即殺すし喋らなくても殺すからな。返事!」


「はいっ!!」


 男の振り絞るような声を聞き、シヴァは満足そうに頷いた。



「じゃあまずは最初の質問だ。ここにチョウって奴はいるか?」


「い、いません!」


「ふん…。本当か? 嘘じゃないだろうな?」


「う、嘘じゃありませんっ!」


「ふーん、じゃあそのチョウは何処にいるんだ?」


「わ、わかりません…」


「ん? 何か口籠ってないか? 本当は知ってんじゃないだろうな? 嘘ついたら殺すよ?」


「し、知りません! 本当です!」


 その答えにシヴァは訝しんで男の眼球を覗き込む。


 そのぎろりとした目つきに男は目を逸らしそうになるのだが、殺されるかもしれないという恐怖心から必死にそれを堪えるのだった。



「何も知らねぇなお前。それで、そのチョウってのはどんな奴なんだ?」


 その質問が出ると男は目に見えて動揺した。


 目は泳ぎ、声が震え、いかにも何かを知っている様子が見て取れた。


 そして。


「そ、それは……、えと……、あがっ!!」


 男が言い淀みを見せた瞬間、シヴァは男の首に手刀を突き刺した。



「だから喋らなくても殺すって言ったろ」


 そしてシヴァはその突き刺した手をぐりぐりと動かして、男の首の中を掻きまわす。



「あが……、かはっ! ぐあ…ああ……」


 言葉も出ず、藻掻き苦しむ男。


 気道を潰されてしまった事で呼吸が出来なくなってしまい、必死に空気を取り込もうと身体を捩らせる。



「早く答えないからこうなるんだよ、なあ?」


「「ギギィ!」」


 ゴブリン達の返事にシヴァは「そうだろう」と満足気な顔で頷く。



「さて、こいつはもうダメだな。次はどいつがいいかな?」


 シヴァが男の喉に突き刺していた手を引き抜くと、男は血のあふれる首を押さえながら必死に呼吸をしようとする。


 しかし、その男もやがてぴくりとも動かなくなった。



 シヴァはそんな男を気に掛ける事も無く、その場に立ち上がって周りを見渡した。



 薄暗いオフィスの中。


 その光景は、その場にいた人間たちに恐怖心を植え付けるのに十分だった。


 それまで様々な声を上げていた人間たちの声はその瞬間ぴたりと止んで、オフィス内はしんと静まり返ったのである。


 先程まで抵抗していた者も、そうで無い者も、皆一様に声を殺し冷たい汗を流していた。



 その緊張感を生み出した本人であるシヴァは、次の獲物へと歩を進める。


「次は誰にしようかなぁ」


 一歩、また一歩と、シヴァが歩く度にその場の緊張感はさらに増していく。


 ゆっくり、ゆっくりと歩き。



 そしてある男の前で立ち止まった。



「お前がいいかな?」


「…………」


 ゴブリンに押さえつけられたままの姿のその男。


 男は無言のまま俯き、シヴァを見ようとはしない。



「んん? 何も言わないな。死にたいのかな?」


 少しの沈黙の後、男はぼそりと呟く。


「……こ、殺せ。…がっ!!」


 男がそう言った瞬間、シヴァは男の頭を踏み潰した。



 それを見ていた他の人間たちは騒然となる。


「いいかお前ら、こういう余計な事を喋るのも殺すからな」


 何も言わず殺せと言うような人間は得てして人望が高い。こういう人間は下手に甚振ると周囲の人間に反発心が目覚めてしまう。なのでこういう人間はあっさりと殺してその周囲の人間から戦意を削いだ方が良いと、シヴァは転移する前の世界で学んでいたのだ。



「は、原田さん……」

「原田さんが……」


「おい、お前は何なんだ! こんな事してただで――」


 急に一人の男が叫び出したが、シヴァはそれが言い終わる前に男の頭を蹴り飛ばした。


「ったく、余計な事を喋るなって言ってるだろ」



 蹴り飛ばされた頭がオフィスの床に転がった。


 しかし、このオフィス内の人間はもうそれには反応しない。


 逆らう事が即死に繋がると理解した為に、もう無駄な希望を持つ事をやめたのである。



「き、訊きたい事なら俺が答える! だからこれ以上はもう皆に危害を加えないでくれ…」


 そう言って一人の男が自ら申し出てきた。


 十分に脅しが効いたのか、その男の表情からは反抗しようという気概は窺えない。それを見たシヴァはにやりとほくそ笑んだ。


「ふーん、お前がねぇ。じゃあ、まずはお前からにしよう。ここからは個別に訊いていくからな、他の奴を廊下に出させろ」



「「ギギッ!!」」



 シヴァから指示が出ると、ゴブリン達は生き残っている人間たちそれぞれ数匹で持ち上げる。


 その際に人間たちに特に抵抗は無い。抵抗すれば殺されるかもしれないという恐怖が、人間たちを大人しくさせていたのである。


 ゴブリン達は素早く人間たちを部屋の外へ出し、そしてその部屋に残るのはシヴァとその男の二人だけとなった。



「さてと、もう俺が訊きたいことは分かってるだろ? チョウってやつについて知ってるだけ話せ」


「そ、そんな事を訊いてどうする?」


「お前がそれを知る必要はない。つぎ余計な事喋ったら殺すぞ」


 男はゴクリと生唾を飲む。


「ちょ、張さんの事だったな。実は張さんが何処にいるかは誰も知らないんだ。あの人は拠点を持たずに転々としていて、ここにもあまり顔を出さない。俺も数えるほどしか見た事が無いんだ」


「ああ? どういう事だ、ここにいるって聞いたんだがな?」


「ここは張さんの表の仕事を受け持ってる所だからだろう。逆にここくらいしか特定できる場所が無いんだ」


 男がそう言うと、シヴァは舌打ちをする。


「くそ、面倒だな。んで、チョウってのはどんな奴なんだ?」


「表向きには慈善事業家という事になっていて、その表の顔のお陰で日本政府から補助金も出ている。しかしその裏では人材ブローカーだけじゃなく、もっとあくどい事もやってるらしい」


「らしいって何だよ?」


「いや、詳しくは知らないんだ。あの人は用心深いらしく自分の情報は他に洩らさないらしいから」



「ふーん。で、他に情報は?」


 どうでもいい情報だったのか、シヴァはそれにはあまり興味を示さない。


「知ってる事はこれでほぼ全てだ。俺たちは末端の末端だから、あの人を追えるような情報は知らされてないんだ。俺たちは組織の尻尾みたいなものだから何かあっても組織は動かない。自分の身は自分で守れと言われて拳銃を各自一丁ずつ支給されてるだけなんだよ」


「かぁ、使えねぇ連中だな。何だよ無駄足かよ……。まあ、一応他の連中にも訊くけどな。情報に齟齬があったら、分かってるな?」


「お、俺は俺の知ってる事を全て話した…。他の連中も似たようなものだ」


「それを今から調べるんだよ。おい、次の奴を入れろ!」


 シヴァがそう声を掛けると、部屋の外にいるゴブリンが人間を一人連れてくる。



 そうして何人かに同じような質問をぶつけていくのだが、誰に何を訊いても目新しい情報は訊き出す事は出来なかった。


 やはり男の言う通り、この張という男はかなり用意周到にこういう事態に備えていたようなのだ。



「ちっ、本当にこいつら何も知らなかったな…」


 そう言いながらオフィス内に並べられた人間たちを睨みつける。


 その鋭い目つきに何も言えずに俯く人間たち。



「さて、こいつらはどうするかな? 巣に連れていって食料にでもするか」


「なっ!? そんな、喋ったら見逃してくれるんじゃ!?」


 一人の男が慌ててそう訊き返す。


「ああ? 俺そんな事言ったか? お前の勘違いだろそれ。ていうか、お前ら何の役にも立ってないし、せめて腹の足しくらいにはしないとな」


「そんなバカなっ!! それじゃ約束が――」


 男はさらにシヴァに対して食って掛かる。


 しかし、それを言い終わる前。


 シヴァが右腕を振り回したかと思うと、そのオフィス内に眩く光る稲光が発生したのである。



「「「ぅがあぁっ!!」」」



 それはほんの一瞬の出来事であった。


 シヴァの放った雷撃の為に、一瞬にして人間たちはバタバタと倒れていったのだ。



「よし、お前ら当たってないな。これは操るのが難しいからな。どうやら上手く人間だけに命中させられたみたいだ」


 床に倒れ込み、小刻みに震える人間たち。まだ少し意識のある者や完全に意識を失った者もいるが、皆総じて動けなくなっている。


 それを横目に、シヴァはゴブリン達の無事を確認する。



「じゃあ、こいつらが気を失っている間に運びだすぞ」


「「「ギギギ!」」」


 シヴァはその人間たちをオフィスから運び出すように指示を出す。


 するとゴブリン達は指示された通り手際よく、いくらもしないうちに全ての人間を運び出した。



 そして。



 ゴブリンも人間もいなくなり、そのオフィス内にはシヴァ一人となった。



 その時である。



「やあ、憐れな小鬼よ。随分と楽しそうじゃないか」



 誰もいないはずの薄暗闇の中。



 その声は何処からともなく聞こえてきたのである。








   ☆







「はぁはぁ。今何階ですか?」


「七階よ…」


 修誠たちはビルの階段を懸命に上っていた。


 エレベーターでは扉が開く時に音が鳴るのでゴブリンに気付かれる恐れがある、そのために階段で上ろうという事にしたのだが、この十階建てのビルは最近デスクワークの多かった修誠には厳しかったようだ。


「もうちょっとですね…」


 ゴブリンがどこに居るか分からない事もあって、ずっと気配を窺いながら階段を上っている。それに加えて小声で話さなければならない故に通常時より疲労度も高くなる。


 さらに、ゴブリンの間近に迫っているという緊張感が、二人の体力を大幅に削っていた。



「それにしても、さっきの男はあれで良かったんですか?」


 さっきの男というのは、一階でシヴァによって気絶させられた男の事である。


 二人がビル内に入ったときも気絶した状態で寝転がっていた為、その男を表の通行人に病院に連れていくように頼んできたのだ。


「ここに救急車を呼べばすぐにゴブリンに気付かれるからね。あれはしょうがないよ」


「まあ、そうですね…」



 さらに黙々と階段を上る二人。


 現在の階数は九階、最上階は目前に迫っていた。



「階段で来たから、だいぶ時間がかかりましたね…。まだゴブリンはいるのでしょうか……?」


「そうね。窓が割られた最上階を目指してやってきたけど、やたら静かなのが気になるところね…」



 ビルの中が静かであったために、どうしても二人の気が抜け始めていた。


 しかし。


「最上階に着きましたね……」



 この最上階に入った瞬間、二人を覆っていた緩んだ気は一気に消し飛んだ。



 そしてそれと同時に。


 

 得も言われぬ恐怖心が襲ってきたのだった。





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