第12話 覚悟と喧噪
丈瑠の退院の日がやって来た。
あの日以来、あの少女は丈瑠の前に姿を現してはいない。最後に一言『僕はこれから小鬼たちに釘を刺しに行かないといけないんだ』という言葉を残して丈瑠の前から姿を消した。
あの夜の少女とのやり取りはまるで夢でも見ていたような出来事であったが、目の前のステータス画面がそれが現実であると物語っていた。
「丈瑠、あんたも早く準備をしなさい」
退院の為に荷物を纏める母親の横でステータス画面に目をやっていると、その声は飛んできた。
「あ、ああ」
ステータス画面を見ながら丈瑠はずっと考えていた。
この病院を出たら、全てが始まる。
何度見ても変わらないステータス画面の数値をずっと眺めていたのも、その為に気持ちを作り上げていた為である。
「そういや白石さん、見舞いに来るって言ってたけど。結局来なかったね……」
母は荷物を詰めながら、寂しげな口調でそう言った。
やはり楓の両親はまだ立ち直っていないようで、病院には一切顔を出していない。
「しょうがないよ…」
「時々、様子を見に家へ窺ってはいるんだけどね……」
自分の顔を見るのが辛いのだろう、と丈瑠は考えていた。
丈瑠の顔を見ればどうしても楓と繋げて考えてしまう。ひょっとしたら丈瑠に恨みの一言でも言ってしまうかもしれない。そんな風に思って病院には顔を出さなかったのだろう。
丈瑠はそう考えて、楓の両親に会うにはまだ時間が必要だと思っていた。
そう思っていた所に――
退院の準備も終わり、これから病室を出ようとしている時だった。
ドアをノックする音が静かな病室内に響いたのだ。
「どうぞ」
丈瑠の声から一拍置いて、そのドアはゆっくりと開けられた。
「遅くなってすみません。丈瑠君の具合はどうですか?」
それは丁度今話していた楓の両親だった。
申し訳なさそうな顔で病室に入ってきた楓の両親。その顔はやつれ、声に力も無く、おおよそ覇気というものが感じられない姿だった。
「まあ白石さん、どもわざわざすみません。もう宜しいんですか?」
丈瑠の母は、さっきまでが嘘のように明るい声を出す。
「ええ、いつまでも塞ぎ込んではいられませんので」
「そうですか、少し元気になられたようで本当に良かった。うちの主人もずっと心配してたんですよ」
「本当にご心配をおかけしまして……」
そうして挨拶を交わす楓の両親と丈瑠の母。
そんなやり取りが一段落つくと、楓の両親は丈瑠の方へと向き直る。
そして、包帯が巻かれた丈瑠の左手に目を遣ると、深々とその頭を下げたのだ。
「丈瑠君、すまない。か、楓の為にそんな怪我を……」
その声は、楓という名前を言う時に少しだけ震えた。
丈瑠はそれを聞いたときに、この両親がどんな想いでここに来たかを理解したのである。
「そ、そんな白石さん。謝らなきゃいけないのはこっちの方ですよ!」
頭を下げる二人に丈瑠の母は慌ててそれを止めに入った。
「いえ樋野さん、大事な息子さんに怪我をさせてしまいました。本当に申し訳ない……」
「白石さん、やめましょう。誰が悪いという話でもないですし」
「すいません、これだけ言っておきたかったものですから……」
そんな二人の遣り取りに、丈瑠は堪らなくなって割って入った。
「おじさん、おばさん。ごめんなさい、楓を守れませんでした」
今度は丈瑠がそう言って深々と頭を下げる。
「丈瑠……」
「丈瑠君…。君のせいじゃない。楓の為に思い悩んでくれるのは嬉しいけど、君が――」
丈瑠は手を翳してその楓の父の言葉を遮ると。
「おじさん、俺が必ず楓を連れ戻します。次は絶対に守ります」
そう宣言したのだった。
「え、連れ戻す…!? それはどういう?」
「おじさん、もう病室を出なきゃいけないんです。一緒に帰りましょう」
この時、楓の両親と交わした言葉のおかげで、丈瑠ははっきりと覚悟を決める事ができた。
自分がこの手で楓を救いだす。
丈瑠はこの日からその事だけを考えるようになるのだった。
☆
時は少し遡る。
楓がゴブリンによって攫われ、丈瑠が病院に運ばれてから数日が経った頃である。
警察官の目の前で女子高校生がゴブリンによって攫われ、男子高校生は重体の傷を負った。その事がマスコミによって報道されてから警察署にはクレームが殺到し、署員はそれに追われる日々となってしまったのだ。
何故一人で聴き取り捜査を行っていたのか。数人体制で捜査を行っていればこんな事にならなかったのではないか。拳銃を使用したのか。何故使用しなかったのか。そもそも警察の対策は万全だったのか。
ネット上、特にSNSはこの手の批判で埋め尽くされた。中には、こういう高校生を囮に使った捜査が横行していて、今回失敗してしまったが為にそれが露見してしまったのだという陰謀論までが飛び交ったのだ。
堪らず警察上層部も記者会見を行うのだが、世論はそれでは収まらない。
これだけ騒ぎになっているにも関わらず、マスコミはこの件に関して最初の報道以来だんまりを決め込んだ。その事がさらにネットを中心とした世論の不満を煽る形となったのだ。
「あーあ、誰かさんのお陰で皆がクレーム処理で手一杯だなぁ!」
喧噪を極める警察署内、それは特定の一人に向けられた嫌がらせのような言葉だった。
しわがれた声で喚き散らすその男、名を
「ただでさえゴブリンの対応で忙しいってのによぉ!」
こうして怒鳴り声を上げてはいるが、この男は先程から何もしていない。クレーム処理も行っているのは周りの者で、この男ではない。加えて言うなら、ゴブリン対策に関してもこの男は何もしていないのである。
指揮を執っているというのは名ばかりで、全てを現場に丸投げしてその実は上との中継ぎだけ。
この徒垣という男に対する現場の不満は募る一方だった。
「皆さん、すいません…」
榊修誠は周囲に詫びの言葉を述べる。
それに皆は何も答えないが、今回の原因が誰にあるかは理解していた。
そもそもこの人員を増やせない状態で無理な捜査ノルマを課したのはこの徒垣という男なのである。それゆえ捜査員は皆一人で回らざるを得なかったのだ。
恐らくあの場面に出くわしていれば、誰であっても同じ結果だっただろう。それはここにいる人間、徒垣以外の皆が理解している事だった。
「すいませんで済んだら警察はいらないってねぇ!」
この何もしない男、徒垣は口だけはよく働くようでこの先もずっと修誠への嫌味は続く。
そんな中、小声で修誠に声を掛ける存在がいた。
「榊君、あんまり気にしないようにね。徒垣さん、今日は特に機嫌が悪いみたいだから」
「森さん……」
その声の主というのは『
綺麗な切れ長の目をした和風美人といった風貌の真琴。その体格は警察官にしては華奢ではあるが、合気道二段の免状を持つ程の腕前(本人曰く合気柔術というらしい)である。その為か、体育会系の多い警察内ではあるが、真琴の性格は体育会系というよりも武道家という表現が相応しい。
「大丈夫ですよ森さん。慣れていますから」
「そう、それは良かった。だいぶ上からの風当たりが強いみたいで、その鬱憤をああして下の者にぶつけているんだよ。民間企業だったらパワハラだね」
「公務員でもパワハラだと思うんですが……」
真琴はよくこうしたフォローを他の後輩たちにもする。
サバサバした性格をした真琴なだけに何でも話しやすいという事もあって、森真琴の署内での後輩からの人気は高い。
「ははは、そうだね」
笑い事ではないと内心思う丈瑠であるが、その笑顔のお陰で何となく気が紛れている事を自覚していた。
「徒垣さんよりもネットの方が怖いですね。いつ自分の個人情報が晒されるかと冷や冷やしてますよ」
「ああ、最近はどこから情報が漏れるか分からないからね。幸いマスコミが大人しいから……」
いきなり真琴の言葉が止まった。
何かを言い淀んでいるようではあるが、真琴にしては珍しいと修誠は思うのだった。
「どうかしましたか?」
修誠がそう言うと、真琴はすっと顔を近づけてきて小声で話す。
「榊君、どこか空いている日はある? 君に聞いて欲しい話があってね、飲みながらでも付き合ってくれない?」
急に顔を寄せられて飲みに誘われたので、修誠は少しドキリとした。
しかし、直ぐにそんな訳はないかと思い直すのだった。
「えっ、ええと、そうですね。今週はずっとこんな感じでしょうから、来週でしたら…」
「わかった、じゃあ来週だね。楽しみにしておくよ」
「は、はい」
そんな訳はないのだが、少し期待をする修誠であるが。
そこに。
「ああ、いつまでこんな作業やんなきゃなんねぇんだよ!」
またあの怒鳴り声が聞こえてくるのであった。
☆
そして次の週。
「お疲れさま~」
「お疲れ様です」
そう言ってジョッキをカチリと鳴らして乾杯をする二人。
テーブルを挟んで向き合う修誠と真琴は、ぐいっと一口目のビールを喉に流し込んでお互いの労をねぎらった。
予ねてからの約束通りに飲みにとやってきた二人。
それは良いのだが。
そこは色気も何もない、大衆居酒屋である。
修誠の予想としては、もう少しムードのある拘りのお店とかを想像していた。少し楽しみにしていた事もあって何店かリサーチしていたのだが、付いて来いと言わんばかりに連れてこられたのがこの店だったのだ。
「ここは、森さんの行きつけか何かですか…?」
「ああ、ここの大将は父の友人でね、昔から知った仲なんだよ」
「なるほど、お父さんの…」
ジョッキを傾けながら周囲を見渡す修誠。
「何か言いたげだね。こんな店ばっかり来てるから色気が無いんだとか思ってない?」
「め、滅相もないっ。大変、趣があって良いんじゃないかと」
慌てて言い繕う修誠に、真琴はくすりと笑みをこぼした。
「この店は子供の頃からよく父に連れられて来た店でね、何か良い事があったときはいつもここの大将とお祝いをしたもんだよ」
「そうだったんですか。それを聞くと凄く味のある店に見えてきますね」
「それはボロいという意味かい?」
「えっ、い、いや、違いますよっ」
さらに慌てる修誠に真琴は無邪気な顔で笑い声を上げた。
そんな真琴に、何だか揶揄われたような気になる修誠はさっさと話題を変えようと試みる。
「そ、それよりも、森さんはお父さんと仲が良いみたいですね。何をされてる方なんですか?」
「あれ、知らない? 元は警察官だったんだけど、今は柔道の指導員をやってるよ。オリンピック選手のコーチなんかもしているんだよ」
「へぇ、凄いですね」
「うちの署にも指導に来ているんだけど、まさか知らなかったとはね」
「え、あ、そうだったんですか!? それは知りませんでした、すいません」
空回るように会話が噛み合わない、焦る修誠はジョッキの中のビールを一気に飲み干した。
「いや、別に構わないよ。それより、その父から聞いた話をしたいと思って今日は誘ったんだけどね」
真琴はここで少し周囲を見渡したあと、声のトーンを一つ下げて続きを話す。
「榊くん、この一連の騒ぎにマスコミが沈黙している理由は知ってる?」
「詳しくは知りませんけど、記者クラブ制度のせいですか?」
「そう、記者クラブ制度があるからマスコミは警察を叩くような報道はしない。ほんと腐った制度だと思うよ」
記者は、記者クラブに所属をしていないと公的機関への日常的な取材が不可能となる。
これによりルールに則った取材活動が保たれるという良い面もあるのだが、記者クラブには大手新聞やキー局でなければ所属できないなどの利権と問題点も多い。
警察においては記者クラブ専用のラウンジというものが存在し、記者たちはそこで警察からの一方的にネタを提供される状態となっているのだ。警察は記者クラブ以外にネタを提供しないし、記者会見も記者クラブ以外は参加できない。それ故、警察に対し批判的な報道は出来ないし、警察官個人に取材する事もできないのだ。
「まあそう思いますけど、警察にとっては良いんじゃないですか?」
「警察にとっては…ね。だけど、今日話したい問題はそこじゃないんだ。榊くんはマスコミの動きを変に思わない?」
「変…? どういう事ですか?」
ここで真琴はビールをぐいっと飲みほした。
そして、追加を注文を済ませた真琴がさらに話を続ける。
「これだけ騒ぎになるような事、普通だったらすぐに火消しが始まるよ。でももう一週間以上経っているのにマスコミはこの騒動に関する事を一切報道しようとしないんだよ」
「……確かに、言われてみれば変ですね」
確かにそうだと、修誠は俯き考え込む。
それは、今まであまり深くは考えてはこなかった事だったのだ。この一週間は皆にいらぬ業務を増やしてしまったと反省していた為というのもあるが、考えてみれば真琴の言う通りなのである。
「ネットでの根拠の無い誹謗中傷なんて、普通ならマスコミが率先して火消しをしないといけない所だよね。とくに警察に向かってるものだからマスコミとしても警察に恩を売っておきたいところだし」
「まあ、そうですね」
「そこで父に何気なしに訊ねてみたんだよ、父の昔の伝手で何か知らないかと思って。そしたら父が昔の同僚から聞いた話を聞かせてくれてね。まあ同僚とのエピソードが長かったから殆どは意味の無い内容だったけど…。その話の中から掻い摘んで要約すると、どうやらこれ警察が裏で糸を引いているらしいってのが噂になってるみたいなんだ」
そこまで言うと、真琴は新しくやってきたビールを手に取ってごくりと嚥下した。
「つまり、警察が火消しを止めてるって事ですか…? 警察がそんな事して何かメリットがあるんですか?」
「やっぱりそこが気になる所だね。しかも父はこんな話もしていたよ。この騒ぎはマスコミが火を点けていると」
真琴のその言葉に修誠は増々混乱する。
「んん? どういう事ですか? マスコミが陰で煽っているって事ですか? 一体何でそんな事を……?」
「父からはそこまで詳しい話は聞けなかったけど、ネットに書き込んで煽っている連中がいる、それがマスコミ関係者ではないかという事なんだ」
これに修誠は、腕を組んで思案する
「マスコミが煽っている……。うーん、……警察に対する、脅しとかですかね。普段は立場が弱いから意趣返しみたいな? 表立っては出来ないからネットを使って炎上させて警察を困らせたいとか……」
修誠は酒の入った頭を巡らせて思いついた事をを話すのだが、真琴はそんな修誠にくすりと笑みをこぼした。
「それこそメリットの無い話だよ。私も最初はそんな風に考えたけどね、マスコミが警察と関係を悪くしてもデメリットしかない。むしろ裏で連携していると見た方が自然だと思わない?」
「そういえば、警察が裏で火消しを止めてるって話でしたね。んー、何だろう……。森さんには何か心当たりがあるんですか?」
疑問を投げかける修誠に、真琴は彼の様子を窺うように少しの間を空ける。
「確証は無いけどね、一つ思い当たる事がある」
「何ですかそれは?」
喧噪に包まれる居酒屋の中、真琴は焦らすようにビールを呷る。
一口、二口と喉を鳴らし、そのジョッキをテーブルに置いた真琴は、さらに声のトーンを一つ落として話しだす。
「それは――」
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