第11話 謎の少女




 薄暗闇の向こう、そこにジワリと人影のようなものが浮き上がる。



 目の前に何か得体の知れない物が現れようとしているのだが、丈瑠の心は不思議と落ち着いていた。それはまるで旧知の人間にでも遭ったような、そんな気持ちを抱いていたのだ。


 やがてその人影が実体へと変わり、その姿を現わす。


 肌の色は白く透明で、色素の薄い色をした短い髪。幼く見える表情と、ある種独特な雰囲気を持った少女。


 年は丈瑠と変わらないくらいか一つ二つ年下といった感じで、少し変わったセーラー服のような物を着ている。



「君は…?」


 丈瑠は無意識にそう訊いていた。


「悲しいね、憐れな人の子よ。僕が癒してあげようか?」


 その声は先程聞いた声とは変わり、少女そのものの声だった。しかし、声が変わっても丈瑠には何故かその二つが同じものであるというのが分かった。



 少女は微笑を浮かべると、丈瑠に手を差し出してくる。


 その差し出された手を丈瑠は思わず取ろうとするが、寸前でそれを躊躇った。


「どうしたんだい、君の苦しみを取り除いてあげるよ?」


「き、君は何だ、どこから入ってきた!?」


 はっと我に返った丈瑠はその少女に誰何する。



「僕かい? 僕はどこにだって現れるよ。だって僕はこの世界そのものだからね」


「世界そのもの…? 何を言ってるんだよ君は……」


「んー、言い方を変えようか。僕はこの世界の理のようなものさ、君たち風に言えば神というやつだ」


「か、神……?」


 ごくりと、丈瑠の生唾を飲む音が鳴った。



 まるで信じられない、いや信じる方がどうかしているような事をその少女は言う。


 しかし丈瑠は、何故かその少女に嘘は無いという確信のようなものがあった。



「うむ、そう思ってくれて構わない。僕の事なんかよりも、今はまず君を癒す事の方が先決だね」


 少女はそう言うと、その手を丈瑠の耳元へと持っていく。


 丈瑠がボーっとした頭でその少女の事を見ていると、少女の顔が次第に近づいてきて――



「――!?」



 丈瑠とその唇を重ねたのである。



「んんっ!? ぷはっ! な、何するんだよ!?」


 丈瑠は慌てて少女から離れようとするが。


「まだ終わっておらぬ、じっとせよ」


 少女に頭をがっしりと持たれてしまい、逃げる事も出来なくなってしまった。



「んんん!」


 なぞる様に唇に舌を這わせ、その舌を無理やりに丈瑠の口内へと侵入させていく。そして口の中で暴れ回る様に、その舌が丈瑠の口内の隅々までを舐め回す。


 抗う事の出来ない丈瑠はその少女の為されるがままとなっていた。



 それは時間にして数分の間。


 丈瑠にしてみればかなりの長い時間それは続いたのだった。



「はぁはぁ……。な、何やってるんだよ…? 何でこんな事を!?」


「いやぁ少し盛り上がってしまったね。これは失敬」


 そう言いながら少女は何一つ反省などしていない顔で少し笑った。


「いや、失敬じゃないだろ。何でこんな事するんだよ」


「む? まだ体は楽にならぬか? しょうがないもう一回…」


「ま、待って! ……そういえば、酷かった吐き気が無くなってる…?」


 丈瑠は少女に言われて初めてそれに気が付いたのだった。


 あれだけ丈瑠を苦しめていたものが、まるで雲が晴れるようにすっきりと無くなってしまっていた。


 何が起こっているのか分からない丈瑠は、自分の身体を見遣ったあと少女を訝し気に眺めた。



 そんな丈瑠の様子に少女はにやりと笑う。


「どうだい? これが神の奇跡というものさ」


 神を名乗るその少女はそう言うと、腰に手を当て自慢げに鼻を鳴らした。



「神……。神様がこんな女の子だったなんて……」


「ああ、この姿は君に合わせただけだよ。実際の僕に物質的な実体は無いからね。もちろん性別も無いよ」


 明るい声でそう語る少女。


「そ、そう…」


 しかし、丈瑠の声はそんな少女とは対照的だった。


 先程まで何もかもに嫌気が差して死にたいとまで思っていた丈瑠に明るく振舞う事などできるはずも無く、深く沈んだ声だがそれを絞り出すだけで精一杯だった。



「んー。何だか反応が薄いじゃないか、人の子よ。せっかく体を治してやったというのに」


「あ、えと…、ありがとうございます。お陰で随分と良くなった…みたいです……」


「いや、別に恩に着せようという訳ではないのだ。君があまりに暗いのでな、つい…あ、ファーストキスというやつであったか? それはすまん事をしたな」


「いえ…。そういうのでは無いです……」


 やはり暗く俯く丈瑠に、少女は溜息を一つ吐く。



「せっかく暗い雰囲気を明るくしてやろうとしているのに、ノリの悪い少年だな君は」


「ごめんなさい…」



「ふむ…、まあ気持ちは分からなくはないよ。……愛する女子の事だろう?」


「……!? な、何でそれを…?」


「ふふ、表情が変わったね。まあこれでも一応神だからね、大体の事は把握しているのだよ」


「…か、神……。そ、そうか、神様なら。神様だったら、楓の事を知ってるんじゃ…!?」


 神ならばと、丈瑠はその少女に一縷の望みのようなものを期待した。


 神を名乗る少女が自分の目の前に姿を現したのだ、その理由が他にあるとも思えない。まるで物語のように都合の良い話ではあるが、今の丈瑠にはそんな事を気にしている余裕は無かった。


「お、教えて欲しい! 楓は、楓はあの後どうなった!? あのゴブリンに連れていかれて、つ、連れていかれて……。連れていかれた、その後は…!?」


 気が付けば丈瑠は少女の肩を掴んで詰め寄っていた。



「落ち着きたまえ人の子よ」


「あっ…。す、すみません」


「君の愛しいあの女子だがな。端的に言うと、あの娘はまだ生きている。暫くは死ぬという事はないだろう」


「そ、そうですか…。良かった、…良かったぁ」


 その少女の言葉に丈瑠は胸をなで下ろす。


 ずっと緊張していた全身からはふっと力が抜けてしまい、ベッドの上に座っている事も出来なくなるほどだった。



「それがそれほど良くは無いのだけどな……」


「……え?」


 ぼそりと呟かれたその少女の声、丈瑠はそれを聴きとれずに聞き返した。


「人の子よ、君はその娘を愛しているかね?」


「えっ!? いや、その……。まあ……、はい」


「そうか、人間のその感情は美しい。しかし美しいものほどその命は短いものだよ。打ち上げ花火のような一瞬の輝きと言ってもいい。特に人間の気持ちほど移ろいやすいものはないからね」


「えと、何の話を……?」


 要領を得ない話に、丈瑠は思わず口を挟んで少女に訊ねた。



「人間の愛情というのはかくも儚いものだという事さ。今の気持ちをあまり信じすぎると、いつの日か辛い想いをする事になるかもしれないよ。それでも君はその娘を本当に愛していると言えるかい?」


「そ、そんな事を訊かれても…。いや、そもそもこれは何の話なんですか!?」


 ここで少女は少し沈黙した。


 何を考えているのか、丈瑠の目をじっと見つめて何かを推し量っているようにも見えた。



 そして少女は、ゆっくりと口を開く。


「つまりはこういう事だよ。君はその愛しい娘がどのような姿に変わっても、そうして変わらずに愛する事が出来るのかいって事なんだ」


「どのような姿って……。え、楓は無事じゃないんですか? か、楓はどうなってるんですか!?」


 丈瑠は全身に汗が滲むほどの焦りを感じ、無意識に声を張り上げていた。



「すまないね、それは自分の目で確かめてくれとしか言えないんだ」


「な、何だよそれ…。意味深な事言わないでよ……。そ、そうだ。君は神様なんだろう? だったら何とかなるんじゃ? すぐにここに連れ戻す事とか……」


 少女の言いざまに焦る気持ちが抑えられなくなる丈瑠。


 しかし少女は首を横に振るだけだった。



「すまない人の子よ、僕はこの世界に物質的な干渉は出来ないんだ。それは君自身の手でやるしかないんだよ」


「俺の手で…。そんな、どうやって……?」


「だから訊いているんだよ、君は本当にその娘を愛しているのかいって」


 少女は全てを見透かすような瞳を丈瑠に対して向けてくる。


 まさに神の目と言っても良いその神気を持った瞳に、丈瑠は気圧されるように生唾を飲み。

 

「それが…、関係のある事なんですか?」


 絞り出すように声を出す。



「ここから先は君にとっては地獄かもしれない。そこに足を踏み入れる覚悟があるかい? その先に愛してもいない女だけが残ったとして、それで君は後悔をしないかい? 地獄を見ても愛を取るかこのまま引き下がって娘は諦めるか、今ここで選んで欲しいんだ」


 丈瑠はその少女の言葉に恐怖を感じながらも、望みがあるという事に光明を見いだしていた。


 そして、急に突き付けられた選択肢ではあるが、丈瑠の答えは既に決まっている。


「俺は……、そういうのはまだよく分からない。楓に対する気持ちも曖昧かもしれない。でも…、楓を守れなかった事を死ぬほど後悔していて……。楓がいなくなるのが凄い嫌で…。俺は楓を助けられるんだったら何をしても助けたいです」


 それを聞いた少女はくすりと口角を上げた。


「そうか、君ならそう言ってくれると思った。その気持ちを忘れないでくれよ。君の心が折れたら君もその娘も死んでしまうかもしれないからね」


「し、死ぬ……」


 その言葉に、丈瑠は背中に冷たい物を感じるのだった。



「さて、とは言ってもさっきも言った通り僕はこの世界に干渉は出来ない――」


「え、じゃあ……」


「まあ聞きたまえ。干渉は出来ないが、神が人に行う事と言えば一つだけだ。それが何かと言うと、つまりは奇跡を起こす事だよ」


「き、奇跡…?」


 少女は人差し指を立てて続きを話す。


「君に一つの奇跡を授けてあげよう。それを得れば君の努力次第であの小鬼たちを凌ぐ力が手に入ると思う」


「……思う? …絶対じゃないんですか?」


「いやあ、一匹やっかいなのがいてね。あれがこの先どれだけ強くなるか僕にも分からないんだ」


「は、はぁ…」


「そこの辺りも君の頑張り次第という事だよ。そんな事よりも君に授ける奇跡の事なんだが…。うむ、まず最初に見せたほうが早いね。人の子よ、自分の力を知りたいと強く念じてみてくれいないか」


「自分の力を……?」


「うむ、強く念じてくれ。慣れたらもっと簡単になるとは思うけどね」



 丈瑠は少女に言われた通りに強く念じてみる。


 すると丈瑠の目の前に、薄く光る文字のようなものが浮かび上がってきて丈瑠を驚かせた。


「な、何だこれ!?」


「あれ、君は知らないのかい? 分かり易いようにこの星のゲーム風にしてみたんだけど……。それは所謂ステータスってやつだよ」


「すてーたす? RPGとかの?」


 神の奇跡とやらに驚く丈瑠ではあるが、不思議とすんなりそれを受け入れていた。


「そうそう、なんだ知ってるじゃないか。じゃあ話は早いね。それはゲーム同様、君の力を数値化したものだよ。あ、そのステータスは君以外は見る事が出来ないから安心してくれて構わない」


 丈瑠は少女の話を聞きながら、そのステータスに目を通していく。


 浮き上がった数値を見ていくうちに、こういうのは楓のほうが得意だったなと自然に記憶が蘇ってくるのだった。



「レベル1なのか……」


「経験値を稼げばどんどんレベルは上がっていくよ。そこは君の頑張り次第だね」


「MPもあるけど魔法が使えるんですか?」


「そういう事だね。どんな魔法が使えるかはレベルが上がってのお楽しみさ。魔法の他にもスキルなどもあるけど、レベルが上がればその説明もステータス画面に出てくるよ」



 喜んで質問に答える少女、しかし丈瑠の気分はそれに相反するものだった。



「本当にゲームみたいだ…」


 これが画面の向こうの世界だったならゲームのように楽しめただろう。しかし今の丈瑠にはこのゲームのような設定を見れば見るほど、楓と遊んだゲームの事を思い出してしまうのだ。



「喜んでくれると思ったんだけど少し外したようだね」


「いえ、分かりやすくて良いです。それに、今は藁をもすがる気持ちだし……」


 やる気を見せる丈瑠ではあるが、その雰囲気は暗いままである。


 少女はそんな丈瑠の頭に手を置いた。


「この奇跡を使えば君はどこまでも強くなって小鬼たちから娘を取り戻す事も可能になる。藁はそのうち縄にもなろう、頑張ってくれ。こんな事しか出来なくてすまないね…」


「いえ、楓を救える力が持てるんです、感謝しています。ひょっとしたら楓はもうって思ってたから…」


「そうか…。よし、じゃあ君の方から質問は無いかい? 実はこっちからの説明はもう殆ど終わってしまってね」


「え、もう?」


「一般的なロールプレイングゲームの設定そのままだからね。説明の必要も無いだろう」


 RPGといえば基本的に敵を倒すことにより経験値を得てレベルを上げていき、強くなる事でボスキャラといわれる敵を倒していくのが一般的である。誰でも知っているような設定なだけに、敢えて説明する事も無いというわけだ。



 しかし、丈瑠にはずっと疑問に思っている事があった。


「じゃあ、一つ質問を。えと、経験値っていうのは何から得られるんですか? ゲームみたいにモンスターがそこらにいる訳じゃないし、ゴブリンっていっても何処にいるか分からないし…」


「ああ、そのことか。命のあるものだったら何でも構わないよ。経験値は対象の命を奪う事によって得られるんだ。それは君にとって危険であればあるほど高くなるからね」



「……え、命を奪う?」


 丈瑠は自分の耳を疑い、そう訊き返す。



「そうだよ。ゲームでもそうなってるだろ? 何なら人間の命でも構わないよ、人間はかなり高経験値に設定されてあるからね」


「ま、待ってよ。人なんて殺せるわけないじゃないか。いや、他の動物にしたって……」


「何だい、もう怖気づいたのかい? だから言っただろうこの先は地獄だって。君の覚悟はそんなものだったのかい?」


「い、いやでも、それにしたって生き物を殺せって……。神様がそんな事を言うなんて……」


 神がそんな事を言うとは信じられない、揶揄われているのでは? 


 と、丈瑠は疑念を抱くのだが、その少女の次の言葉に丈瑠は胸に釘を刺されたような衝撃を受ける。



「変な事を言うね。僕がいつ殺生をしてはいけないなんて言ったんだい? それは君たち人間が勝手に作ったルールだ、僕がそれに従う謂れは無いよ」


 平然とした顔でそう言い放つ少女を目の当たりにし、丈瑠の全身に怖気が走った。

 


「で、でも…。どこの世界だってそういうものじゃ……?」


「知らないよ。勝手に神を祀り上げて、勝手に神の言葉を誰かが作ったんだろう。まあ別に気にする事じゃない。生き物はいつかは死ぬんだ、それが早いか遅いかの違いなだけだよ」


「そ、そんな簡単に言わないでくれ! 大体、何でそんな設定にしたんだ、こんなの酷過ぎるだろ。そ、そうだよ、君が作った設定なんじゃないか。君が作ったんならどうにでもできるだろ。経験値を稼ぐのはもっと他の方法に変えてくれないか?」


「それがそうもいかない。一人の人間を理を超えて強くしようというんだ、それ相応の対価というものがいるんだよ。君たちの言葉で言うならエネルギー保存則というやつかな? 残念だけど命以外に見合う対価は無いんだ」


「そ、そんな……」



 薄暗い病室の中にずんと沈んだ空気が漂った。



 楓の命か、他者の命か。その選択は、まだ十七歳である丈瑠には重かったのだ。



 丈瑠は絶句し、ただ俯いた。


 決して軽く考えていた訳ではないが、まだまだ自分は甘かったのだと丈瑠は認識させられた。楓を救うためなら人間であっても殺す覚悟が必要だと、いま突き付けられたのである。


 自分にそれが出来るのか、丈瑠はそればかりを考える。


 楓の顔を思い浮かべながら……。




「やっぱり覚悟が緩んでしまったかい? どうする、引き返すなら今だよ。だけどその場合は君の愛しい娘は助けられないがね」



 少しの沈黙があった。



 その間、丈瑠の頭には少女の言葉が何度も駆け巡っていた。



 たしかに覚悟が緩みそうにはなった、しかしそれ以上に耐えられない事が丈瑠にはあった。




 そして…。




「……やります」



 丈瑠は静かにそう呟いた。





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