第13話 脳裏の記憶
「――それはね、ショックドクトリンというものよ」
喧噪の居酒屋の中、キリっとした顔を修誠へと向ける真琴。
綺麗なその顔に意表をつかれたのか、修誠はゴクリと喉を鳴らした。
「ショック…ドクトリン……?」
意味の分からない修誠は、ぽかんと口を開けて訊き返す。
「聞いた事がないかい? ショックドクトリンというのはカナダのジャーナリストが……、いや詳しい説明はいいか。要するに混乱に乗じて自分たちの都合の良いように仕組みを変えてしまおうという話だよ」
「それが、ショックドクトリンですか……」
いまいち理解はしていないという顔の修誠。
その顔を見てもう少し説明が必要だと思った真琴はさらに話す。
「んー、つまり。今みたいな騒ぎの起こっている時ってのは、人間は冷静な判断が出来なくなるんだよ。そうなると反論が出にくくなって、自分達の言い分が通りやすくなるって話だね」
「んん、増々分からなくなってきたんですが…。警察が何かやろうとしてるって事ですか? マスコミを使ってまで?」
「よくある話だよ。ある事件をマスコミに集中的に報道させて、さも最近になってそういう事件が増えたような印象を与える。そして時代に即した法律をという論調を作り上げ、気が付けば色々な機関団体が出来上がってそれに企業が付随していくと。こうして利権と天下りの構造が出来上がっていくっていうね」
真琴はそう言いながら、やれやれと肩をすくめた。
「なるほど……、確かによくある話でしたね」
修誠は空笑いを浮かべ、溜息を一つ吐く。
「どうかな、榊君。今回もその匂いがプンプンしてこない?」
「んー、少し陰謀論っぽいですが、あり得そうな話ですね…。最初のゴブリン対策予算も結局は警察OBがやってる会社に殆どが流れましたからね」
「小耳に挟んだ話ではそのお金、上層部にかなりのキャッシュバックがあったっていうよ」
「かぁ~、嫌な話ですねぇ…」
二人はうんざりするような顔をして少し沈黙する。
そうこうしている間に注文した料理が次々と運ばれてくる。
テーブルの上には料理が出揃っていき、ようやく食卓は彩を見せ始めた。その料理の内容というのは大衆居酒屋なだけに下町的なものであるのだが、しかしその見た目に反して味は修誠を唸らせるものだった。
ちなみに、料理を持ってくる中年女性が修誠を見て冷やかすように真琴を揶揄っていたのだが、真琴はそれを軽く躱すように返していた。
修誠はそれを見て脈は無いなと覚るのだった。
二人はそんな下町的な料理に箸を付けながら、さっきの話の続きを始めた。
「それにしても、マスコミを使ってとなると結構大がかりですよね?」
「うん、そうだね」
二人はもぐもぐと料理を口に運びながら器用に話す。
「という事は、今回もそんな団体を作るのが目的なんですか?」
「そこまでは分からないけど、それにしては規模が小さい気がするんだよね。恐らく今回の狙いは予算の増額あたりじゃないかと思うんだよ」
「予算……。こっちはそのせいで針の筵状態だというのに、だんだん腹が立ってきますね」
「しかもその予算は中抜きに中抜きされて、私たちの所に回ってくるのは極わずかというのがいつものパターンだからね」
そう言って、真琴は呆れた様子を箸を振るような仕草で表現した。
「なんだか仕事を変えたくなってきますね……」
「まあまあ、何処行ったって同じようなもんだよ」
肩を落とす修誠、そんな彼に真琴は明るい声を掛ける。
サバサバした性格の真琴は、あまり落ち込む事が無い。こういった話も割と明るく笑い話程度にするのである。修誠はそんな彼女を羨ましく思うのだった。
「それにしてもその予算、今度は何に使うんですかね。前の監視システムはバラエティコメンテーターに酷評されてたじゃないですか」
「そこだよ。今まであまり成果が上がらなかった上での追加予算だからね、恐らく対策班の再編成くらいはあるはずよ」
「ああ、それは良いですね。上手くいけばゴブリン捜査から抜けられる」
「あれ、やる気無いねぇ。残念だけど、ゴブリンに縁のある榊君が外れる事は無いと思うけどね」
「ええぇ、そんな……。縁があるって二回エンカウントしただけじゃないですか。出来ればもう遭いたく無いんですが…」
「何を言ってるんだ、それでも警察官かね君は」
真琴はびしっと突き出した指を修誠に向ける。
「そうは言いますけど、あの時ベストを着て無かったら死んでましたからね。アバラのひび程度で済んだのが奇跡ですよ」
「大丈夫大丈夫、アバラは折れる為にあるって私の師匠が言ってたよ」
「その人の弟子にだけはなりたくないですね……」
修誠の反応に真琴はケラケラと笑った。
揶揄われているのか酔いが回ってきているのか、真琴は何やら上機嫌となっていく。
「まあでも、一番ゴブリンを間近に見た人間だからね。外れることは許されないだろうね」
「はぁ…。間近に見たと言っても、どっちも何も出来ずにやられただけなんですが……」
店中に聞こえるのではないかと思うほどの深い溜息が、修誠の全身から漏れた。
「いやいや、私は榊君に期待しているんだよ。君は何かを持っているとね」
「………」
「ちょっと暫く榊君を観察しようか、なんて思ってるほどだよ。だから私とバディを組んで――」
「森さん……。ひょっとしてゴブリンと戦いたいんですか?」
「うっ…」
図星を突かれたようで、真琴は胸を押さえて苦しむ仕草をする。
「僕といてももうゴブリンには遭いませんよ?」
「二度あることは三度あるって言うじゃない?」
「三度も遭いたくないですよっ。だからこのゴブリン対策班から抜けたいのに!」
「まあそう言わずに。私もそのゴブリンを一度この目で見てみたいんだよ」
まるで子供のような事を言いだす真琴。
「何を言ってるんですか、そんな軽い気持ちでいると殺されますよ! 僕が二回も生き残れたのだって奇跡的な事なんですから!」
修誠はそんな真琴に思わず声を張ってしまった。
その声に驚いた周囲の客の視線が二人に集中し、修誠は少し恥ずかしそうに声のトーンを再び落とす。
「とにかく、僕は二度とご免なんですよ」
「いやいや、君は運が良いよ。たぶん次も大丈夫だ、なんせ私が守るからね」
「まあ男前って、いやそうじゃなくて! 何であんな化け物と戦いたがるんですか、警察だって被害者は沢山出てるんですよ」
「武道家の性というやつだね。強そうな相手とは一度手合わせしてみたくなるんだよ」
「どこの戦闘民族ですか……。そんな事、命がけでやるもんじゃないですよ。まったく……」
修誠は自分とはかなり考え方の違う真琴に深く溜息を漏らした。
「どうせ最後は特殊部隊なりがゴブリンの巣に突入して殲滅するって感じでしょ。それだと私たちの出番が無いのよね」
「出番が無いのは大いに結構じゃないですか。何ならこのままずっと出番無しでいいですよ」
「だいたい銃を使うのとか卑怯だと思うんだよね。どんな敵が来ようともその洗練された技を叩き込んでこその武道というものでしょ」
「何を言ってるんですか……」
「あ、分かってないね。そもそも合気の基本は――」
この後、暫く真琴の格闘談義が続く。
ゴブリンの話をしていたはずなのに、いつの間にやら伝説の格闘家の話にまでなっていた。
修誠にとってはあまり興味の無い話ではあったが、そのお陰で久しぶりにゴブリンを忘れさせてくれる一時となった。
少し心の安らぐのを感じた修誠は、何だかんだで元気づけてくれたのかなと思うのだった。
☆
「すいません、ご馳走になってしまって」
「いいって、いいって。私が誘ったんだし、私の方が先輩だしね」
食事を終えた修誠と真琴は店先にてお約束な遣り取りをしている。
修誠としては先に会計を済ませて『もう払いましたよ』と言うつもりだったのだが、真琴に先を越されてしまったのである。
酔いが回ったように話を脱線させていた真琴だったが、意外と頭ははっきりしているようだった。
「たまにはお酒を飲むのも良いですね。だいぶ気分が晴れましたよ」
「そうかい? それは良かった、最近はずっと暗い顔をしていたからね」
「ああ、やっぱり。僕を励まそうと誘ってくれたんですね」
「え? ああ、そうそう。そうだね。優しい先輩としては当然の事だよ」
「……違うんすね」
良い先輩だと少しでも思った自分を戒める修誠だった。
「じゃあ…、僕は電車なので途中まで送りますよ」
溜息混じりに肩を落とし、修誠はさっさとお開きにしようとする。
しかし。
「ん? 何を帰ろうとしてるんだい? もう一軒行くに決まってるじゃない」
真琴は、これからが本番だと言わんばかりに目を輝かせる。
「え、明日早いんですけど――」
――そんな遣り取りを真琴としているその時だった。
修誠の視界の端に見覚えのある姿が飛び込んできたのである。
心臓がドクンと一つ高鳴った。
そしてその後、これ以上無いくらいに早鐘を打つ。
一瞬だけ、たった一瞬だけ捉えたその姿。それは忘れたくても忘れられぬ、修誠の記憶に深く刻まれたもの。
まだはっきりとその姿を見たわけでは無いのだが、修誠には何故か確信のような物を感じていた。その者の放つ雰囲気のようなものが、修誠の一月前の記憶を呼び覚ますのである。
修誠は迂闊にそちらには顔を向けない。
自分自身に落ち着くように心のなかで言い聞かせながら、修誠は懐からスマホを取り出した。
そして、その者がいるであろうと思われる方向に向けてカメラを起動する。
そのスマホの画面に映るのは、ネオンが煌めく歓楽街を行き来する人々。
呑気に笑う人々がスマホの画面に流れていくが、修誠の目的はそこではない。
そうして暫くスマホの画面に注視しながら指で拡大縮小を繰り返しているうちに、ようやくその姿を捉える事が出来た。
(こ、こいつだ!)
「……榊君、どうしたの? 急に静かになって」
「しっ! います。僕の左斜め後方です」
修誠は真琴の耳元で声を殺すようにそう囁く。
「いる…? 例の?」
「そうです。写真に撮りました、これです」
そう言って、修誠はスマホの画面を真琴へと見せた。
その画面に表示された写真には、ニット帽を目深にかぶったやや長身の男が映り込んでいる。完全に人込みに溶け込み、それは一見すると人間と変わらないような姿である。しかし、修誠の目にはそれが何者かはっきりと判っていた。
人によく似ているがどこか違うその姿。がっしりとしたその体躯。その表情には人の物とは思えない狂気が窺える。
それは修誠が一月前に見た姿そのものであった。
その者とはそう、シヴァである。
一月前に一度見ただけの姿であるが、それはゴブリンの中でも一際目立っていた個体。今も修誠の脳裏にはっきりと記憶している、去り際に笑みを見せたあのシヴァの顔。
そのシヴァの姿が今まさにスマホの画面の中に存在しているのだ。
「奴らは耳が良いのでなるべく声は殺してください。あと、なるべくなら直接は見ない方が良いです、野生動物のように視線に敏感かもしれません」
「わ、わかった……」
修誠はさらにスマホをあちらこちらへと動かして、画面を通して周囲を見渡した。ゴブリンといえば群れで行動するというイメージがあった為である。
必ず他にも仲間がいると修誠はそう睨んだのだ。
しかし。
「……他は、見当たりませんね。単体でしょうか…?」
他のゴブリンの姿はない。
こんな所にゴブリンがいれば目立つはずなので当然ともいえるのだが、修誠は妙に納得のいかない気持ちになっていた。
「んー。よし、後をつけよう。行くよ榊君」
慎重な修誠とは違った反応を見せる真琴。
大胆不敵といっても良いが、真琴の場合は主に好奇心が先立っているように修誠には感じられた。
「え、ちょっと待ってください! 署に連絡するのが先でしょ」
「いや、まだ早い。どこに行くのか確認してからだよ。警察が大規模に動いて気取られたらどうするの」
真琴の言う事にも一理ある。
しかしシヴァが相手でもそれでいいのか、修誠は判断に迷う。
「い、いや、あいつは駄目です! あいつですよ火の球を投げつけてきたのはっ、しかも今は二人とも丸腰ですし」
「大丈夫、十分に距離はとるから。それより早くしないと対象を見失ってしまうよ」
「う…、わ、わかりました。じゃあ、くれぐれも慎重にお願いしますよ……」
「それ本当は私が言うセリフじゃないかな……。まあいいや、さあ早く行くよ」
「は、はい」
渋々ではあるが修誠はシヴァの後を追う事になった。
修誠は溜息を一つ吐く。
その溜息は、二度と遭いたくないと思っていた相手にこうもあっさりと遭遇してしまった為である。
やはり自分には何か縁のようなものがあるのかもしれないと彼はそう思うのだった。
そしてまたもう一つ、深い溜息を吐いた。
人ごみの中を練り歩くシヴァ。
周囲の人間はそれがゴブリンだとは誰も気が付いていない。
日本の街並みに溶け込むような服で身を包んでいる為、姿形は人間と殆ど変わらない。しかもニット帽を被る事によってその面貌も分かり辛くなっているのだから、気付けというほうが無理というものである。
そんなシヴァに気付けた修誠の観察眼は優れていると言えるのだが、修誠自身は気付けない方が良かったと心の中で強く思っていた。
「どこに向かってるんでしょう…?」
遠くにシヴァの姿を目にしながら、修誠は何となく思った疑問を吐露した。
「分からないけど…、この辺は警察の取り締まりの緩い地域なんだよね……」
「そうなんですか?」
「外国人の多い所でね、色々と厄介なんだよ」
「そ、そうですか……」
それを聞いて周囲を見渡す修誠。
街行く人は確かに国際色の豊かな顔ぶれである。恐らくこういった街では今尾行している対象のようなゴブリンがいても目立つ事はないだろう。ひょっとするならゴブリンが出ても通報がされない可能性もある。
(隠れるには打って付けの場所ということか……)
その後もシヴァはこの街を散策するような足取りでこの一帯を歩き回っていた。
それをかなり離れた所から見張る修誠は、その行動が不審であればあるほど不安感を募らせるのである。
一体何をしようとしているのか。何かするのを見てからでは何もかもが手遅れになるのではないのか。やはり署に連絡を入れてこの辺りに避難指示を出すべきなのではないか。
考えれば考えるほど、修誠の心臓は高鳴っていく。
汗が一筋頬を伝い、生唾を飲む。
修誠の緊張はこれ以上ないくらいに高まっていた。
そんな時――
「榊君、落ち着いて。今は対象だけに集中するの」
真琴が修誠の肩に手を置いてそう言葉を掛けてきた。
「は、はい…。分かってます」
言われた修誠は気持ちを切り替えるように頭を振る。
そして再びシヴァへと視線を移した。
相変わらず目的もなく歩き回っているように見えるシヴァ。何度か同じところを行ったり来たりもしている。
何かを探しているようにも見えるが、本当に目的など無いようにも見える。
ここで修誠にふとある疑念が湧き上がってきた。
「森さん…、もしかして奴に尾行が気付かれてるのでは……?」
シヴァの不審な行動からひょっとしたら自分達は罠に嵌められようとしているのでは、という考えが頭をもたげてきたのである。
「まだそこまでは分からないけど……。あっ…、対象が止まったよ」
シヴァはある雑居ビルの前でその足を止めた。
そしてその片腕を上げて何かをした後。
ゆっくりとそのビルの中へと入って行った。
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