第19話 報せ




『三名の死者を出した、ゴブリンによるNPO法人ぽんゆう会への襲撃事件から五日が経ち、現場には未だ多くの関係者や報道陣が――』



 病室のベッドの上にて、ぼーっとテレビを眺める真琴。


 死者三名を残し、忽然と姿を消した『ぽんゆう会』とやらの職員の行方について、世間では、というかテレビでは大騒ぎとなっている。マスコミは連日のように被害にあった職員を悲劇的に特集し、世論を煽ろうとする。しかしその一方で、負傷した警察官の事と現場に残された拳銃の事には一切触れようとはしない。


 そんなテレビの内容をどこか他人事のように真琴は見詰めていたのだった。



『だから私がこの番組で再三申し上げている通り、もっと政府がしっかりした対策を取るべきだと――』



 そんなコメンテーターの言葉を聞きながら、ギブスで固められた自分の右腕を見て溜息を吐く。


 医者の話では神経にかなりの損傷があったらしく、完全には元に戻らないらしい。まだ刃物ですっぱりと斬られたほうがましだったという事だ。それでも運が良ければ日常生活に支障が出ないくらいには回復するかもしれないと、そう通告された。


 真琴にとって特に堪えたのが、武道や格闘技などの激しく動くような競技は絶望的だという事だった。何せ真琴はそれが活かせる仕事として警察官を選んだのだから、そのショックは甚だ大きかったのだ。



『近くの小学校では休校にする所も出ているようで、子供を持つ親御さんは特に心配を――』



 病室の中はそんなテレビの音と真琴の溜息だけが鳴り続けている。


 そんな中。


 その暗く沈んだ空気を壊す音がやって来た。



 コンコンと病室のドアをノックする音。


 真琴はその音のする扉の方に目をやると、一拍置いてから「どうぞ」と招き入れた。



「森さん、調子はどうですか?」


 ドアが開き、そう言いながら顔を見せたのは修誠だった。


「ああ、榊君か。来てくれてありがとう。ちょうど退屈してた所だったんだ」


 さっきまで暗い顔をしていた真琴は、修誠の顔を見た瞬間にその表情を明るくさせた。


「ひょっとしたら事情聴取の最中かと思いましたけど、まだなんですか?」


 その真琴の笑顔に修誠の顔もやや綻んだ。


「午前中にやって来て色々訊かれたよ。あれは受ける側はあまり良い気分じゃないね」


「ですね。僕もあれ以来ずっと聴取されてますよ」



 入ってくるなり明るく話しかけてくる修誠に、真琴は椅子に座るように促す。



「そういや聞いたよ。榊君が私を助けてくれたんだってね、ありがとう」


「いえ、たまたま上手くいっただけですよ。礼なんて言われるほどの事は…」


「いやいや、勝負にたまたまなんて無いよ。あのゴブリンを相手に私を助け出すなんて、私の中の榊株がぐんぐん上昇中だよ」


「はは、何ですかそれ」


 本当に偶然が重なっただけだったのだが、それでは真琴が納得しないようなので修誠はそれ以上この事については何も言わなかった。



 少しの沈黙の後、修誠は口を開く。


「腕のほうはどうですか?」


「ああ、うん。完全には治らないみたいだけど、治療は順調だよ」


「そうですか……」


「あくまでも完全にはだからね。日常生活くらいは問題無く送れるようになるみたいだから私は一安心してるよ。まあ、これからは内勤に回される事になると思うけどね」


 そう言って真琴は修誠ににこりと笑顔を見せる。



「警察の応援がもっと早く来ていればこんな事になってなかったのに……」


「いや、仕方ないよ。どっちにしろ、私は勝負してみたいと思ってたからね。武道家たるもの勝負の結果は甘んじて受け入れないとだよ」

 

 真琴はあっけらかんとそう言った。


「そんな大きな怪我なのに……、森さんは随分と前向きなんですね」


 恐らく空元気なのだろう、それならそれに水を差すような事はしない方が良い。


 修誠は真琴を見ながらそう思うのだった。



「まあね、オプチミスティックが私の取り得だからね」


「おぷち……、何ですかそれ?」


「ググりたまえ」


 得意げな顔を見せる真琴。そこに落ち込んだ様子は欠片も感じない。


 修誠は改めて真琴の心の強さを感じていた。



「……と、とにかく。何かしてほしい事があったら言ってくださいよ。何でもしますから」


「ほほう、何でもと来たか。さらに榊株を上げてくるとは君はなかなかやるね」


「さっきから何なんですかそれは……?」


「ん? まあ、気にしない気にしない。それより何をしてもらおうか考えないとね」


「はは…、何でもは言い過ぎたかな……。あ、そうだ。森さんに始末書を持っていけって言われてたんですよ」


 修誠はそう言いながら自分の荷物の中から一枚の紙を取り出し、それを真琴に手渡した。


「うっ…! な、何で始末書!? 今それを言う!? 私、利き腕がこんななのに……」


「勝手な行動したからだそうです。リハビリに丁度良いだろうって言ってましたね」


「全然来なかったのは自分たちのくせに、あの人たちは鬼なの?」


「始末書ならまだ良いですよ、僕なんて一か月の謹慎ですからね」


「何で私たちだけ……、ぬぅぅ」


 

 なぜ修誠の方が処罰が大きいかというと、修誠がゴブリンに警察の内部情報を喋ったからである。


 あの時、修誠のスマホに着信を入れたのは警察だったのだが、修誠はそれを通話状態にしてずっと懐にしまっていた。本当なら警察の到着はもっと遅くなる予定だったのだが、修誠が内部情報を喋り始めたので警察は到着を早めるしかなかったのである。


 修誠の機転のお陰で警察の到着は早まったのだが、修誠自身はそこまで読んでやった訳ではない。何となくの思い付きが良い方向に転んだ、ただそれだけの事だったのだ。



「そういや、今回の事で森さんがあの時に言いかけてた事が何となく分かってきましたよ」


「私が言いかけた事?」


「ほら、僕が署に連絡しても繋がらなかったときです。森さんは何か心当たりがあるよう様子だったじゃないですか」


 修誠の言葉に真琴は「ああ」と一言だけ返す。



「つまり、こういう事じゃないですか? ……警察は事件を大きくしたかった」


「……恐らく、そんな所だろうね。実際、政府は今回の事件を受けて追加の予算を検討し始めたし」


「何人も負傷者が出てるっていうのに、そんな事より金ってわけですか……」


 自分でそう言って、修誠はふとシヴァに言われた事を思い出した。


『同胞の命より金か』と。



「まあしょうがない。それが組織ってもんだし、我々は黙って命令に従うだけの駒でしかないってわけだよ」


「はぁ…、やってられませんね……」


 修誠は深い溜息を一つ吐く。



「そうだね。ま、榊君が偉くなってこの組織を変えてくれる事を期待するよ」


「無理ですよ、僕キャリアじゃないし…」


 ここで修誠ははっとする。


 見舞いに来たのにいつの間にか暗い話になってしまっていたと。


 危うく自分がここに来た目的を忘れかけていた修誠は、話題を変えようと自分の持ってきた荷物を手に取った。



「そうだ森さん、お見舞いにこれを持ってきてたのを忘れてましたよ」


「お、何を持ってきてくれたのかな?」


「じゃーん、プリンです。最近、駅前にできたお店のですよ」


 そう言って差し出されたプリンに真琴の目は輝きだした。


「お、おお! プリン!!」


「前にプリンが大好物だって言ってたから並んで買ってきましたよ。今食べます?」


「食べる食べる! いやぁ素晴らしい! 修誠株の爆上がりが止まらないよ!」


「ははは、それは良かった」


 修誠は真琴の喜ぶ顔を見ながら、その持ってきたプリンを包みから取り出していく。


 スプーンを用意してそのプリンを真琴に渡そうとすると。



「あーん」


 真琴は口を大きく開けてそう言った。



「ん? 何ですか?」


 修誠は意味が分からず訊き返してしまった。


「ちょっとちょっと、君には私のこの腕が見えないのかい? 利き腕がこれじゃ食べれないでしょ。だから、あーん」


「ひ、左手でも食べれるんじゃ……?」


「無理だね。私は左手が凄い不器用だからきっと布団に溢しちゃうよ。それに、何でもするって言ったのは修誠君だからね。さぁ早く、あーん」


 真琴は目を閉じて口を開け、修誠の手づから食べたいと強請る。



 その姿は美人顔の真琴からは想像できないほど可愛らしく、それを見た修誠は目に見えるほどの動揺をしてしまった。



「ま、まじですか…? しょ、しょうがないですね。じゃあ……」



 いつもの真琴らしからぬその行動に、不意を突かれてしまった修誠の心臓は少し高鳴る。



 スプーンでプリンを掬い、それを真琴の口まで運んでいく。


 たったそれだけの動作に妙な緊張を覚える修誠。



 そして、そのスプーンが真琴の口まであと僅かという所まで来たその時だった。



 点けっ放しだったテレビから思いがけない言葉が飛び込んでくる。



『たった今速報が入りました。警察がゴブリンを捕獲したという第一報です。繰り返します。警察がゴブリンを捕獲したという速報が入ってまいりました』



 テレビの中からは慌ただしく速報を知らせるアナウンサーの声。



 その声に、修誠と真琴は自分の耳を疑うのだった。









  ☆









 そこはシヴァたちゴブリンが根城としている廃ビル。



 徐々に大所帯となりつつある彼らにはそのビルが段々と手狭になってきていた。


 広かった部屋も、その数と共に窮屈となり、そこいらから聞こえてくるゴブリンの声にさすがに自分達の存在を隠しきれなくなっていた。


 そろそろ場所をもっと広い所に移すか、それとも群れを分散させるかという事を検討する時期に来ていた。



「シヴァはどう思う?」


 族長はその意見をシヴァに訊ねた。


「はい、やはり群れの分散でしょう。ここより大きい所が都合よく見つかるとは思えませんし」


「ふぅむ、そうなると編成を急がねばならぬな…」


 族長は顎に手を当てて考え込んだ。


 その考え込む姿を、シヴァは期待しながら見詰めていた。これは上手くすれば自分の群れを持てるかもしれない、シヴァはそのチャンスに胸を膨らませていたのだった。



「それにしても、我が群れがこれほど大きくなってくるとはな……」


「はい、こちらの世界に来た事がむしろ良かったようです」


「ふっふ、そうだな…。シヴァ、これからは何かと大変になる。お前には全員を指揮するためにもワシの側でしっかりと働いてもらわねばな」


「うっ…。は、はい」


 シヴァの期待は一瞬にして砕かれてしまったのだった。



 と、シヴァと族長がそんな話をしている時だった。



「族長…、シヴァ…。例の物が手に入った……」


 ムトがそう言って話に割り込んできた。



「例の物って、あれか?」


 シヴァの問いにムトは黙って首を縦に振る。


「シヴァよ、例の物とは?」


「族長も一緒に参りましょう。良い物ですよ」



 シヴァのその言葉に促され、三者はその例の物があるという部屋まで移動する。



 物資調達に出ていたゴブリンが手に入れてきたもの。


 それはその部屋に入った瞬間にその目に飛び込んでくる。



「おお、これがテレビというものか」


 その声を上げたのは族長だった。



 そう、それはテレビである。


 この群れの食事係である人間『通称ポチ』の持っているスマホから色々と情報は得ているシヴァたちであるが、その中でもテレビの存在はシヴァたちの好奇心を大きく刺激していた。



「どれ、さっそく点けてみようか……。おお、やっぱり大きい画面は違うな」


 さっそくテレビを点けたシヴァは感嘆の声を上げる。


 これまではスマホの小さい画面でネット動画を見るくらいだったので、テレビの大画面と高画質には感動すら覚えるのだった。



「ふむ、これは凄いな…」


「実物が…動いているみたいだ……」



 それぞれが驚きの声を上げ、そのテレビに夢中になっていた。



 そんな時の事。


 テレビに映っているアナウンサーが慌てた口調で視聴者にこう告げた。



『たった今速報が入りました。警察がゴブリンを捕獲したという第一報です。繰り返します。警察がゴブリンを捕獲したという速報が入ってまいりました』



 それはゴブリンが捕獲されたという報せ。


「なっ!?」


「捕獲…!? シヴァ、これは本当か?」


「わ…、分かりません。デマという可能性も…」


 その報せに戸惑いを隠せないシヴァたち。



「確認…してくる……」



 そして、ムトがそれを確認しようと部屋を出ようとしたその時、さらに第二報が入る。



『捕獲したゴブリンに関しまして新しい情報が入って参りました。さきほど警察により捕獲されたゴブリンの映像が公開されたとのことです。繰り返します――』




 そのアナウンサーの声に三者の視線はテレビの画面へと集中する。




 そしてそのテレビの画面の中には。



 ケージの中に囚われる、一匹のゴブリンの姿が映し出されていた。




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