第18話 遅い到着
「け、警察の情報だって……?」
シヴァが訊きたい事というのは、警察に関する情報だった。
この世界において自分達ゴブリンを脅かす存在というのは、今のところ警察だけである。それ故シヴァは、敵の内情を知っておきたいと思っていた。その矢先の事、こうして自分が警察だと名乗る人間が現れたのだ。
これを利用しない手は無いと、シヴァはそう思ったのである。
「そうだ、早く話せ」
「ま、待ってくれ。範囲が広すぎる。こっちは何を知りたいのか分からないんだ。もっと質問を絞ってくれないと何を話したら良いか分からない」
なるべく時間を稼ぎたい修誠は、何とか会話を引き延ばそうとする。しかし下手な事を喋ってしまえば真琴をさらに傷つけてしまう。
その狭間の所で修誠は葛藤するのであった。
「んん? ちっ、面倒くせぇな。あー、そうだな。じゃあ、まずは俺たちの事だ。俺たちの事をどれくらい把握してる?」
シヴァの表情は少し不機嫌なものになったが何かをするという事は無かった。
その事に修誠はほっと胸をなで下ろす。
「……お前たち、ゴブリンの事だな。正直に言うと、何も分かっていないってのが現状だ……」
「おい、正直に言えよ?」
シヴァは脅すように真琴を修誠の目の前に突き出してくる。
現在の真琴は腕の骨を砕かれた激痛で気を失ってしまい、力無くぐったりと項垂れている。そんな姿に修誠の緊張感は一層増した。
「ほ、本当だ。戦闘になったあのコンビニの十キロ圏内を中心に捜査をしていて、他は殆ど手を付けていない」
「ふん…、随分と限定的だな。何故だ、何か理由があるのか?」
「理由は…。事件現場の周辺だという事と、女性の誘拐が多発しているのもあの地域だという事。やはりこの二つが大きい」
「ほぉ…。んで他には?」
「ほ、ほか?」
「理由はそれだけじゃないだろ。ほら、早く言え」
「あ、ああ。…それが……」
「何だ、早く言えよ。この女がどうなっても良いのか?」
言い淀む修誠に、シヴァは真琴を突き出して先を促す。
「い、いや待ってくれっ。…実は、あの一帯に監視システムを作ってな。それでどうしてもその成果を上げたいらしくてあのエリアに拘ってるんだ。他でゴブリンを捕まえたって事になったらシステムが無駄になるっていうんで、エリア外を捜査してないんだよ」
「ははっ、何だそりゃっ、お前らバカなのか、ははは。おいおい、俺たちの警戒心を返せよ、はははは」
シヴァにはそれがよほど滑稽に見えたようで、腹を抱えて笑い出した。
「くっ…。こっちは全く笑えないんだが……」
そんなシヴァに憤る修誠ではあるが、それと同時に笑われるのも仕方ないと思う気持ちもあった。実際に修誠自身も、組織に対しては嘲笑する部分も多かったのだ。それを表には出せない自分には、目の前のシヴァが少し羨ましくもあった。
「それにしても増々分からなくなってくるな。これ程の文明を築いている人間が、片や自分で自分の首を絞める事もやるって、お前たちの頭の構造はどうなってんだ?」
「う…、それはこっちが知りたいくらいだ。上の連中はそれで金が入ってくるみたいだけどな……」
「へぇ、同胞の命よりも金が大事なのか。面白い連中だな、俺たちゴブリンには無い発想だ」
「…………」
痛いところをつかれた修誠は何も言葉が出てこなかった。
それが異常な事だという事に、改めて気付かされてしまったのだ。それは、いつの間にか考えないようにしていた事だった。あまりにもそんな話が多かったために慣れてしまっていたのか。
もしも警察官になったばかりの頃だったなら、これにもっと憤慨していたのではないだろうか…。
そんな事が沸々と頭をもたげるのだった。
「それじゃあお前たちは俺たちを真剣に討伐しようという気は無いのか?」
「少なくとも現場の警察官はみんな真剣だ。警察組織がどういうつもりかは知らないが……」
「ふむ、なるほど。魚は頭から腐るってやつだな…。これなら潰すのも楽かもしれないな……」
聞き取れるか聞き取れないかという声でシヴァはぼそりとそう呟いた。
「え…? おい、今何て言ったんだ?」
「おっと。お前はそんな事を知らなくていいんだよ。余計な事は喋るなって言ってるだろ」
「うっ…。すまん……」
シヴァは何かを企むようにほくそ笑む。
何やら上機嫌になったシヴァであるが、先程のように真琴に危害を加える事は無い様なので修誠は安堵した。
「やはり警察本人に訊くのが一番だな、なかなか役に立ってるぞお前」
「……そりゃどうも」
そのシヴァの言葉に修誠は渇いた笑みを浮かべた。
「それじゃあ他にも訊いていこうか。次は――」
それから暫くシヴァの質問が続いた。
警察の内部情報は出来るだけ洩らしたくない修誠であったが、そんな事が通じる相手では無かった。シヴァは少しでもはぐらかそうとすると鋭く突っ込んでくる。修誠もヘマをすれば真琴が何をされるか分からないので情報を隠す余裕など無かったのだった。
そしてシヴァの質問は多岐に渡った。警察の武器や組織図、手錠の仕組みなども興味深そうに修誠に訊ねていた。
しかし修誠のような末端の警察官では答えられる内容にも限界がある。そのためシヴァの好奇心を満足させるには至らなかったのだが、それでもシヴァは少しでも情報が得られた事自体には満足していた。
そうしてシヴァの質問に修誠が答えていた時である。
「ふむ、なかなか役に立ったぞ人間。もう少し話を聞きたい所だが、どうやらここまでのようだ」
シヴァはそう言うと修誠に背を向け、階段の方へとその視線を移す。
「え……?」
まだ状況を飲み込めていない修誠はそのシヴァの視線の先を追った。
そこはさっき修誠と真琴が上ってきた階段。修誠の目からはそこに何があるのか分からないが、シヴァはずっとそこを凝視しているのだ。
「おい、隠れてないで出て来いよ。お前らの臭いがこっちまでプンプン臭ってきてんだよ」
そうシヴァが呼び掛けると、それに呼応するように陰に隠れていたものが姿を現した。
それは数人の警察官。修誠の位置からでは何人いるのかは分からないが、恐らく修誠からは見えない所にも何人かはまだ隠れている。
(警察…! やっと来たのか!)
それは修誠が最初に連絡を入れてから一時間近くが経ってからの到着である。
その警官たちが、拳銃を構えてシヴァと対峙する。
「人質を解放しろ。お前はもう逃げられない」
銃口を突き付けながら、一人の警官がシヴァにそう勧告した。
「はは、相変わらず呑気な連中だな。そう言われて、はい分かりましたなんて言うと思うのかよ」
「繰り返す。人質を解放――」
「お前らこそ銃を下ろせ。こいつがどうなってもいいのか?」
そう言ってシヴァは真琴を持ち上げ、警官たちへと見せつける。
腕を持たれて力無くぶら下がる真琴、彼女の意識はまだ戻っていない。そんな真琴の姿を見た瞬間、警官たちに動揺が走った。
「おい、人質を放せ! さもないと撃つぞ!」
警察官は語気を荒げて脅してくるのだが、その気がない事はシヴァの目にも明らかだった。
「やってみろよ」
シヴァはにやりと口角を上げ、警官たちに向けて掌を翳す。
「お、おい。何かする気だぞ…」
「まずい、隠れろ!」
「総員退避ー!」
警官の中の誰かがそう叫ぶと、警官たちは後方の階段へとその身を隠そうする。
しかし。
「遅い」
シヴァはすかさず魔法を発動。
その掌に真空の刃、所謂かまいたちを発生させ、それが数瞬の内に警官たちを襲ったのだ。
「がぁっ!?」
パンッという音がしたかと思うと、警官の一人がその場に蹲った。
そしてその蹲った警官に一拍遅れてぼとりという音がする。
それを見た瞬間に警官たちの背筋が凍り付いた。
それは、シヴァのかまいたちによって切り飛ばされた、その警察官の手首であったのだ。
「ぐああああぁぁ!!」
「し、止血だ! 早く階下に退がらせて血を止めろ!」
急に騒然となる警官たち。
しかしパニックになるかと思われた警官たちだが、前面の警官二人はシヴァに突き付ける銃を下ろす気配は無い。負傷者を安全に退避させるためにもシヴァへの警戒は怠らないという事である。
その統率のとれた動きにシヴァは感心した。
「へぇ、確かに兵隊は優秀だ。でもまぁ、状況はたいして変わってないけどな」
そしてシヴァは、真琴を盾にしながら警官たちの方へと歩を進めだした。
一歩一歩ゆっくりと。
「おい、動くな! それ以上近づくと撃つぞ!」
警官たちはシヴァの動きに反応して威嚇をする。
しかしシヴァはその歩みを止めようとはしない。
真琴を盾にしている限り警官たちは撃てないと、シヴァはそう確信していたのである。
「撃てるもんなら撃ってみろよ」
さらにシヴァは警官たちに近づいていく。
その状況を後ろから見ていた修誠。
彼は、これを好機と見ていた。
現在シヴァは修誠に対して背を向けている。完全に修誠への注意が疎かになっている状態だ。今なら真琴を奪還できるのではないか、そんな考えが彼の頭を過ぎっていた。
(しかし、こいつらに不意打ちは効かない。どうすれば……)
「くっ…、人質がいなければ……」
「はは、ほら撃ってみろよ」
銃口を向けながらも何も出来ない警官たちにシヴァは尚も距離を詰めていく。
(――!!)
やはり警官たちは真琴を人質に取られているかぎり発砲する事はできない。シヴァもそれを分かっていて撃てないと高を括っている。
そんな両者を見ていた修誠の心臓が、ドクンと一つ大きく脈を打った。
(う、上手くいくかは分からないが……)
修誠は高鳴る心臓を押さえるように大きく息を吸い込む。
そして。
「俺たちに構わず撃て!!」
極度の緊張の走る中、修誠は思いっきり声を張り上げた。
その修誠の声に警官たちは銃を持つ手に力が入る。
「ちっ、余計な事を…」
シヴァは横目に修誠を見ながら舌打ちをした。
(よ、よし。これでこいつは前の警官にさらに注意を払わなければ――)
その時である。
強烈な発砲音がそのフロアに響き渡ったのだ。
シヴァの頬を掠めたその弾丸は、幸いにも真琴には当たらなかった。
しかし、狭い廊下という事もあってその音は反響し、強烈な音となってその場にいる者たちの鼓膜を直撃したのだ。
(ほ、本当に撃った…。いや、思わず撃ってしまったのか……? い、いや、今はそれどころじゃない。これを逃すともうチャンスは無い!)
修誠は意を決し、地面を蹴ってシヴァへと突進した。
実は修誠にそれほどの策があったわけではない。さっき真琴が技を仕掛けたとき、シヴァは最初だけその態勢を崩されかけた。つまり、意表を突かれると意外に脆いのではないかと当たりをつけただけなのである。
今はこの場にいる全員が先程の発砲音に驚いている状態。恐らくこのゴブリンも自分の事は意識の外にあるはずだと、そう考えた修誠は誰も動かないこの状況で一人シヴァに突撃を仕掛けたのだった。
そしてその修誠の読みは見事にはまる。
「なっ!?」
修誠はシヴァの腰辺り目掛けて思いっきり体当たりをした。
すると、先程は鉄のようにビクともしなかったシヴァの体が、いとも簡単にその場に転げたのだ。
修誠とシヴァ、それと真琴は絡まるように廊下の床へと倒れこむ。
そしてその拍子にシヴァの手から真琴が解放された。
「く、銃声のせいで聞こえにくくなってたか…!」
修誠はすかさず体を起こすとシヴァから解放された真琴を確認し、急いでその肩を抱き抱えてシヴァから距離を取ろうとする。
そんな修誠を掴まえようとシヴァは手を伸ばすのだが。
「へ、へへ、良過ぎる耳が仇となったな」
その修誠の言葉にシヴァの手はピタリと止まった。
「……計算ずくか。はは、やるじゃねぇか」
「人間を嘗めるなってんだ……」
実のところは修誠にとって嬉しい誤算が重なっただけだったのだが、シヴァが良いように勘違いしたため修誠はそれを利用する事にした。
そうしてシヴァが修誠に気を取られていると、今度は警官たちが動きだす。
拳銃を持つ手とは逆の手に警棒を装備し、音を立てないようにしながらシヴァへと距離を詰めていく。
その動きは当然だが修誠の視界にも入っていた。
「どうだ、森さんは返してもらったぞ。大人しく投降するなら今のうちだ」
その為、シヴァの気を出来るだけ自分に引き付けようと言葉を掛ける。
「はっ、人質を取り返したくらいでもう勝った気か?」
その言葉にシヴァも乗ってくる。
その間にも警官たちはシヴァの下へとどんどんと近づいてくる。
「いくらお前でも一人でこれだけの人数は分が悪いだろ……?」
それはほんの数メートルの事なのだが、修誠と警官たちの間に異様な緊張感が走る。
そしてもう目前へと迫ったとき。
「ははっ、それこそ嘗めるなって話だ。……お前らが何人いても同じなんだよ!!」
シヴァは振り向きながらそう叫び、警官たちに対しその手を振り回す。
その瞬間、警官たちに向けて眩しいほどの稲光が走った。
「「「ぐあああっ!!」」」
シヴァの雷撃を食らった警察官数名がその場に倒れ込んで体を震わせる。
「なっ…!?」
修誠も雷撃が当たらなかった警官たちも、何が起こったのか分からずにその場で茫然とその光景を見詰めていた。
「同じ手を何度も食うかよ。それにしてもだいぶ取りこぼしたな…、まだまだ命中度に課題が残るようだ。さて、もういいか……」
そう呟いた後、シヴァは修誠へと視線を移すと。
「おい人間、お前の名前は何だ?」
先程の光景をあんぐりと口を開けて眺めていた修誠にそう問うた。
「へっ!? さ、榊だ。榊修誠だ」
不意に名前を訊かれ、思わず正直に答える修誠。
「サカキか、俺はシヴァだ。何故かお前とは縁があるような気がする、その名前を覚えておいてやろう」
「…は? え、縁? 何を言ってるんだ…?」
意味が分からず訊き返す修誠だが、シヴァは口角を上げるだけでそれには答えない。
「サカキ、お前の情報提供の礼だ。今日はこのくらいで退いておいてやるよ」
シヴァはそう言った後「じゃあな」と言い残し、オフィスの中へとその姿を消していった。
「ま、待て…」
未だ混乱する警官たちを横目に、修誠はその後を追うようにしてオフィスの中へと入っていく。
物が散乱しているようだが、中は薄暗くて良くは見えない。
しかし。
シヴァの姿がもうそこには無い事は分かった。
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