第二章
第6話 警察官とその憂鬱
男は眠気の冷めない頭を無理やり起こし、一人で味気の無い朝食を摂る。
朝食といっても栄養補給ゼリーが二本だけ。
それを胃の中に流し込むだけの作業なのだが、男はその作業を毎日の朝食としているのだ。
食欲も無く味も感じない朝の一幕。
そんな男の眠気眼の先には賑やかな声の聞こえてくるテレビ番組。
報道番組なのかバラエティ番組なのかよく分からないが、とにかく出演者達は一様に楽し気な声を上げ、そうかと思いきや一様に深刻な声を出す。その画面の向こうにいる横並びな人たちを眺めながら、男は徐々に脳みそを起こしていくのである。
『一か月前に突如姿を現し、多くの死傷者を出したた謎の生物、通称ゴブリンは依然としてその行方が分かっておらず――』
そのテレビから流れてくる声が伝える通り、シヴァたちがこの世界にやってきて一か月が過ぎていた。
SNSに投稿された画像から、ファンタジー映画などに登場するゴブリンに似ているという事でそう呼ばれるようになったのだが、奇しくもこの世界にゴブリンの伝承が存在するのは単なる偶然だったのか。それは誰にも分からない。
『――今も尚相次ぐ女性の失踪事件に関して、警察はゴブリンとの関連性についても慎重に捜査を行っていくとのことです』
「関連があるに決まってるだろ。バカかこいつら」
男は一人でテレビに向かって悪態を吐く。
朝はいつもこうして機嫌の悪いこの男、名を『
職業は警察官、シヴァたちが一か月前にコンビニで対峙した警官隊の中の一人である。
偶々あの時に最前線にいたために今はゴブリン対策班に組み込まれているのだが、本人には全くやる気はない。それもそのはずで、ゴブリンによって警察官も沢山殺されているにもかかわらず、支給されている装備は『SAKURA』という五連発銃と防弾チョッキのみだった。
かなりの人間を殺した害獣生物に対してこれだけの装備というのは死ねと言っているに等しい。
テレビでは連日のようにゴブリンに殺された人間の冥福を祈っているが、警察官の命の心配をする者は誰もいない。むしろネットでは、いつまでも捕まえられない警察は無能だとまで言われる始末なのだ。
この一か月で、修誠の気持ちはとっくに折れていた。
この国の一方的な正義と、押しつけがましく甘ったるい理想主義に自分が犠牲者となっている事に我慢がならなかったのだ。
テレビもネットも自分勝手な自己満足に酔いしれているだけで、現場の苦労なんかよりも誰かを責め立てる事にしか興味が無い。そのしわ寄せは常に自分達のような底辺へと回ってくるのだと、修誠の苛立ちはこの一か月で積もりに積もっていた。
「けっ。陰で人を叩く事しか能のない連中はゴブリンに食われりゃいいんだよ」
こうして悪態を吐いているうちに徐々に眠気は覚めてくる。
しかし、頭はいつも靄がかかったように冴える事は無い。
まるで頭の中に鉛でも埋め込まれたように、重く沈んでいくのである。
『続いてはパンダの昼食ウナギかザリガニかのコーナーです――』
さっきまで暗い声を出していたテレビのアナウンサーが打って変わったように明るい声でそう言った。
「さて……」
修誠はそんなテレビを横目にそう呟くと、徐に立ち上がって朝の支度を始めた。
この支度が終われば、また自分は警察官になるために家を出なければならない。
毎朝そう考えては深い溜息を吐くのだった。
☆
「最初の現場から半径20キロ圏内での失踪が相次いでおりますが、ゴブリン達の行方は杳として知れない状況が続いております。このままの捜査を続けるよりも、捜査範囲を拡大すべきではとの声が現場からも上がっておりますが……」
ここはゴブリン対策会議の会議室。
狭い部屋に十数人の警官たちが机と椅子を並べてゴブリンに関する対策を練っている。その中には修誠の姿もあり、それぞれの捜査報告を黙って聞いていた。
そんな会議室の前方にあるホワイトボードの脇に、捜査報告を聞きながら偉そうに踏ん反り返って椅子に座る男が一人。三十台後半で中年体形のその男はいかにも機嫌が悪そうに眉間に皺を寄せ、報告をする男を睨みつける。
そして報告が終わるや否や男は周囲に聞こえるように大きな舌打ちをすると、しわがれた声を怒鳴るように発した。
「出来るわけないだろ! 捜査範囲を広げればそれだけ予算と人員がかかる。どこから持ってくんだよ、その人と金を! そんな事も分かんねぇのか!」
会議室に男の罵倒するの声が響き渡り、報告をした男はその罵倒にもじっと耐えている。
最近は毎日このような状況が続いていて、この会議に参加しているものはゴブリンを捜す事などよりもこの男の相手をしなければならないのが一番の苦痛となっていた。むしろゴブリンを捕まえない事によって、この男が上から叱責される事を願っている者も多数いる。
しかし、その鬱憤の捌け口が自分達に向かっている事もまた事実なのである。
こうして、会議室の雰囲気は日に日に険悪なものになっていくという悪循環を繰り返している。
「しかし監視カメラの網にも引っ掛かりませんし、今の範囲に絞っての捜査はもう限界かと…」
「そのカメラの網にも金がかかってんだよ! もうこれ以上の金は出せないし、何が何でも今の範囲で探し出せってのが上からの命令だ」
今回のこのゴブリン騒動を受け、国はゴブリン対策費として数十億円を投入した。
しかしその予算の殆どは、この一部地域限定の監視システムを構築する為の民間委託料に消えてしまった。それ故にゴブリン捕獲にはあくまでもこのシステムを役立てなければならないのであり、この方針以外の策はとれないのである。
そしてそのしわ寄せは、またもや現場へと回ってくるのだった。
「だいたい失踪事件はこのエリアで起こってるんだよ。お前たちが見落としてるから見つからんのだろうが。もう一回、一から洗い直せ!」
「……そう見せているだけという可能性も」
「あんな猿みたいな連中にそんな知恵があるわけねぇだろ! 自分達の失態を誤魔化そうとすんじゃねぇ!」
男はさらに一層大きな声を張り上げる。
その場にいるもの全員が、それはお前の事だろうと心の中で叫んだが。しかし、それを声に出す者はいない。
これが組織というものなのである。
「ほら、もっとマシな報告上げて来いよ。何の為に毎日捜査に行ってんだよ、そんなんだから税金泥棒とか言われんだよ!」
男の怒声はその会議中に鳴り止む事は無く、いつまでも会議室の外にまで漏れ出していた。
結局その後も、そんな実りのあるものとは程遠い会議が延々と続くことになった。
そして、会議が終われば修誠たちは今日も現場へと足を運ぶ。
ただ現場へとやって来ても何の手がかりも無い。ひたすらに聞き込み捜査をするも、僅かな目撃証言は出てもその行方までは分からない。
この一か月はその繰り返しである。
しかも散々この辺りの人には聞き込みを繰り返している為に、正直言って警察は段々と煙たがられてきている。もうこれ以上聞き込みを続けていても住民の人達は非協力的となり、どんどん逆効果となりつつあるのだ。
そんな毎日を送る捜査員たちは、この無駄な作業を続けさせられていることに辟易し、不満を募らせていた。
修誠もその中の一人である。
修誠はあの時ゴブリン達と対峙した警察官の中の一人。
あの場にいた者なら誰もがゴブリンに人間並みの知能がある事などは分かっている。あの連中が、いつまでもこんな所にいる訳がないのだ。その事は何度も報告で上げているのだが、その全てが黙殺されている。
正直、修誠には今の警察組織は殆ど機能していないのではないかとさえ考えている。
あの統率されたゴブリンの群れの方が、今の警察よりも優秀なのではないかと。きっと今の警察の対応をあのゴブリン達が見れば嘲笑するのではないかと。
そう考える修誠の憤りは、日に日に大きくなっていくのだった。
住民から通行人と、あらゆる人に声を掛け聞き込みを繰り返しているうちに時刻は夕方となる。
その日も成果らしい成果は出なかった事を報告しなければならないと考えると、修誠の足取りはどんどん重くなっていく。
そんな重い足を引き摺りながら、あと数人の聞き込みで終わろうかと考えていた。
夕方ということで街には下校途中の学生や児童があちこちに見られる。
街角には教師や保護者達が立っていて、ゴブリンから子供たちを見守っているようだった。
そんな中を、楽し気にはしゃぐ子供たちの声は妙に甲高い。
そこだけを切り取って見れば平和な街並みそのものなのだが、その甲高い声がいつ悲鳴に変わってもおかしくはないのだ。
修誠の頭の中に一か月前のゴブリンの姿が浮かび上がる。
それを思い出した瞬間、背中に汗が滲むのを感じた。
あの時の光景と目の前の子供たちの光景がオーバーラップし、そこに子供たちの声が頭に響いてきて、修誠は吐き気のようなものを催した。
ゴブリン達はこのエリアを狙って人を攫っている。しかし、あのゴブリンと対峙した修誠だから分かる。あのゴブリンは虚と実を使い分けるのだ。つまり、こんな所を延々と探し回っていても事態はなにも解決しない。
自分のしている事はあの子供たちを守る行為とはかけ離れている。
警察官としてこれで良いのか…。
その事が頭の中を駆け巡り、修誠を苛んでいく。
そして、再びオーバーラップした映像が頭の中に浮かんだ。
その映像に奥歯を噛みしめ、更に重くなった足を引き摺るのだった
そんな重たい気分のまま街をフラフラと歩き、今日はもう引き上げようかと思っていたその時だった。
街角を曲がるとそこは急に人気が少なくなり、正面に夕日が差して修誠の視界を奪ってくる。かろうじて分かるのは、高校生の男女二人が仲良さげに歩いている以外に人の気配は無いという事。
一か月この街に通い詰めているけど、こんな所があったのかと。
修誠は高校生の男女二人から伸びる、その長い影を見ながらそう思ったのである。
平和そうに見えるその光景。
しかし、そこに一つの影が忍び寄る。
高校生たちはまだその影の存在に気が付いていない。
そして、影は女子高生に静かに接触し。
「きゃああっうぐっ…!!!」
平穏を壊すその声が修誠の耳に飛び込んできたのである。
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