第3話 習性
「な、なんだあれは!?」
突如として出現した炎の塊に、その場の誰しもが驚愕した。
シヴァが頭上に翳した手、その上に出来上がった大きな炎の塊。それは、人がすっぽり入れる程の大きさがあり、渦を巻くように球体を形作りながら、不気味な音を立てて燃え上がる。
まるでマグマが滾るような熱を発するそれを、警官たちは口を大きく開けて見ている事しか出来なかった。
「お、おい、これ何が起こってんだ?」
「し、知るか! 手品か何かだろ!?」
シヴァたちのいた世界では魔法は当たり前にあるものであったが、この世界では魔法などというものは存在しない。それ故、そういう発想に至るのも無理の無い事だった。そしてそれは、遠巻きにその光景を見ていた人間たちも同じであった。
しかしこれは現実のものであると、この後この場にいた人間たちは思い知らされる事になる。
「手品だとしても、あんな物がこっちに向けられたら……」
誰かの生唾を飲む音がした。
警官たちはその炎の球体が放つ熱を肌に感じながら、次の瞬間に何が起こるのかを想像し、恐怖したのだ。
そしてその様子を、対峙するシヴァは口角を上げて窺っていた。
「ムト、準備はいいか?」
「いつでもいける…」
シヴァとムトのその遣り取りに、他のゴブリン達も身を構える。
「よし、じゃあしっかり族長をお守りしろよ」
そう言うと、シヴァは頭上に翳していた手を振り下ろした。
するとその瞬間、炎の球はごうっと音を立てて警官隊に向けて勢いよく放たれたのである。
眼前に迫ってくるその炎の塊に、警官たちは逃げる間も無く――
「ぎゃあああああああ!!!!!」
「うああぁぁぁぁぁぁ!!!」
パトカー諸共、見事に命中をした。
その炎は警官たちの服を、髪を、皮膚を焼き、炎に包まれていることによって呼吸まで奪う。
「ぐああぁぁぁ!!!」
警官たちは炎の苦しさから逃れようとのたうち廻るが、その炎は魔力で出来ているために一向に消えてはくれない。
そうこうしている間に、辺り一帯には人間の焼ける匂いが漂い始めるのだった。
「よし、全員ここを突破するぞ! 進めぇぇ!!」
その号令を合図に、ゴブリン達は一斉に跳び出した。
炎上する警官たちやパトカーを尻目に、先程の苦労が嘘のように難なくその場を駆け抜けていく。
皮肉にも、警官たちが避難を呼びかけたお陰でこの辺りに人は少なくなり、ゴブリン達は簡単にそこを後にする事ができたのだ。
そして――
ゴブリン全員がその警官たちやパトカーの横を駆け抜け暫くした時、この場を切り抜けられたゴブリン達の意表を突く事が起こる。
とりあえずの危機を脱した事で、シヴァたちの気が抜けたその瞬間。
そのゴブリンの群れの後方から、大きな爆発音が聞こえてきたのだ。
「なんだ!? 攻撃か?」
その音に驚き、振り返るシヴァたち。
しかしそこには炎上する警官たちとパトカーだけ。
「攻撃…じゃない。変な馬車が…燃えてるだけ…」
「そ、そうか……」
それはパトカーのガソリンに引火した事による爆発だったのだが、シヴァたちにそんな事が解るはずもなかった。
シヴァはムトのその言葉に一応の安心はしつつも、やはり一抹の不安が残る。
「急ごう、ここはおかしな事が多すぎる。まだ何かあるのかもしれんからな」
もう何が来ても驚かないという気持ちのあるシヴァであったが、群れの安全を考えるとこの場に留まるのは危険であると考えたのだ。
ムトや他のゴブリン達も同じ事を思い、そのシヴァの言葉に首肯する。
そして、そのゴブリンの群れは足を早め、その場から去っていった。
☆
人間の密集地帯を抜けたゴブリン達。
ゴブリン達が移動する目的は、とりあえずの安全な場所を確保するためである。先程は上手く切り抜ける事が出来たが、これだけの人間がいるというのはシヴァたちにとっては驚異以外の何物でもない。
なので巣に適した場所を見つけるまでは、なるべくなら人間との接触は避けたい所ではある。
避けたい所ではあるのだが、ゴブリン達にはその生存に関わる問題があり、全く接触をしないという訳にはいかない理由がある。
それが何かというと――
「いやああぁぁ!!」
人間の密集地を抜けたとはいえ、ここは人間の街なのでそこら中にそれは存在する。シヴァたちゴブリンはその中で、人間の女に狙いを絞り一人を生け捕りにした。
何故、人間の女を生け捕りにするかというと、それは繁殖の為である。
実はゴブリンというのは雄しか生まれない。その為、他の人種や亜人種の胎を使って子を産ませるのである。特に人間の胎は、優秀な子が生れやすいというゴブリンの間での迷信があるため、ゴブリンは人間を好んでさらってきてはそれを苗床としているのだ。
数を頼りに他を圧倒するゴブリンにとって、繁殖というのは時には食欲よりも優先されることであった。
「痛いっ!! 離してぇぇ!!」
女は二匹のゴブリンに髪を持たれて、そのまま引き摺られている。
女は身を捩ってそれを引き剥がそうとするが、そんな簡単に振りほどけるほど甘くはなかった。ゴブリン達にも知恵がある、故に人間の女がどれくらいの力があるのか、それをちゃんと把握しているのである。
「誰か、誰か助けてぇぇ!!」
その自身の髪を掴む手を振りほどけないと思った人間の女は、誰かに助けを求め始めた。
「ちっ、うるせぇな。ムト、そいつ黙らせろよ」
「喉…、潰すか…?」
「いや、それすると他の連中が萎えるだろ」
ゴブリンには、女の叫び声に性的欲求を駆り立てられるという習性がある。
「じゃあ…、口に何か突っ込んでおく…」
そう言うと、ムトは女の口に何やらを突っ込んでいる。
「んんっ!! んんんんん!!!!」
女がさっきのように声を発せられなくなったのを見て、一体何を突っ込んだのかとシヴァは女の様子を覗き込んだ。
そこでシヴァが目にしたのは、人間の指を口いっぱいに詰め込まれた女の姿。
ムトはどうも狩った人間の一部を集める癖があるようで、さっきの最中でも人間の指を採取する事を忘れていなかったようだ。
「おいおい、鼻の穴に入れるのはやめとけ。死んでしまったら意味ないだろ」
「わかった…」
ムトは素直にシヴァの言う事を聞き、鼻に入れていた指をすぽっと抜き取った。
「ふーっ! ふーっ!! んんんっ!! んんんんんっ!!!」
「やれやれ、悪趣味だねぇ。それにしても、口塞いでもこんなに騒がしいんじゃ隠れる場所も見つけられねぇじゃねぇか」
――シヴァが溜息混じりにそう言ったときである。
何処からともなく漂ってくる香ばしい匂いに、シヴァは鼻をひくつかせた。
「おい、なんか美味そうな匂いがしないか……?」
その問いにムトも同じように鼻をひくつかせる。
「…する。肉汁の匂い…」
シヴァは思いっきり鼻に息を送り込み、その匂いの元を辿る。
「あっちの方から……」
匂いのする方向、その先にあるのは周囲に比べて小さな建物。小さい建物ではあるが見た目は派手で、側面がガラス張りの為に中は丸見え。
そんな、まるで中に入ってくれと言わんばかりのその建物は、そうコンビニである。
どうやらシヴァたちは、そのコンビニの中にある揚げ物の匂いに嗅覚を誘われたようなのだ。
「族長! あの建物に食料がありそうです。一旦あそこで休憩をとりましょう」
「ああ、分かったそうしよう」
こうして、シヴァたちはそのコンビニへと歩を進めるのだった。
お昼時の忙しい時間が過ぎ、暇となったコンビニの店内には店員が二人いるだけ。客は一人もおらず、少し手の空いた男女二人の店員が仲も良さげに会話をしている。
まるで危機感というものを感じさせないその二人。それもそのはず、午前中からここで働いていた二人には、外で何が起こっていたのかまだ知らないのである。知っていたなら、そのように呑気ではいられなかっただろう。
「こっち来て。カメラの映らないとこ」
男がある場所に女を誘う。
「え~、お客さん来たらやばいって」
もうすっかり知り尽くした店内である。二人は何処が店内カメラの死角になっているかを把握していて、時折そこに身を隠して秘事に及ぶ。
「大丈夫、少しだけだから。……んっ」
男の方が強引に唇を被せに行き、女の方は仕方なくそれに従っているように見える。
「んっ……。もう…」
しかしこれはいつもの事で、女の方も本気では嫌がってはいない。むしろそこに至るまでに女の方が思わせぶりな態度をとり、男を誘っていたのだ。
実は主導していたのは女の方であるのだが、男の方はそれを知る由もない。
「はぁ、はぁ、もう少し……」
男の手は女の胸をまさぐり、その感触に恍惚とした表情を浮かべ。女の方は男の首にしっかりと腕を回し、されるがままに男の手の感触を楽しんでいた。
「……んっ、もうそろそろ、やばい――」
――と、その時である。
二人の悦楽の邪魔をするように、けたたましい音がコンビニの店内に響き渡った。
「きゃあああぁ!!!」
「な、なんだっ!?」
自動ドアの存在を知らないシヴァたちが、勢いよくそのドアを蹴破ったのである。
二人の店員が今までに見た事もない動物が、ガラスの破片と共に店内へと雪崩れ込んでくる。二人にとってそれはまるで現実味の無い、どこか物語の世界のように見えたのだろう。だからこれから自身に起こる事も想像できずに、二人はその場に立ち尽くしている事しかしなかった。
しかし、現実というのはいつも悲劇的なのである。
「お、雌がいるじゃねぇか、これはついてるな」
そう言ってコンビニに入ってきたシヴァと二人は目が合った。
そしてその瞬間二人は感じ取るのである。直に迫る、生々しい恐怖感というものを。
人間のような風貌をしてはいるが、耳の形や肌の色、その細部は人間のそれとは似ても似つかない。それが逆にその店員二人を震え上がらせるのである。
「ひ、ひぃ!!」
じりじりと近寄ってくるシヴァ。それに恐怖した女は、男の背の陰に隠れる。
「な、何だこいつら!」
男は女を庇ってシヴァの前に立ち塞がった。
――が、しかし。
「雄に用はねぇ」
「く、来るな…ぅぐっ!!!」
男が何かをする間も与えず、シヴァの手刀が男の腹を貫いた。
男は獣のような低い呻き声を一つ上げると、体を震わせながら大量の血を口から吐き出した。
そして、最後に一つ大きく震えたかと思うと、男は立った姿勢のままぴくりとも動かなくなった。
その貫いた腹の向こう。
シヴァはその向こう側に視線を向ける。
その視線の先、シヴァの本来の目的であった人間の女。男の背に隠れていたその女は、その血しぶきを全身に浴び、痙攣を起こすように震え、男の血の混じった涙を流している。
恐怖に体が動かず、ただ震えるだけのその女。
シヴァは、動かないなら丁度良いとその女の髪を掴み。
「ほら、お前たち雌だぞ」
そう言って、仲間のゴブリン達の所へと放り投げた。
「いやあああぁぁ!!!」
女が投げ込まれるとゴブリン達がわらわらと集まってくる。
女は泣き叫びながら必死に抵抗するが、ゴブリンにその声は逆効果だった。その声を聞いたゴブリン達は増々その本能を昂らせ、女への凌辱の手を強めるのだ。
「ああぁっ!!! ぎゃああぁぁ!!!」
ゴブリンには人種や亜人種の女を孕ませるときにする事がある。
「痛いっ!! 痛ぁぁぁl!!!! いぎゃぁぁぁ!!」
それは、女の四肢を引きちぎるのである。
そうする事によって女は抵抗する事が出来なくなり、ゴブリン達の手間も省けるのだ。しかもそうしておけば、逃げる心配もない。手足を捥いだ傷口を治癒魔法で塞げば、ゴブリンの子を孕むだけの人形へと早変わりするという訳だ。
その際に、喉だけは潰すことは無い。何故なら、ゴブリンは女の悲鳴に生殖本能を駆り立てられる。つまり、女が声を上げれば上げるほどそれは激しくなり、その声が続くほどそれは終わる事が無いのである。
女に集るゴブリン達を横目に、シヴァが自分の手についた血を舐めとっていると。
「シヴァ…、これ凄く旨い…」
ムトが美味しそうな匂いのするきつね色をした物体をシヴァに見せつけてきた。
「何だこれ、食べても大丈夫なのか? って、もう食べてるのか。どれ、俺も一つ」
シヴァは警戒しながらもそのきつね色の物体に手を伸ばす。
このムトの持ってきた物体、それはこの世界では馴染みのある食べ物、唐揚げの事である。
ゴブリン達のいた世界にも揚げ物は存在したのだが、一部の人間が食すのみでシヴァたちは食べた事が無かった。なので、シヴァたちはその存在を知らなかったのである。しかも、この世界の揚げ物は元の世界の物とは比べ物にならない程の味だったのだ。
「な、なんだこれ!? うめぇぇ!!」
唐揚げを一つ口に放り込んだシヴァはその味に大いに驚いた。
それは今まで食べたどんな物よりも美味しかったのである。カラッとした衣の中に肉汁あふれる柔らかい肉。少しスパイスの利いた味付けに、鼻を抜ける食欲を駆り立てる匂い。この世界では何の変哲もない単なる唐揚げが、こことは異なる世界からやってきたシヴァの舌を魅了したのだった。
ゴブリンの食事といえば獣や人間の肉を主に食べている。流石に生で食べはしないが、ただ焼くだけでそれに味付けなどはしないのである。それ故に、この世界の唐揚げの味に感動すら覚えたのだ。
「おい、これもっと無いのか!?」
「あっちに、いっぱいある…」
すっかり唐揚げを気に入ったシヴァは、ムトに促されるまま食欲を満たしにいく。
そうして、シヴァたちがこの世界の食べ物に舌鼓を打っていると。
再び、あのサイレン音がシヴァたちの耳に響いてきた。
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