第8話 邂逅
急に隣から聞こえてきた悲鳴。
その悲鳴のする方に目を向けた丈瑠は驚愕した。
「な、何だこいつら!?」
そこには楓の体に纏わりつくゴブリンが三体。
一体は足に、もう一体は腕に、そしてもう一体は楓の口を押さえつけていた。
楓は身を捩りながらゴブリン達を振りほどこうとするが、その力が思いのほか強いのかゴブリン達は一向に離れようとしない。
「んんん!! んんん!! たけっんん!!」
必死に丈瑠の名を呼ぼうとする楓。
その声を聞いて初めて丈瑠ははっとなる。
その時になってようやく、楓の危機に体が全く動いていない事に丈瑠は気が付いた。初めて見るゴブリンという生き物に恐怖を覚え、その場にただ立ち尽くしていたのだ。
「こ、この化け物、楓から離れろ!!」
丈瑠は恐怖心を払うよう無理に声を張った。
しかし、そんな声にゴブリンが従う訳がない。ゴブリンは丈瑠を一瞥するも、取るに足らない相手と見てすぐに目を背けるてしまった。
「おい、離れろって言ってるだろ!!」
今度はゴブリンの首根っこを掴んで引き剥がそうとするが。
「ギギャ!」
丈瑠が右手を出した瞬間である。
その丈瑠の手をゴブリンの爪が切り裂いたのだ。
「ぐあああっ!!」
「丈瑠っ! んんん!!」
抉られるように深く切られたその右手、丈瑠はそのあまりの痛みにその場で蹲る。
どんどんと強くなるその痛みを堪えようと丈瑠は必死に傷口を押さえた。しかしその押さえる左手の隙間からは、ぼたぼたと血が滴って地面を赤く染めていく。その、まるで映画でしか見ないようなそれを見た事で、丈瑠は今までに感じた事も無いような恐怖心を覚えるのだった。
そうこうしている間にも、ゴブリン達は楓を連れ去ろうとその体に纏わりつく。
そこに――
「大丈夫か!?」
丈瑠の下に駆け寄りながら声を掛ける人物が一人。
それは丈瑠たちが遠くに見ていた警察官、榊修誠のものだった。
「すぐに救急車を――」
丈瑠の状況を見た修誠は救急車を呼ぼうと携帯電話を取り出そうとするのだが、丈瑠がそれを制止する。
「待って、それより楓を…。早く楓を助けて」
絞り出すような丈瑠のその声を聞いて、ようやく修誠は何を優先するべきかに気が付いた。
「く、ゴブリンか…」
一か月ぶりに見るゴブリンの姿。
散々探し回っていたゴブリンであったが、修誠はその姿を見て一歩踏み出す事に躊躇する。
(三体……、やれるか…?)
修誠の脳裏には一か月前のあの光景が過ぎっていた。
あの時、おかしな術を使って自分たち警官隊を翻弄したゴブリンに、自分一人で立ち向かえるのかと。下手をすると少女を助けるどころか、自分もこの少年も皆死んでしまうのではないかと。
未知なものへの不安のせいで様々な事に思考を巡らせる。それが恐怖となって修誠の動きを鈍らせるのである。
そうして修誠が躊躇している間にもゴブリン達は楓を引き倒し、引き摺るようにして連れ去ろうとしていた。
「い、いやああ!! んぁっ! んんん!!」
必死に身を捩り、声を絞り出して抵抗する楓。
それを見ながらも躊躇いを見せる修誠は。
「そ、そうだ、応援を…」
慌てて胸にある無線機のマイクを手に取った。
「ゴ、ゴブリン発見! ゴブ――」
一人で対応するには危険すぎると判断した修誠は応援を呼ぼうとしたのだが。
そこに――
「何やってんだよ!! お前、警察だろ! 早く楓を助けろよ!!」
丈瑠から怒声が飛んだ。
楓が今まさに連れ去られようとしているときに何を悠長な事をしているのかと、丈瑠の目にはそう映ったのだ。
「ま、待て。無理に突っ込んでも危険なだけだ。今応援を呼ぶから少し待っていろ」
「ふざけんな! そんなもん待ってられるか!!」
一向に楓を助けようとしない修誠に丈瑠は苛立ちを隠せなくり、その怒りをぶつける。
「落ち着け、すぐに応援が来る。下手をすれば君もどうなるか分からないぞ」
「知るかよ!!」
丈瑠は修誠を押し退けて楓を助けようとするが、体格の良い修誠に抑えられて動けない。
そうしている間にも楓はゴブリンに引き摺られていく。
「んん!! んんんん!!」
「楓!! おい楓を放せ!!」
丈瑠の声が虚しく響き渡る。
しかし、ゴブリン達がそんな声を聞く訳も無かった。
今まさに連れ去られようとしている楓に焦りを覚える丈瑠。
しかしどんなに焦っても修誠が行く手を阻んで楓を助けに行くことが出来ない。
「離せ!! 離せよ!! 楓がっ!! 楓がぁぁ!!!」
丈瑠はありったけの声で楓の名を叫ぶ。
「いいから落ち着け! 君がそうしていると応援を呼ぶことも出来ないだろ!」
そんな丈瑠に修誠が強く諭すも、しかしその言葉は丈瑠の耳には届かなかった。
と、そこに、急に一つの個体が姿を見せた。
「何をしている…。早くしろ…」
「ギギ!」
現れたのはもう一体のゴブリン。他のゴブリンよりも二回りほど大きな体格をし、他よりも知能の高そうなその個体。
ゴブリンの中にあって一際危険な雰囲気を醸し出し、明らかに他のゴブリンを統率していると思われるそのゴブリン。
それは、シヴァによって名を付けられたムトである。
そのムトの声を聞いた他のゴブリン達は、その動きを機敏にし、楓を運ぶ手際も変わった。
「ちっ! もう一体来たか……。しかも、大物っぽいな…」
修誠は新に現れたゴブリンに焦りを覚え、早く応援を呼ぼうと無線のマイクに手を掛ける。
この時、修誠の意識は完全にムトの方へと向いてしまった。
その隙を丈瑠は突く。
この警察官に任せていては楓は助からない、そう思った丈瑠は自然に体が動いていた。
いま、修誠の視線はゴブリンに行き、無線で応援を呼ぶことに頭が回っている。丈瑠に対しての注意は明らかに落ちていた。
そこを突いた丈瑠は一歩を踏み出し、ゴブリンに向けて全力で駆けだしたのだ。
「ゴブリン発見! 場所は○○。○○にてゴブリン発見…、あ、おい君!」
完全に虚を突かれた形となった修誠は丈瑠に出し抜かれてしまった。
ゴブリンに向けて全力で走る丈瑠。
その間の距離を丈瑠は異常に長く感じていたが、それはほんの十数メートル程である。
それは二秒にも満たない時間であった。
しかしその刹那であっても、ムトは素早く反応する。
「楓っ!!」
楓の名を呼び、その体に纏わりつくゴブリンを引き剥がそうと左手を出した。
その時である。
「ぐあああああ!!」
ナイフを持ったムトが、その左手の指を親指だけ残して切り飛ばしたのだ。
丈瑠は激痛に耐えながら、噴き出す血を抑えるように手を抱え込む。それでも血は左手だけでなく右手からも溢れ出て、丈瑠の全身を真っ赤に染め上げていく。
「いやああ!! やめて! 丈瑠を傷つけないで!!」
「雄に用は無い…」
ムトは呟くようにそう言うと、丈瑠の指を拾い上げそれを懐に入れる。
その時に痛みに悶える丈瑠を一瞥したのだが、ムトには指以外に興味を惹くものも無かったのですぐに視線を外すのだった。
そして、ムトがその場を去ろうと踵を返したその時である。
「――!?」
背後を見せたムトに目掛け、修誠が警棒を振り下ろしたのだ。
ムトの死角を狙った完璧な奇襲攻撃。警察官が装備するアルミ合金製の警棒を頭にでも食らえば、いくらゴブリンといえど頭蓋骨が陥没する程のダメージを負う。
修誠はこの必中のタイミングに、全力を出し切るように警棒を振り抜いた。
だがしかし。
ムトはそれを察知していたように、横跳びにそれを躱した。
「なっ!?」
「無駄…」
横に跳んだムトはさらに取って返し、修誠に目掛けて飛び掛かる。
今度は逆に意表を突かれる形となった修誠は一瞬動きが止まってしまった。
「ぐっ!!」
飛び掛かったムトの蹴りが修誠の胸に入り、後ろへと弾き飛ばされる。
しかしムトの攻撃はそこで終わらない。
後ろへと倒れこんだ修誠にさらに上から飛び乗ったムトは、その胸へと持っていたナイフを突き立てたのである。
「ううぅ……!!」
低い呻き声が修誠の口から漏れる。
身動きの取れなくなった修誠を見下ろしながら。
「俺たち…、目と耳が良い…。不意打ちは食わない…」
ムトはそう言うと、ナイフを抜き再び踵を返すのだった。
「行くぞ…」
ムトが他のゴブリン達に指示を出すと、ゴブリン達は「ギギ!」と返事をし楓を抱えてその場を後にしようと歩き出す。
「か、楓!!」
丈瑠の悲痛な叫びが辺りに響く。
「待て…、待ってくれ!!」
離れていく楓の姿を追いかけるように、なんとか全身に力を込めてその場に立ち上がる。
しかし立ち上がった丈瑠に強烈な眩暈が襲う。
かなりの血を失ってしまった為であるが、そのせいで意識も視界もはっきりしなくなってしまった。しかしそんな状態であっても、丈瑠は楓を助けようと必死に歩を前に進めるのだった。
「楓…、待ってくれ…!」
丈瑠の楓を呼ぶ声は段々と小さく掠れていく。
そんな丈瑠にムトは。
「追ってくるなら殺す…」
そう言ってナイフの切っ先を丈瑠の喉元に突き付けた。
「やめて丈瑠!! それ以上来ちゃだめ!」
これ以上近づいては丈瑠は死ぬ。そう感じた楓は、丈瑠に向けて精一杯の声で叫ぶ。
しかし。
意識のはっきりしない丈瑠には、その楓の声はどこか遠くから聞こえてくるようだった。
「か……え……で……」
血の巡らない脳はびりびりと痺れるような悲鳴を上げ、その思考を奪っていく。
やがて視界も暗く閉ざされて。
一歩も進む事は出来なくなり……。
丈瑠はその場に倒れ込んだ。
「丈瑠!! 丈瑠ぅぅ!!」
その楓の声に返事は無く。
誰もいないこの路地に木霊するだけだった。
「行くぞ…」
そしてゴブリン達は、そのムトの声と共に街のどこかにその姿を消した。
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