第9話 役不足




 しんと静まりかえり、差し込む夕日も弱々しくなってきたその路地。


 何処にでもある街角の風景ではあるが、そこは先程までゴブリンがいた場所である。



 そのゴブリン達の去った場所に、横たわる男が二人。


 まるで死んでしまったかのような姿であるが、そのうちの一人がぴくりと動いた。



「う、うう…」


 その一人とは榊修誠だった。


 ムトにより胸をナイフで刺された修誠であったが、その刃は彼の胸には届かなかった。確かに胸に突き立てられたはずだったのだが、その刃は衝撃だけを与えて皮膚を引き裂く事が出来なかったのだ。


 ムトが何かへまをしたかというと、そうでは無い。というのも彼は警察官である為、署から防刃ベストを支給されていた。今日もそれを着こんでいた為に致命傷は免れたという訳なのだ。



「う、痛……。奴らは…? い、いない?」


 ムトに倒された時に頭を打って気を失っていた修誠は、ほんの少しの時間の記憶が欠如していた。その為に、修誠には急にゴブリン達がいなくなったように感じたのである。


 修誠は事態を把握しようと朦朧とする頭を無理やりに起こして周囲を見渡す。


「そ、そうだ、高校生が……。おい君、大丈夫か!?」


 周囲を見遣った修誠はすぐに傍で倒れている丈瑠の事に気が付いた。


 必死に声を掛けるも、しかし返事は無い。


 うつ伏せに倒れるその丈瑠の姿は、何かぞわっとするような嫌な予感を与えてくる。


 それに何とも言えない焦りを覚えた修誠は、その予感を直ぐに確かめたくてその体を仰向けに返した。



 するとそれを見た修誠は絶句する。



 丈瑠の両手から大量の血が流れ出し、その血のせいでお腹と胸を中心に丈瑠の体を真っ赤に染め上げているのである。大量の血を失ったために丈瑠の顔色は危険なくらいに真っ白になり、その唇も変色してきている。


 それはまるで人の生気のような物を失ってしまったかのように見えたのだ。



「ま、まさか……」


 修誠は背筋に凍るような冷たさを感じながら丈瑠の顔に耳を近づける。



 ……。



「……だ、大丈夫だ。辛うじてまだ息はしている。まだ生きているぞ。早く救急車を!」


 丈瑠の弱々しい呼吸を感じ取った修誠は、すぐに救急車を呼ばなければとスマホを取り出した。


 震える指で画面をタップし、焦りのある声で電話の向こうに救助を要請する。


 そんな修誠の声に電話の向こうの救急隊員も緊急性が高いと判断したのだろう、救急車が来るまでにできる事を細かく丁寧に説明してくるのだった。



 その救急隊員の言うように応急措置を施して丈瑠の傷口を塞いでいく修誠。


 その修誠の耳に、丈瑠の口から漏れた微かな声が聞こえてきた。



「かえ…で……」


 それは弱々しく掠れるような声。しかしその声は修誠の心に直接響くような、そんな声だった。



「かえで…? 一緒にいた女の子の名前か……」

 

 丈瑠の事に意識が集中していた修誠は今までその事に失念してしまっていた。


 そしてその名前を聞いたその時になって初めて、この少年と一緒にいた女の子がいなくなっている事に気が付いたのだった。



「そうか…、あの女の子はゴブリンに……」








  ☆








 都心からは離れた場所にある、都市郊外のとある町。


 ある程度の大きな町ではあるのだが、そこに人通りは少ない。一時は公共事業で潤っていたその町も、無駄という無慈悲な一言の下に切り捨てられ、現在はかつての隆盛を失い只々寂れていく一方であった。


 この町で育った若者は仕事を求めて都心に移住をしていくため、町には空き家や空きビルが増え、その人口の大半も高齢者と外国人が占めているような状態となりつつあった。



 そういう町だからこそ、ゴブリンが隠れ住むには最適であった。


 地域コミュニティの崩壊は人の目という監視網の崩壊を意味し、当然このような寂れた町に監視カメラを設置するような予算は無い。街灯も節約するほど困窮しているこの町では、ゴブリンの存在に気付く者などはいないというわけである。



 そんな町のとある空きビル。


 借り手も買い手もつかなくなり放置されているビルなのだが、現在そこはゴブリン達によって占拠されている。


 地上五階建ての雑居ビルなのだが、とりあえず勝手が良さそうなのと人が寄り付かないという事で、ここを暫くの根城としたわけである。



 そのビルの四階の一室、シヴァは元々ビル内にあったソファに腰を掛けてある物を眺めていた。


 そこに――



「いま帰った…」



 ゴブリン達の住処である雑居ビルに戻ったムトはシヴァの下にやってきて声掛ける。


「おお帰ったかムト。ご苦労さん」


 シヴァはそれに愛想よく応えた。



 そしてそのムトと一緒に――


「んんんん!! んんんんんん!!!」


 今しがたムトが攫ってきた女の呻く声がシヴァの耳にも聞こえてきたのだ。



「お、今日のは活きが良さそうだな。あれなら強い子供を産めそうだ」


 ゴブリン達には女の声に好みがあり、本能的に強い子を生みそうな女の声を聞き分けるという。


 それ故に、その女の声はゴブリン達を大いに興奮させた。女の声がビルに入るなり、女を早く種付け部屋へ運ぼうとそこに群がり寄ってきていたのだ。



「少し手間取った…」


 女の声が種付け部屋に入っていくのを聞きながら、ムトはそう呟く。


「手間取った? 何かあったのか?」


 ムトは顎に手を当てると。


「たぶんあれ、警察…」


 少し思案しながらそう答える。



「警察か…」


 警察と聞いて、シヴァは先日の鉄砲を使った攻撃を思い出した。


 この国の鉄砲はシヴァがいた世界の物よりも遥かに質が高い。はっきり言って脅威と言っても良いとシヴァは考えている。その鉄砲と対峙したとして魔法で勝てるのか、シヴァはあれ以来その事を時折考えるようになっていた。



「……それでどうした?」


「大丈夫…、殺した…」


「そうか、まあそれならいいや。それよりムト、これを見ろよ」


 シヴァは考えても仕方のない事よりもさっさと話題を変える事にした。



「これ、剣…?」


 それこそが先程シヴァが眺めていたある物である。



「そうだ、これがこの国の伝統的な武器らしい。ちょっと見てろよ」



 そう言ってシヴァは側に置いていた缶ジュースを手に取ると、片方の手でその鞘を強く握りしめた。


 肌ざわりを確認するように缶の上を指で撫で、シヴァは集中するように息を整える。



 そして――



 シヴァが缶を上に放り投げた瞬間である。


 鞘から抜き去った剣は一筋の線を作り、その缶ジュースを真っ二つに切り裂いたのである。



「おお…、切れた…」


 二つに切り裂かれた缶は中身と共に床へと転がる。


 その切り口の綺麗さに、ムトは正直に驚きを見せた。



「どうだムト、凄いだろ? あっちの世界にはこんな剣は無かったからな」


 シヴァのいた世界では、剣と言えば突くか打ち付けるものであった。切る事に重きを置くと剣は脆くなってすぐに折れてしまう、戦場では耐久性のほうが重要視されるので切れる剣というのは需要が無かったのだ。


 しかしこの目の前にある剣は、そういった弱点を克服しているように見える。


 これにはムトが驚くのも無理からぬ事だった。


「打つ、突く、切るが揃った代物でカタナと言うらしい」


「ほぉ…」


「この国の人間はこんなのを千年以上も前から作ってるそうだ、これはかなりの技術力を持っていると見ていい」


 シヴァはそう言いながら刀を光に翳してその刀身を眺めた。



 その波打つ刃紋に何故か吸い寄せられるように見入るシヴァ。


 この世界に来たときにこの国の人間に感じたのは脆弱さだった。シヴァたちのいた世界の人間に比べたらあまりにも脆く弱い。しかも、殆どの人間が戦う事を拒否している。これならこの国を獲るのも難しくは無いのでは、そう思うほどであった。


 しかし、この刀の殺傷能力からは何か異様な不気味さを感じるのだ。とても同じ国の人間が作ったとは思えない程に。


 シヴァには、どうもこの両者のアンバランスさが腑に落ちないのであった。



「ムト、どうやらこの国を獲るのも楽じゃなさそうだな」


 シヴァが刀を翳しながらそう言うと。


「俺も…、さっきのやりたい…」


 ムトが、その刀を貸せと手を出してきた。


「はぁ? 何言ってんだ、これは俺のだぞ。お前にはそのナイフがあるだろ。その変な形のナイフが」


「変な形じゃない…、これ様式美という…」


 ムトはその自分のナイフを取り出してその刃先を指でなぞる。



 ムトが持つその変な形のナイフとは、「く」の字に曲がった刀身を持つククリナイフというものである。ククリナイフの形状を見たムトは一目でいたくそれを気に入り、それ以来肌身離さず持ち歩いているのだ。



「様式美ねぇ…。とにかくこの刀は駄目だ。刃の部分が割とデリケートらしいからな、もう一本手に入ったらお前にそれをやるよ」


「ケチ…」


「おい待て、ケチとかじゃないんだよ。全然そういう事じゃ無いだろ。いやその前に眷属はそういう事言っちゃダメなんだよ。そこのとこ分かってのるかお前。まったく最近のお前は眷属としての自覚がだな…。っておい、聞いてるのか?」

 

 刀が使えないとなると直ぐに興味を無くし、ナイフを振り回して遊ぶムト。


「こいつ…。お前の主がまだ喋ってる途中だろうが……」


 そんなムトにシヴァは独りごちるようにそう呟くのだった。



 と、そこに。


 一匹のゴブリンがシヴァの下にやって来た。


「ギギギィ」


「ん? 族長が?」


 それは、族長からの呼び出しだった。


「何の要件か聞いているか?」


「ギィ」


 シヴァは族長の使いで来たゴブリンに訊ねてみるが、そのゴブリンは頭を横に振るだけ。


「どうした…?」


「ああ、族長がお呼びだそうだ。やれやれ、小言じゃなきゃいいけどな」


 シヴァはそう言うと肩をすくめて溜息を吐いた。







  ☆







「族長、お呼びで」



 ビルの最上階、五階にある一室が族長の部屋となっている。


 それぞれの階は目的に応じて別けられているのだが、族長は一番上が良いだろうという安易な発想からそうなったのだった。



「おおシヴァか、待っておった」


 族長は椅子に座ったままであるが、何やら機嫌の良さそうな声を出す。


「族長、ご機嫌が宜しいようで。何か良い事でもありましたか?」


 族長の雰囲気からとりあえず小言では無いなと思い、シヴァは胸をなでおろした。


 なにせ族長の小言が始まると軽く小一時間はその場を動けなくなる。今回はどれくらい長くなるのか、シヴァはそんな覚悟をしてやってきたのだが、どうやら杞憂だったと安心をした。



「うむ、取り立てて良い事があったという訳では無いが…。シヴァよ、このところ群れの繁殖が順調のようだな?」


「ええ、それはもう。この世界の人間は警戒心も薄く攫いやすいですからね」


「ふむ…」


「夜に若い雌が一人で歩いていたりするのです。あれでは攫ってくれと言っているようなものですよ」


 シヴァの言う事に族長はふむふむと聴いている。


 それがシヴァにとっては何とも不気味に感じるのだった。



「――とにかく、この世界は食料も豊富ですから繁殖には最適な環境です」


「うむ、そうだな。おかげで儂の魔力も随分と増してきておる」


「まだまだ子供ばかりですが、かなりの数が生まれましたからね」


 ゴブリンの妊娠期間は三週間程で、今まさにこの世界に来てから種付けた子供たちが次々と芽吹き始めているのだ。


 一度の出産で数匹のゴブリンを産むため、その数はこの世界に来た時よりも三倍以上に膨れ上がっている。


 もちろん、その数に応じて族長の魔力も増大しているという訳なのだ。



「そこでじゃシヴァよ。このまま順調に群れが大きくなると前提して、今後の事を考えると必要になってくると思っての」


「今後に必要……? それは何でしょうか?」


 シヴァは族長の言い回しに首を傾げた。



「それはなシヴァ、お前のクラスの事だ」


「クラス…。遂に私にもクラスを与えて頂けるので!?」


 シヴァは若干興奮した。


 それは以前より族長には頼んでいたのだが、ずっと保留になっていた事だったのだ。


「まあ待て、まだ気が早いぞ。もっと群れが大きくなってからだ」


「そ、そうですか……」


「うむ、今までは群れが小さかったからのう。そんな魔力では下位クラスしか与える事が出来なんだ。それではお前には役が不足しておると思っておったのだ」


「それは、つまり……」



「ああ、お前には一番に期待しておるからな。それ相応のクラスが必要であろう」



 ゴブリンはクラスに応じてその能力を変化させる。


 それは上位のクラスになればなるほど、その変化は著しいものとなるのだ。



 シヴァは今でも他のゴブリンに比べその能力が突出していると言える。


 それがさらにその力を増大させられるとあって、シヴァは自身の高揚を抑えられない程に喜びを感じていた。




「それで、そのクラスというのは…?」




 逸るように訊くシヴァに、族長は口角を上げて答えた。




「うむ、お前にはジェネラルこそが相応しいと考えている」




 ジェネラル、それは全ゴブリンを統べる事の出来る最高位のクラスである。





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