第2話 包囲の中




「……ここは?」



 真っ白な光が晴れて目に飛び込んできた世界、そこはまさに別世界である。


 灰色の塔に灰色の壁、堅く舗装された黒色の地面。色味の無い景色だが、申し訳程度の街路樹とチカチカした広告板の類が街の中を彩っている。


 それは一目見たそれだけの景色でも、今までとは違う世界にいると思わせるのに十分過ぎた。



(な、なんだ、ここは……!? どうなっている……? 群れの皆は……、全員いるのか……?)


 ここに至っても、シヴァは頭を働かせる事を止めない。


 現状を把握するために、景色と自分の群れの仲間たちを確認する。そして、より多くの情報を得る為に右に左に首を動かし、その周囲を細かく見回した。



(取り敢えず群れは全員いるようだが、……これは不味い。すっかり周囲を人間に取り囲まれている……)


 今ゴブリン達がいるのは、人間の街のど真ん中。当然、周囲には人が溢れかえっている。しかし突然ここに現れたシヴァにとっては、それが唯の通行人であるという事が分からなかった。



(おかしな恰好をしているが、あれは人間だ…。俺たちはこいつ等の転移魔法でまんまと一網打尽にされたということか……?)


 周囲の人間からの視線がシヴァたちゴブリンに集中する。シヴァの目から見ればそれは自分たちに向けられた敵意の視線に見えただろう。それ故に、シヴァがそう勘違いするのも仕方がないというものだった。


 しかし、実際は違った。


「おい、なんだあの生き物は……? 見た事ない、さ…猿?」

「何かの撮影か? カメラどこよ?」

「ちょっと、近寄ったら危ないんじゃない?」

「あれじゃね? 何処かの研究所から逃げ出したとかってやつじゃね?」

「やばっ、何あれ超バズりそうじゃん! うけるー!」


 次第にざわつき始める周囲の人間たち。しかし、その顔色には危機感というものは感じられない。


 ただ単なる風景を見る様な感覚の者、珍しい物を見て好奇心を持つ者、いずれにしても目の前のゴブリンに警戒心を持つ人間はその場には殆どいないようだった。



(何だ…? なぜ攻撃も何もしてこない……? どういう事かは分からないが、とりあえずこの間に何とか族長だけでも……)


「族長、俺が活路を開いて人間を引き付けます。族長は共の者とそれに付いてきてください」


 シヴァは周囲を警戒しつつ、族長の側でそう囁いた。


「シヴァ…、それは危険すぎる。お前は他の者より才ある若者ぞ、こんな所で死んで良いはずがない」


「いえ、人間を上手く引き付けられるのは俺だけです。族長は主だった者を連れて――」



 ――その時だった。



 周囲の人間たちが何やら小さい板のような物を取り出し、それをシヴァたちに向けてかざしてきたのである。


 最初は数人だけだったその行為はやがてポツポツとその数を増やしていき、遂にはゴブリンを囲んでいる人間の殆どがその行動取り始めたのだ。


(何だ!? ま、魔道具か!? 不味いっ!)


「全員、族長を守りながら俺に続け!!」


 シヴァの叫び声を聞いた他のゴブリン達は一斉に自分の取るべき行動に移る。


 個よりも群れを主体とするゴブリン達は、こういう時には迷いが無い。群れにとっての最適な行動をとる、それは判断するというよりも反射で動くと言ったほうが正しい。


 一方の人間たちの方はというと、全くの警戒心も無くただ手に持った板を凝視している。


 そんな人間たちを見て、人間からの攻撃が来る前にこちらからとシヴァは素早く行動に出た。



 シヴァの目の前には、板を耳に当てて独り言を話す女が。


 その女に狙いを定めると、シヴァは人間たちの包囲を破るべく一点突破を試みる。



「ちょー、マジだって。マジでヤバいんだっ……。き、きゃあああああぁぁ!!」


 その女は一瞬にして自身の目の前に迫ったシヴァを見て叫び声を上げる。


 そしてその叫び声は周囲の人間たちに恐怖感を与える合図となった。



 その女の悲鳴が上がった次の瞬間、女の首はシヴァの手刀によって胴体から切り飛ばされていたのだ。



 恐らく、そこにいた人間たちは何が起こったのか数瞬のあいだ判らなかっただろう。それ程、そこにいた人間たちにとってそれは現実離れした光景だったのだ。


 しかし、血しぶきを上げるその女の肉体とその側に転がる女の首は、その場にいた人間たちを戦慄させるのに十分過ぎる光景となった。


「うわああぁぁぁぁ!!!」

「誰かが殺されたぁぁぁ!!!」

「こいつら襲ってくるぞぉぉ!!」

「きゃああああああ!!!!」


 辺りは一気に騒然となり、人々は大混乱を起こす。目の前でまざまざと見せられた人の死に、ようやく自分達の命の危機というものに気が付いたのである。


 人間たちはこの目の前の恐怖から逃れようとその場から駆け出そうとするが、我が先にと人が人を押し退けるために蜘蛛の子を散らすというようにはいかない。



 そしてそんな人間たちの姿に、シヴァもまた信じられないという思いを抱いていた。


(に、逃げようと…している? 何のつもりだ……? どういう事かは分からんが、これはチャンス…だな)


 シヴァが族長の方に視線を移すと、族長はそれに首肯して答えた。


「皆っ! このままここから離脱するぞ! 余裕のある奴は雌を攫う事を忘れるな!」


 シヴァのその叫び声にゴブリンの群れは一丸となる。


 シヴァはそれを見るやいなや、すぐさま次の行動に出る。視線を離脱するべき方向へと向け、その道筋の邪魔となる人間たちを見定めると、シヴァは大きく口を開けて群れに向かって咆哮した。


「行くぞ、俺に続けぇ!!」


 シヴァのその号令と共にゴブリンの群れは一斉に駆け出す。


 逃げ惑う人間たちの中を突っ切るゴブリン達。しかし人間たちの中には、恐怖のあまり足が動かずそこに立ち尽くすだけの物もいる。シヴァはそういった人間に対し、自身の爪を尖らせ攻撃を仕掛ける。


「ぎゃああああああ!!!」

「いやっ!! いやあぁぁ!!!」


 ある者はその胸を貫かれ。ある者はその頭を潰され。その場は阿鼻叫喚の世界へと変わる。


 次から次へと死体に変わっていく人間たち。


 その姿を見てさらに人間は混乱する。



 しかしそんな状態であっても人間たちに反撃はなく、只々シヴァに爪を立てられ、その命を散らしていくだけ。


 ゴブリン達にとっては順調に見える光景だが、シヴァはそのあまりの簡単さにむしろ不安を募らせる。


(……この手応えの無さは何だ? 抵抗も何もしてこない……。何か、罠でもあるのか……?)



 シヴァの不安も当然である。シヴァの知っている人間というのはもっと好戦的で危険な生き物なのだ。あの手この手を使ってゴブリンを罠に嵌め、多くのゴブリン達をその手に葬ってきた。


 その人間たちが、こんなにも貧弱であるはずがない。


 その事がシヴァの脳裏から離れなかった。


 罠ではないのか、このまま進むのは危険ではないのか、考えれば考えるほどシヴァの動きを鈍らせる。踏み出す一歩を遅くするのである。


「シヴァ…、どうした…? 動きが鈍い……」


 シヴァの様子を不審に思ったムトはそう訊ねた。


「ムト…、いや、妙な胸騒ぎがしてな……」


「大丈夫か…?」


「ああ、今はここを突っ切る事に集中しよう。ムトはしっかり族長を守ってくれよ」


 ムトにそう言うと、シヴァは大きく息を吐いて雑念を振りほどく。


(よし、余計な事は考えずにここを突破する事だけを考えよう)



 頭を入れ替えたシヴァは、増々人間を追い立てる手を強める。


 次から次に、人間の死体を作り上げてはゴブリン達の行く道を作り上げていく。もちろん他のゴブリン達も戦闘に加わっているが、シヴァのそれは他のゴブリンを遥かに凌駕していた。


 そんなシヴァを先頭に、ゴブリン達は行く先を遮る人間の皮を切り裂き、肉を噛みちぎり、骨を打ち砕く。


 そうしながらゴブリン達は突き進んでいくのだった。



 そんな光景がしばらく続いた。



 しかし、シヴァたちは一向に人間たちの集団から脱出する事が出来ないでいた。


(何だよこの街は、異常に人間が多い……)


 シヴァの脳裏にまた新たな焦りが湧いてきた。


 それもそのはず、シヴァがいつも眺めていた王都でもこれほどの人間が密集している事は無かったのだ。そもそも、人間にこれほどの繁殖能力があるという事も理解が出来ない。


(これではまるでゴブリン並みではないか…)


 今までの人間に対する知識とはまるで違うこの街の人間に、シヴァの戸惑いはさらに大きくなっていく。


「くそっ! 数が多すぎる。……ムト、体力はどうだ? まだいけるか?」


「俺はまだ大丈夫…。でも他の奴ら…、そろそろ疲れてくる」


 普通のゴブリンはシヴァやムトに比べるとかなり小さい、普通の人間の半分ほどの体躯なのだ。それ故、素早く動く事には目を見張るものがあるが、体力のほうはあまり無い。


 このままでは、この人間の群衆を抜ける前に体力のほうが尽きてしまう。その事がシヴァをさらに焦らせる。


「しょうがない、何があるか分からないから魔力は温存しときたかったけど、このままじゃこっちの体力のほうが無くなるからな」


「シヴァ…、何する気だ…?」


「ムト、このままじゃ埒が明かない。俺がでっかい魔法をぶちかましてやるから、開いたところを皆で突っ切れ」

 

「分かった…」


 ムトが頷きながらそう答えるのを見たシヴァは、その足をピタリと止めて目の前に塞がる人間たちに強い視線を向ける。


 それを見たムトと他のゴブリン達も、それに倣うように動きを止めた。



 今も尚、混乱を起こし右往左往している人間たち。


 それを見ながら、シヴァはゆっくりと右手を頭のうえに翳して大きく息を吸い込んだ。



 そのタイミングを見計らうように、態勢を低くして身構えるゴブリン達。



 魔力を高め、今まさに魔法を発動しようとした。


 その時だった――



 けたたましいサイレン音が辺りに響き渡ったのである。



 執拗なまでに主張するその大きな音が周囲の雰囲気を一変させ、まるで生き物の不安感を煽るように辺りを飲み込んでいく。


 初めて聞くそのサイレンの音にシヴァもまた雰囲気に飲まれ、魔法は不発に終わってしまった。


「な、何だ、何の音だ!?」


 その音とシヴァの魔法が不発になってしまったことで、他のゴブリン達にも動揺が走り、群れに混乱が生じ始める。


 しかし事態はそこで止まってはくれない。


 そうこうしている間に、またもやシヴァ達が見た事も無い物が目に飛び込んできたのだ。


(ば、馬車のような箱が、馬も無しに動いている……だと!?)


 それは白と黒に染まった馬のいない馬車のような乗り物。シヴァたちが目にした事の無いそれは、パトカーである。


 混乱する人間たちではあるが、その最中であっても誰かが通報をして警察がこの場に駆け付けたのだ。しかし、駆け付けたパトカーはわずか二台。それはシヴァたちゴブリンに対処するには、あまりに少な過ぎる数である。


 それでも未知な物を見るシヴァたちに動揺を与えるには十分だった。



 そしてそのパトカーはシヴァたちの行く先、前方に横付けされ。


「皆さん、どうか落ち着いて避難行動を行ってください! 只今より、銃器の使用を伴う害獣駆除を行います。迅速で落ち着いた避難行動をお願いいたします!」


 サイレン音の鳴りやんだパトカーからスピーカーを通した声が鳴り響く。


「皆さん、どうか落ち着いてください! これより銃器を使う可能性がありますので、速やかに避難をしてください!」


 尚もその声は、サイレンの音にも負けない大きな声で混乱する人間たちに訴えかける。すると、パトカーが来た事である程度の安心感が出たのか、人々の行動に変化が出始めた。


 ようやく警察が来たという安堵感が広がるにはそれほど時間はかからない。


 人々は徐々に落ち着きを取り戻し、シヴァたちゴブリンの周辺から人間の姿が消えていくのだった。



「シヴァ…、あれは…?」


 人の群衆が引いていく中、シヴァたちの目の前にはパトカーが二台と警官隊の姿。


 パトカーの陰に隠れてこちらを警戒しているので、シヴァたちの目からは何人がいるのかは分からない。ただ、その車の陰から人間たちの獲物を狙う視線だけはひしひしと感じていた。


「……たぶん、あれがこの街の兵士だろう」


(俺が知っている兵士とはだいぶ見た目が違うけどな…。ああいう未知な敵とは遣り合いたくはないが、今はそんな事は言ってられないか……。むしろ、邪魔な人間がいなくなって手間が省けたかもしれないな)



「さて……」


 シヴァが目の前の警官隊とどう戦うか考えていると、またもやパトカーのスピーカから大きな声が聞こえてくる。


「そこの男性の方、危険ですのでゆっくりと此方に移動してきてください。あなたの周りにいる動物を刺激しないよう、ゆっくりと此方まで移動してください」


 シヴァの思考は一瞬止まった。


 その人間たちの声はどうやらシヴァに向けられたものらしいのだが、シヴァには先程から気になる事があったのだ。


「ムト、あいつらの言葉……解るか?」


「解る…、言葉は違うけど……、言っている意味、解る…」


「お前もか……」


 スピーカーから聞こえてくる声の意味が理解できている。


 最初はあまり深くは考えていなかったが、よく聞いてみると全くの知らない言葉なのである。これがシヴァだけというのなら、新しい能力でも身に着いたと思うかもしれかった。しかし、ムトまでもがそうであるというなんとも不思議な現象が起こっているのだ。


(まあでも、こんな所にいること自体が不思議な現象だったな…)



「……それにしても、く、くく。ムト、相手がバカで良かったな。どうやらあいつら、俺の事をこの街の人間だと思っているようだぞ」


「人間、バカだな…」


「くくく、そうだな。よし、さっきの作戦通りでいくぞ。俺が魔法をぶっぱなす、そしたらお前ら全員で突撃だ」


「わかった…」


 シヴァは警官隊に向き直ると、その警官たちに手を振る仕草をしてみる。


 すると、パトカーの陰に隠れている一人の警官が、こっちに来いと手を振り返してきた。


(本当にあれが兵士なのか? なんとも間抜けな連中だな)



 シヴァは振った手をそのまま上に翳すと。


「よし、行くぞ!」


 そう叫んで魔力を込めた。



 その瞬間、警官たちは信じられない物を目にする事になる。



 なんと、シヴァの翳した手の上に、巨大な炎の塊が出現したのである。




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