第10話 共犯の罪は宝石できらめく
先輩と悪友を殴り飛ばしたい衝動を真剣に抑えているセシルを見かねたのか、まあまあ、と割って入る声があった。シガだ。
「あんまりセシルをからかっちゃ駄目ですよ、ジュリアスさん。それにカイルも。あの夜は残念ながら、外で夕食を食べただけですから」
「ほう、残念ながらか」
「ええ、残念ながら」
釈明を少しも信じていないに違いないジュリアスに、シガはあくまでも笑顔で押し通す。白々しいことこの上ない。嘘だと言っているようなものではないか。
そう、まったくの嘘だ。確かに宝石泥棒に出くわした夜、シガはセシルを家まで送りはした。その後も、知り合いがいるというセガール通りのほうへ寄ってから帰るとかで、セシルの家に上がったりしなかった。これから違法すれすれどころじゃない路地裏の店へ行くのだろうと推測がついたとしても、まあ普通だったのだ。
なんだかんだ言って、セシルはシガを警戒していない。だから、シガに肩を引き寄せられ振り向かされても、セシルは反応できなかった。瞬きする間に、頬に生温かなもの――――唇を押し当てられても、一瞬何が起きたのかわからなかったのだ。理解したときには後の祭りで、怒鳴ってもシガはもうさっさと逃げていた。
セシルはシガをじとりと睨みつけた。
「……シガ、あんたもあたしのこと、からかってるだろ」
「まさか。確かにセシルは怒ってるのも可愛いとは思うけど、からかうなんてしないよ」
「やっぱりあたしのことからかってるじゃないか!」
腕を組んでさも残念そうにシガが言うものだから、セシルは怒鳴らざるをえない。もはや即席の喜劇と化したやりとりに、ジュリアスやカイルを含めた周囲は爆笑だ。セシルはいつの間にか、喜劇女優になっていた。
そうこうしているうちに講師や専属楽団の団員が来たので話はうやむやになり、稽古が始まった。緩んだ空気もセシルの気持ちも、監督の容赦ない声が吹き飛ばす。役を得ていても最終公演間近でも、下手なら役から下ろされるのだ。そして団員の給与は、最低賃金に加えて得た役の重要度と出演回数に比例する。役者の道を究めるつもりのない者でも、真剣にならざるをえない。
昼休憩になって、やっと舞台の空気は緩んだ。喉の調子を確かめたり観客席に座り込んだり、早々と昼食に出かけたり。俳優たちはめいめい、厳しい稽古の後の解放感を楽しんでいる。
そんな中セシルは、カイルと話をしていたシガを舞台近くの空き部屋に呼び出した。どうしても聞きたいことがあったのだ。
「それでセシル、話って?」
「昨日のことだよ。……その、一昨日助けた人の死体を確認したって聞いたから」
「ああ、副団長殿に聞いたんだ」
シガが首を傾けると、ん、とセシルは小さく頷いた。
「うちに剣を引き取りに来たときに、教えてくれたんだ。……ほんとにあの夜の人、だったんだよな」
「ああ。俺もちらっとだけど一応は顔を見たからね、間違いない。黒い宝石を持ってなかったから、黒づくめの連中が追いついて奪ったか、他に仲間がいてそいつに渡したんだろうと副団長殿は考えてるみたいだね。黒づくめの連中が宝石を探してる可能性もあるから、外を歩くときは気をつけろと言われたよ。君もだろう?」
「……まあな」
問われ、セシルは首肯する。しかし、心は少しも憂鬱ではないし、不安でもない。それどころか、疑念からくる苛立ちやら怒りやらが胸の底から湧いてくる。シガがあまりにも平然としているからかもしれない。
その感情のまま、セシルはシガを睨みつけた。
「……シガ。もしかしなくても、あんたがあの宝石を持ってるんじゃないだろうな」
「……どうしてそう思うんだい?」
「しらばくれんな。あの夜、黒い宝石を見つけてからあたしはずっと体調不良だったのに、あんたが帰った途端に頭痛も吐き気も止んだんだ。あの夜の帰り道には人がいたから聞けなかったけど……どう考えても、あんたが黒い宝石を拾ってたからとしか思えないんだよ。あの暗がりに黒い宝石があることを知ってたあんたなら、あの大立ち回りの最中に、誰にも気づかれずに回収することは簡単だろうしさ」
「あはは、物語の探偵みたいだね、セシル」
肯定も否定もせず、シガは笑う。しかし、それこそが肯定としかセシルには思えなかった。
そう、セシルは一昨日の晩に帰宅してからずっと、シガがデュジャルダン所有の黒い宝石をくすねているのではと疑っていた。だが昨日は店の手伝いをさせられていて、セシルは店から離れられなかったのだ。だから今日は聞かなければと、実は意気込んでいたのだった。
セシルはシガに詰め寄った。
「シガ、なんでユーサーさんに渡さないんだよ。昨日は一応黙っといたけど……あれはデュジャルダン氏の持ち物だって、あんたも知ってるだろ」
「うん、そうなんだけど……いやあ、あんまり綺麗で変わった術を使ってるものだから、つい見入っちゃってね」
「つい、じゃないだろ」
「あはは、でもセシル。仮に俺が副団長殿にあの黒い宝石を渡したところで、黒づくめの者たちがそれを知らない限り、彼らは俺たちを狙うんじゃないかな。君があの宝石に触れようとしたところは、見られてるだろうし」
セシルが眉を吊り上げたというのにまったく気にした様子もなく、シガはのんびりと言う。物騒なことを指摘しているのに、焦りや不安は欠片も感じられない。この男に危機感というものはないのだろうか。セシルは呆れた。
「でも、持ってたら持ってたで、青薔薇騎士団に見つかるかもってびくびくしなきゃいけないだろ」
「おやセシル、俺が今更そんなことに怯えると思ってるのかい?」
「…………思わないけど、ともかくあの宝石をデュジャルダンさんのところへ返せよ、シガ。あんたが持ってる他のやばい術具とは違って、危険な奴らや青薔薇騎士団が狙ってるんだぞ」
「うーん、でもあの宝石にかかってる術式、まだ解析できてないんだよね。かなり難解な術式を使ってあってさ。知り合いと一緒に解析してるところだから、手放したくないんだけど」
「んなこと言ってる場合じゃないって言ってるだろ! ユーサーさんが探してるのに、何を呑気な……! あんたが隠してたってばれたら、東大陸人だからってだけで怪しまれるんだぞ!」
この術具収集狂が。セシルは心の中で罵った。そのくらいしないと、服の襟を掴んでしまいそうだ。シガは、郷に入りては郷に従えという諺の意味を知らないに違いない。
だって、とシガは首を傾けた。セシルが怒っているのに、楽しそうな顔をする。
「俺はばれるようなへまをしたりしないし……セシルも黙っててくれるだろう?」
にっこりと、意味ありげに。けれど声音は言葉以外の意味を含んでいないような色で、シガはセシルに言う。疑いも不安もない様子は、確信しているようでも、セシルに言い聞かせているようでもある。
セシルはぐ、と息を詰まらせた。
そう、セシルはシガを告発できない。仮にシガが捕らえられたところで代役はすぐに誰かが抜擢されるだろうが、彼と同等以上に演じられるか疑わしい。演技に問題がなかったとしても、東大陸出身のシガが捕らえられたとなれば、リヴィイールの名声に傷がつくのは必定。だからセシルは、シガが黒い宝石を隠していることに薄々気づいていながらユーサーに話さなかったのだ。シガもそれがわかっているから、余裕でいられるのだろう。
だが、そんな周囲への迷惑やシガの計算とは関係なく、セシルはシガを告発したくないのだ。法に背くことだし、シガがセシルの情の深さにつけ込んでいることもわかっている。彼は、人をからかうのが好きだという程度の可愛らしい男ではない。
それでもシガは、同じ舞台で演じ、時に食事を共にする仲間なのだ。――――裏切りたくない。
「やっぱあのとき、宝石のこと、ユーサーさんにすぐ言いつけるべきだった……」
「あはは、ホント、君が副団長殿に言いつけなくてよかったよ」
「あんたなあ……」
どこまでも余裕綽々なシガの様子にいらっとして、頭を抱えていたセシルは彼を睨みつける。人の気も知らないで、何を呑気な。仲間意識と遵法意識の板挟みで、セシルは仕事絡み以外では大して使わない頭を悩ませているというのに。
やはりこの男、ユーサーにつき出すべきか。セシルは真剣に悩んだ。
セシルの不穏な心中に気づいているのかいないのか。そうそう、とシガは鞄に手を突っ込んだ。東大陸のものらしい、四角い渦巻文様の彫刻がされた木箱を取り出す。
「今日は、彼らのことで君が不安がってるかもしれないと思って、防犯用の術具を色々持ってきたんだ」
「色々って……」
宝石泥棒を笑い飛ばしたそばから、それか。どう聞いても、違法な方向しか考えられない。この男の神経と良心は、一体どうなっているのだろうか。
ユーサーからの伝言だと聞いたとき以上の不安を覚えて微妙な表情になりながら、セシルは蓋が開けられ、並べられた長方形の木箱の中身を見下ろした。
深みのある上品な赤の綿入り布を敷きつめた平たい木箱に、ブレスレットやネックレス、髪留めやブローチなど、実に様々な種類の装身具が整然と置かれていた。色も、金に銀、赤に青に緑に紫と多様である。この数と種類なら、ちょっとした露店でも開けそうだ。
上品な赤を背景に輝く装身具たちは、一見するとどれも普通の商品に見える。バイヤール夫人による実地での勉強のおかげで、宝石も地金もほとんどが上質なものだとセシルは一目でわかった。贔屓筋からもらった品々、もしくはもらった貴金属を加工したものに違いない。こいつのことだから贔屓筋にねだりでもしたのかも、とセシルは考えた。
不本意な体質は、どの宝石にも魔力が秘められているとセシルに告げている。しかし、デュジャルダンの宝石部屋に展示されていたものと比べれば大したことはなく、全部合わせてもごく軽い頭痛と吐き気を感じる程度だ。これならどれか一つをセシルが身につけても、短時間でなら身体に支障はないだろう。
シガは自慢そうに胸を張った。
「セシルは魔力に対して過剰反応する体質だって聞いたから、普段はごく微量しか魔力が出ないものを選んだんだ。魔術をかけられそうになったら、掲げるなりなんなりすれば防壁の魔術が発動するよ。気分が悪くなるのも、最小限に抑えられると思う。あ、こっちの巾着は魔力を遮断できるやつだから、君の厄介な体質でもそう気分が悪くならずに持ち運びできるはずだよ」
「あ、ありがと……」
セシルは半眼になった。なんだか巷の怪しげな露店の店主に呼び止められた気分だ。
「……シガ。これ、どれもかなりいい宝石使ってないか?」
「うん、君に贈ろうと思って奮発したんだ」
バイヤール夫人のもとで鍛えられた鑑定眼で品質を見抜いたセシルが胡乱な色をにじませると、にっこりとシガは笑った。
「いつも身につけられてしかも違和感がないものといったら、こういうものしかないだろう? 贔屓筋からのもらいものを知り合いの職人に加工してもらったから、宝石はいいもの揃いだよ。好きなのを持っていってくれたらいいから。なんなら全部でもいいけど」
「要らないよ」
「そんな、即答しなくても。あ、法律のほうは多分大丈夫だよ。市販の防犯用術具よりちょっと性能がよくしただけだから。きっとばれないよ」
セシルが口を挟もうとするのを無視し、シガは何でもないことのように改造を肯定する。やはり、お手製の術具であるらしい。
宝石泥棒をあっさり認めたそばから法的に怪しい術具を使えと勧めてくる神経について、セシルはもはやつっこむ気にもなれない。だが、宝石の加工の形がどうしてことごとく装身具なのだろうか。それに、用いられた宝石は高品質でも、意匠はどれも華やかな社交界で身につけるには地味すぎる。派手好きな貴婦人なら、見向きもしないだろう。
しかし、そういう疑問をこの男にぶつけてもどうせ無駄なのだ。そして答えも甘ったるいものであることは、わかりきっている。これにもつっこむことを放棄したセシルは、赤い布地を背景にきらめく品々を見下ろした。
「……」
悩んだ末、セシルはペンダントを手にとった。
柔らかな緑の地に白が混じった石を革紐に通しただけの簡単なもので、色の濃淡も均一ではなく、ところどころで緑が濃く表れている。翡翠だろうか。特別派手な色合いではないが、その不均一で優しい色合いこそが、一つの色で染まってきらめく宝石の中で際立っていた。
身の安全を不安に思っていたのは本当だし、シガの一応は好意を断るのも悪い。それにこのペンダントなら、服の下に隠しておくこともできるだろう。
ありていに言えば、セシルはこの石が気に入ったのだ。――――ユーサーに対して、申し訳なく思うけれど。
「……それにする?」
「……ん」
尋ねられ、セシルはシガの顔を見ないまま頷いた。
気に入ったからなんて、言うのはどうにも恥ずかしいし、癪だ。翡翠が東大陸の山中でのみ産出される宝石であることも、羞恥に拍車をかける。勘のいい彼はセシルの考えなんてお見通しかもしれないけれど、自分からは絶対に言ってやるものか。
不思議なことに、シガはまったく何も言ってこなかった。いや、からかってこないのはいいことなのだが、セシルをからかうのが好きな性悪男らしくない。沈黙が逆に怖い。
だからセシルは顔を上げてみたのだが、次は、シガの表情に驚かなくてはならなかった。
輝かんばかりというにはささやか、控えめというには色づいた微笑み。
――――――――なんて、嬉しそうな。
「な、なんであんたがそんなに嬉しそうなんだよ!」
「だって、セシルが俺の贈り物を受け取ってくれたから。前に贈ろうとしたときは、逃げたじゃないか」
「あれは、あんたがドレスを贈ろうとしたからだろ! それに今回は、護身用だし!」
顔を真っ赤にしてセシルは反論した。
そう、護身用なのだ。あんな動きづらくて女性であることを強調することしかできない代物ではなく、自分の身を守りながら逃げるための道具。贈り物ではけっしてない。セシルはそう自分にもシガにも言い聞かせる。
けれど、シガの満面の笑顔はまったく崩れない。頭から花が飛んでそうなくらいだ。セシルには、どうしてここまでシガが喜んでいるのかわからない。
ああもう、とシガから顔を背けたセシルは、窓の外で街並みを見下ろす時計塔の針を見てげ、と年頃の乙女らしかざる声をあげた。
「ああ、そろそろ昼食を食べないとまずそうだね」
窓の外の時計塔もしくは買い食いをする子供を見てか、シガはのんびりと言う。が、休憩の後も練習があり夕方から舞台があるというのに、そんな呑気なことを言っていられるわけがない。
セシルは、慌ててペンダントを魔力を遮断するという苔色の巾着にしまった。
「早く行こ、シガ」
「はいはい」
部屋から半分出かけたセシルが振り返って急かせば、シガはくすくすと笑う。一体誰のせいだ。セシルは心の中で文句を言った。
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